CLシャルケ対シティ、死闘の裏側。東大ア式蹴球部HCが「監督心理」を分析
【短期集中連載】 新世代コーチが見たUEFAチャンピオンズリーグ#2
欧州最高峰の舞台は目まぐるしいスピードで進化している。そこで起こっている出来事をより深く知るためには、戦術革命後の「新しいサッカー」に精通するエキスパートの力を借りるしかないだろう。それぞれの方法で欧州サッカーのトレンドを探究する4人の新世代コーチに、CLラウンド16の“戦術合戦”を徹底分析してもらおう。#2は東大ア式蹴球部でヘッドコーチを務める23歳、元鹿島アントラーズユースの山口遼が登場!
ついに始まったCL決勝ラウンド。昨年末の不調からかなり回復し、幾度となく大量得点を記録してプレミアリーグで暫定1位となったマンチェスター・シティと、国内リーグで調子が上がらず、今季14位に低迷するシャルケの一戦。
戦前の下馬評では圧倒的なシティ優位という見方が伝えられたが、蓋を開けてみれば「CLに楽な試合など存在しない」ことがよくわかる死闘を両チームが演じることとなった。
■偶然と必然の狭間で
初めに簡単にまとめてしまえば、いかにも監督泣かせの試合であった。
シティの1点目を招いたシャルケGKフェアマンの致命的なパスミスも、シャルケの同点弾、逆転弾となる2度のPK献上も、オタメンディの軽率なファウルによって10人での戦いを強いられることも、監督にできることなど何もない類の“事故”だ。
しかし一方で、このような“事故”によって試合の展開は大きく左右される。タイミングの早過ぎたシティの1点目によって、テデスコ監督のゲームプランは完全に崩れ去っただろうし、逆に、あの時点では打つ手がほぼなかったシャルケに“事故の2ゴール”で逆転されたシティは、楽勝ムードが一転して大ピンチを迎えることになった。
昨今のサッカー界において、監督がその重要性を増してきているのは確かだが、実際に当事者として試合に臨んでみると、サッカーの試合には目を覆いたくなるようなアクシデントや理不尽がそこかしこに転がっているもので、監督はそのような事態を受け入れ、早急に対処するしかない。さらに言えば、そのような偶然すら論理という名の必然でコントロールする、あるいは偶然をも利用する、ということが現代サッカーの監督業には求められている。
少し前置きが長くなったが、このように偶然と必然の狭間で彷徨いながらも勝利を目指す「監督」という人種が、どのような考えに基づいて意思決定を下すのか、今回は両指揮官の、特にペップ・グアルディオラの頭の中について、時系列に沿って少し想像してみようと思う。
■スタメン:相手の出方によって配置を変えられるメンバー
まずはスタメンから振り返ろう。
シティは、チェルシー戦でも見せたフェルナンジーニョの「偽CB」を用いた[4-1-4-1](攻撃時は[3-2-4-1])、シャルケは[5-4-1]で試合に臨んだ。どちらのチームも試合によってメンバーや配置をいじる傾向のあるチームなので、おそらく互いに相手の配置によって自分たちの配置を変えることを想定してのメンバーだろう。
シティは順当に行けばフェルナンジーニョを1列上げて3バックでビルドアップするが、フェルナンジーニョを上げずに4バックでビルドアップする形も考えられる。逆にシャルケも、相手のビルドアップの形によってプレッシングの形を[5-4-1]か[5-3-2]のどちらでも行けるように、と考えていたはずだ。
さらにペップとしては、まず第一にここのところ好調のギュンドアンを使いたいというのが意図としてあるだろう。ギュンドアンを使いながらフェルナンジーニョ、ダビド・シルバ、デ・ブルイネを同時起用する(CLなので気合いが入っている)となると、自ずとこの配置に落ち着いた、というところだろう。
■試合開始~45分:ビルドアップをめぐる駆け引き
さて、互いに相手の配置によって自分たちの配置を決めようとしているので、このまま行くとイタチごっこになってしまいそうだが、実際にはシティは3バックでのビルドアップを選択し、シャルケが[5-4-1]で噛み合わせてプレスをかけるような展開になった。
この理由としては2つ考えられる。
まず、シャルケが3トップ気味にプレスを噛み合わせてきても、序盤はビルドアップの出口を見つけられていたことがあるだろう。これについては下図のように、序盤のシティは自分たちのウイング(以下WG)でピン留めしたシャルケのウイングバック(以下WB)の前方スペースにインサイドハーフ(以下IH)を流していたが、それに対してシャルケのボランチや左右のCBは付いていくのをためらったので、そこが出口として機能していた。
さらに、今回のメンバーのシティにとって、3バックのビルドアップの方が「自然な形」である、というのも関係しているだろう。
フェルナンジーニョを1列上げなければ、彼を含めた4バックでビルドアップができるとはいえ、やはり本職でないポジション(この場合はCB)でのプレーはできれば避けたい。よって、よほど窮屈なビルドアップを強いられない限りは、3バックでビルドアップする配置を取りたいという意図は間違いなくあったはずだ。
一方で、シャルケのビルドアップは試合を通じて終始不安定さをのぞかせ、シティの選択肢を制限してくる巧みなプレスに対して、有効な出口をついに発見できなかった。それどころか、GKの不用意なパスをカットされ、序盤に先制点を献上するという最悪の展開に。シティもシティでピリッとしたテンションの入りではなかったものの、これは「大量得点もあるかな」というような雰囲気の立ち上がりとなった。
時間の経過とともにシャルケのボランチや左右のCBが“流れるシティのIH”についていくようになっていき、シティのビルドアップが窮屈になる場面が増えていくのだが、シャルケが逆転するまでは3バックでのビルドアップを続けていた。シティのビルドアップの成功率は五分五分といったところだったが、ペップとしてはリードしているということも考慮して、それで「問題なし」と決断していたのだろう。
しかし、ここで先にも述べた“事故の2ゴール”でシャルケがまさかの逆転に成功する。2失点目のファウルがそもそもそうだが、失点以後明らかにシティの選手たちに精神的動揺が見られ、判断のエラーが増えてしまっている。
■45分~68分:“事故の2ゴール”後の対処
おそらくペップはそれらを踏まえ、シャルケに逆転されるとすぐにフェルナンジーニョの「偽CB」を取り止め、4バックでのビルドアップに変更させた。流れが悪く、不安定性が高い状況での数的同数のビルドアップは危険だと考えたのだろう。
またこのあたりの時間帯から、食いつきが良くなったシャルケの左右のCBやボランチへの対策として、IH(特にD.シルバ)がセンターレーンへ、アグエロがハーフスペースへ流れるポジションチェンジを行うようになった。
これがペップのその場での具体的な指示によるものなのか、トレーニングで浸透させたミクロな原則の発露なのかは非常に微妙なところであるが、チームとしてデザインされている動きであったことは間違いないだろう。
ビルドアップでの配置的優位の獲得と、ポジションチェンジによってライン間で起点を作れるようになったことで、シティの攻撃は徐々に落ち着きを取り戻した。シャルケはリードを得たことでやや自陣に引きこもり、シティもアウェイゴールのおかげで1点取って同点にすれば実質的に逆転することになるので、互い無理をする姿勢は見せず、試合は自然と膠着状態に。
しかし、このまま1-2でシャルケが逃げ切るか、シティが追いつくかだろうな、という雰囲気が漂い出した68分に、オタメンディがまさかの退場。シティは10人での戦いを強いられることになった。
オタメンディが退場すると、シティはすぐにコンパニを投入し、守備時の4バックを維持した。これ以上の失点は避けねばならないため、当然の選択だろう。
■68分~試合終了:数的不利のシティの覚醒
リードしていて、かつ数的優位となったシャルケは、当然とばかりにDFラインでゆったりとしたボール回しで時間を消費しようとするのだが、圧倒的不利な状況に開き直って、脳内でドーパミンをガバガバに放出し始めたシティの選手たちの残り20分間のパフォーマンスは凄まじいものがあり、徐々にシャルケの選手たちを飲み込んでいった。
プレスに関しては、選択肢を制限した上で、カバーシャドウを行いながら二度追いすることで、1人で2つ、3つのパスコースに制限をかけ、ビルドアップを阻害。
攻撃に関しても、空けてはいけないスペースをしっかりと埋めながらも、ラポルト(ジンチェンコ)、ウォーカー、ベルナルド・シルバ、デ・ブルイネ、スターリングなどがそれぞれ2つ以上のスペースを担当しながらボール周辺の介入スペースを効果的に埋めていた。
また、B.シルバとスターリングの運ぶドリブルも凄まじく、ここでも1人で2人以上を相手に優位に立っていた。
ポジショナルプレーにしてもゾーンディフェンスにしても、その考え方の根本は位置的優位による選択肢とスペースの支配であり、効果的に運用すればやはり全体の数的不利を補うことができるのだということを認識させられるパフォーマンスであった。
試合としては、レロイ・サネのスーパーなFKが決まった時点でほとんど勝負アリであり、3点目が決まってしまったのはシャルケの選手の精神的動揺も大きな要因だろう(当然エデルソンのプレーもまた、スーパーだったが)。シティ相手に3つものアウェイゴールを許してしまった代償は大きく、第2レグはシャルケにとって非常に難しいものになった。
■最後に
こうして、シティの大逆転劇をもってラウンド16目下一番の死闘は幕を閉じた。
今回の記事では、徹底して監督目線で試合を振り返ってきた。両指揮官ともに、納得のいく試合内容/結果ではなかっただろうが、ことペップに関しては、それと同時に「お前らこんなにできるんじゃん!」と感じているような気も、少しする。
10人になってからの各選手の鬼気迫るパフォーマンスからは、人数が足らないからこそ、各々が持っている能力を遺憾なく発揮し、それまでにおそらくトレーニングで消化してきたいくつもの原則を即座に組み合わせ、実行していて、何より全員の脳がビンビンに動いている感じがした。
ペップ本人がいつも言っていることだが、サッカーというスポーツの主役は誰がなんと言おうと選手であり、彼らの持っている資質を引き出し、輝かせるのが良い指揮官である。そういう意味で今回の試合は、マンチェスター・シティの選手たちにはポテンシャルを引き出せる余地がまだまだあるということを認識できる内容であった。
確かに不運である、と言えば間違いなく不運な要素の多い試合だったものの、それでもピリッとしないな、というテンポのゲームであったのもまた事実。まだできる、もっと上手くやれるはずと、今もペップは考えているはずだ。
監督という人種は、偶然と必然の間でなんとかもがき、必然を何とか手繰り寄せようとするもの。いちサッカーファンとして、ペップ・グアルディオラという1人の人間のいちファンとして、彼の率いる水色のクラブが、どんな偶然も飲み込むような大きな必然性の波を起こす姿を見てみたくなった。
そうできれば、6月、マドリッドで。
Photos: Getty Images
Profile
山口 遼
1995年11月23日、茨城県つくば市出身。東京大学工学部化学システム工学科中退。鹿島アントラーズつくばJY、鹿島アントラーズユースを経て、東京大学ア式蹴球部へ。2020年シーズンから同部監督および東京ユナイテッドFCコーチを兼任。2022年シーズンはY.S.C.C.セカンド監督、2023年シーズンからはエリース東京FC監督を務める。twitter: @ryo14afd