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日本代表FW伊東純也の新天地。ヘンクの哲学、経営モデルとは?

2019.02.14

2000年以降、サッカー協会とクラブが二人三脚で取り組んだ育成改革が実を結び、ロシアW杯では史上最高の3位に。そのベルギーにおいて、欧州でも屈指のアカデミーを有し近年、デ・ブルイネやクルトワを筆頭に数多の才能を輩出してきたのがKRCヘンクだ。この冬の移籍市場で日本代表FW伊東純也を獲得したこのクラブの哲学、経営モデルは何に根ざしているのか。イタリアのWEBマガジン『ウルティモ・ウオモ』の取材レポート(2018年2月27日公開)をお届けしよう。

 1980年代のベルギーは、オランダの「トータルフットボール」の陰に隠れ、サッカーに関して語るべき過去の歴史もない小国に過ぎなかった。Waterschei SV Thor、KFC Winterslagという2つのクラブも、サッカー年鑑の最も熱心な読者にすら大した情報は与えてくれない。ともにヘンクに本拠を置いていた2つのクラブのうち、前者については1983年のカップウィナーズ・カップで準決勝に進出したが、若きアレックス・ファーガソン率いるアバディーンの前に敗れ去ったという記録が残っている。後者は1970年代に1部リーグに昇格した後、史上唯一出場した1981-82シーズンのUEFAカップ(現EL)でアーセナルを下してベスト16に進出した。

 そして1988年、プロサッカークラブを存続させる上での経済的困難に直面した両クラブは、合併によってこの危機を乗り切ろうと決断する。こうしてKRCヘンクが誕生した。新たに誕生したこのクラブは、それから数年の間にリーグ優勝3回、リーグカップ優勝4回、スーパーカップ優勝1回という結果を勝ち取り、当時の欧州3大カップにもコンスタントに出場するようになった。ほとんど無から生まれたようなプロジェクトにしては、まったく無視できない成功である。しかしヘンクが近年のヨーロッパで最も注目すべきクラブの一つである理由は、そこにあるのではない。

 ヘンクの経営モデルは、前CEOのパトリック・ヤンセンスが言うように自給自足の原則に基づくものだ。一つの企業になるのではなく、地元の社会と結びついたクラブであり続けるという、時流に反した行き方を守っている。「選手の売却を強いられているクラブだと見られたくはありません。そうではなく、質の高い選手を数多く輩出するヨーロッパでも特別なクラブだと見られたい」。ほんの30年前に誕生したクラブを率いてきたヤンセンスの言葉には、しっかりとした裏づけがある。ヘンクのクラブ哲学は、優秀なプレーヤーの育成という唯一の目的にすべてを集約するものだからだ。

 育成部門のトレーニングセンターである「ヨス・ファエッセン・タレント・アカデミー」は、信じられないほど先進的なプロジェクトに基づいて、2013年にオープンした。2500㎡近い敷地には学習室、ビデオ分析ルーム、医療とフィジオセラピーのための医務室、リハビリ用プールまでもが備えられている。アカデミーの設立者でありクラブの名誉会長でもあるヨス・ファエッセンの強い希望によって作られたこの未来を先取りする施設は、トップチームのホームスタジアムである2万4000人収容のルミナス・アレナに隣接している。そしてここが、子供たちの育成と成長の舞台であり、その到達点となるトップチームの活動の舞台でもある。U-7からU-12までのカテゴリーは狭いコートを使って5対5、8対8のゲームを行う。11対11で初めてプレーするのはU-13に上がってからだ。そしてそこでプレーする選手たちはかなりの確率でトップチームまで到達することになる。

 ヘンクが採用する育成にフォーカスした経営モデルは、ベルギーサッカー協会が当時のトップであるミシェル・サブロンの主導によって2000年から導入したそれに呼応するものだ。自国開催(オランダとの共催)にもかかわらずグループステージ敗退という結果に終わったEURO2000の失敗を受け、協会はベルギーサッカーの仕組みそのものを、その基盤であるユースアカデミーからスタートして再構築するという仕事に取り組んだ。2002年の日韓W杯を最後に、5回連続でビッグトーナメント(EURO、W杯)から遠ざかった“赤い悪魔”は、しかし2014年のブラジルW杯でその舞台に返り咲き、それから4年を経た現在、一つの黄金時代を享受している。2017年にはFIFAランキングでトップに立ち、ロシアW杯でも躍進が期待されている(編注:本稿執筆は2018年2月)。

 協会とクラブが二人三脚で取り組んだ変革は、ベルギーサッカーのイメージを大きく変えた。A代表がエデン・アザールドリース・メルテンスケビン・デ・ブルイネといったワールドクラスを擁しているとすれば、育成年代の代表も目立った結果を残し始めている。2015年にチリで行われたU-17W杯での3位はその一例だ。そしてアンデルレヒト、クラブ・ブルージュ、スタンダール・リエージュといった伝統あるクラブ、さらにヘンクのような新興勢力は、欧州のトップクラブに引き抜かれるようなタレントを次々と輩出している。

地元のタレントを育てる
Coltivare i frutti del talento locale

 ヘンクのアカデミーは、その生産性(輩出したプロ選手の数)において、ヨーロッパで最も優れたうちの一つだ。ほぼ20年近くにわたり、毎年8人から10人の選手がトップチームに送り込まれてきた。「これは我われの哲学が正しいことの証です」。そう語るロランド・ブリューヘルマンスが20年以上前から責任者を務めてきたヘンクの育成センターは、近年だけでもデ・ブルイネ、ティボ・クルトワ、ヤニック・フェレイラ・カラスコ、ディボク・オリギ、ティモシー・カスターニュ、スティーブン・デフール、クリスティアン・ベンテケといったトッププレーヤーを輩出してきた。

 ヘンクのアカデミーに所属する子供たちは、12歳までは多くても週3回しかトレーニングをしない。ただしそれに加えて、サッカーと直接関わりのないスポーツアクティビティ(ボクシング、柔道、体操など)を行っている。12歳以降の成長期になって初めて、アスリートとして扱われ、技術、戦術についての本格的な指導を受け始める。個々の選手の技術的な特徴について注意が払われるようになるのもこの年代から。そして16歳前後になった時にはすでに、プロ選手としてデビューする準備が整っている。

 モチベーションという観点から、ヘンクはヨス・ファエッセン・タレント・アカデミーの一角すべてを、ここから巣立っていった選手たちのための「殿堂」に充てている。そのことからも、このクラブの哲学において選手の育成と価値向上がどれだけ重要な位置を占めているかがうかがえる。長い歴史や過去の栄光に頼ることができない分、センターの廊下はこのフランドル地方の都市から巣立って行ったすべての選手たちの写真で埋まっている。

 クルトワがアカデミーに入ったのは1999年。最初は左SBとしてプレーを始めたが、その数カ月後にGKとしてのタレントを備えていることがわかってコンバートされると、その後の数年でめきめきと頭角を現した。当時トップチームを率いていたフランキー・フェルコーテレンは、18歳のクルトワをレギュラーに抜擢し、そのシーズンの終わりには1000万ユーロにも満たない移籍金での放出を容認した。今日、25歳のクルトワは、アトレティコ・マドリーとチェルシーですでに300試合以上の出場経験を重ねて、移籍市場で最も大きな注目を浴びるGKになった(編注:18年夏、レアル・マドリーに移籍)。

ヘンク時代のGKクルトワ

 デ・ブルイネのキャリアもまた、ヘンク・アカデミーの育成プロセスを通過したことに多くを負っている。当初はヘントのアカデミーに所属していたが、環境適応でトラブルを抱えたため、14歳の時に両親がヘンクへの転籍を選んだ。それからすぐにデ・ブルイネはその潜在能力の高さをコーチたちに示す。ヘンクの育成コーチの一人、ピーター・レインダースは「デ・ブルイネもこのアカデミーの他の選手たちと同じように、あらゆる側面を向上させることを目的とするトレーニングを経験しました」と言う。「他の子供たちとはレベルが違うフットボール・インテリジェンスの持ち主であることはすぐにわかりましたが、それでもやはり技術、戦術、フィジカル、メンタルとすべての領域を鍛えることが必要でした。そこから先は彼の情熱、そして目標達成への意欲の高さの賜物です」

 ヘンクの成功が育成部門に支えられているというのは興味深い事実だ。選手の売却によって利益を積み上げ、それをまたアカデミーに再投資することによって、ヘンクは毎年毎年レベルの高いタレントを輩出し続けている。

スカウティング
Lo scouting

 地元の子供たちを育てるだけにとどまらず、ヘンクは外国人タレントを発掘するスカウティングの手腕においても優れたクラブだ。ヘンクのスカウティングシステムは、フィジカルコーチ、スカウト、データアナリストの共同作業によって構築されており、個人に依存しない持続性を持っている。オランダの分析会社「SciSports」との提携関係は、その重要な一部分を占めている。ヘンクは同社と共同で30万人を超えるプレーヤーの情報を収めたデータベースを保持しており、選手としての潜在能力、伸びしろ、トップチーム昇格時に直面し得る困難などについて予測している。次代のデ・ブルイネの発掘は、地球全体をカバーするスカウト網によるレポートとデータの詳細かつ注意深い分析によって進められているというわけだ。

 今季(2017-18)のトップチームは、フィンランド、タンザニア、ギリシャ、ガンビア、ウクライナをはじめ、20もの異なる国籍を持つ選手から成り立っている。ヘンクの移籍ビジネスの最新事例も、ジャマイカとドイツを結ぶ中継点となるというものだった。レオン・ベイリーは、2011年にジャマイカの首都キングストンのフェニックス・アカデミーから獲得された後、いくつかのクラブへのレンタルを経てヘンクのトップチームに到達し、77試合で15得点21アシストを記録した。彼の養父であり代理人でもあるクレイグ・バトラーが、滞在許可を持たない未成年(ベイリーを含む)の人身売買の疑いでベルギー労働監督局に捜査を受けたため、ベイリーはオランダ、オーストリア、スロバキアのクラブを転々としなければならなかった。しかしヘンクでの1年半で見せた活躍によって2017年1月、レバークーゼンに約1500万ユーロで引き抜かれることになった。

ジャマイカから発掘され、現在はレバークーゼンでプレーするベイリー

 ヘンクは大金持ちのオーナーやスポンサーがいるわけではなく、スタジアムからのマッチデー収入やTV放映権収入にも多くは望めない。クラブとして存続するだけでなく成長するためには、移籍金収入が不可欠なのだ。

 ヘンクのスカウト網が発掘したトッププレーヤーのリストには、セルゲイ・ミリンコビッチ・サビッチとカリドゥ・クリバリの名前もある。ボイボディナ(セルビア)とメス(フランス)から安い価格で獲得し、ラツィオとナポリに高額で売却した彼らの市場価値は、そこからさらに大きく上昇している。ここ何年か、もし1人も選手を売らなかったらヘンクのレギュラーはどんな顔ぶれになっていたか、という話題がしばしば持ち上がる。クルトワ、クリバリ、カラ、カバセレ、ベイリー、エンディディ、デ・ブルイネ、ミリンコビッチ・サビッチ、カラスコ、オリギ、ベンテケ……。これだけの名前が挙がるのだ。

 しかしベルギーには、彼らをチームに引き留めておくことを可能にする状況は存在しない。「我われの重要な選手にプレミアリーグからオファーが来たら、できることは何もない」。ブリューヘルマンスは最近のインタビューでそう語っている。「選手たちには、少なくとも学校を終えるまで、あるいは未成年でなくなるまではここに留まることが重要だと言って聞かせています。しかし最近のビッグクラブは16歳の選手にもアプローチしてきますし、好条件の契約を提示されれば、多くの家族が動揺します。我われが提示できる年俸は1万ユーロですが、彼らの提示額は10万ユーロですからね。勝負にならないことは明らかです」。11歳でヘンクに入ったが、トップチームに昇格する前にモナコと契約を交わしたカラスコはその一例だ。オリギもたった6歳でヘンクに入り、15歳の時にリールの育成部門に引き抜かれている。

2017-18シーズンのヘンク
Il Genk 2017-18

 若いタレントたちを移籍マーケットの誘惑から遠ざけておくのに苦労しながらも、ヘンクのアカデミーは年々レベルアップしている。今や明確な戦術スタイルと育成メソッド(フィジカルではなくテクニックに重点を置く)が確立され、それがクラブのトレードマークになった。近年の国際的な成功は国外におけるヘンクの評判を大きく高め、世界中の若きタレントたちがヘンクのアカデミーに入ることを夢見ている。

 2016-17のELでも、ヘンクは大きなサプライズだった。前輪駆動の[4-3-3]でアスレティック・ビルバオ、サッスオーロ、ラピド・ウィーンと同居したグループを1位抜けし、オランダ人監督アルベルト・スタイフェンベルフの下、冬の市場でチームの大黒柱だったベイリーとエンディディを売却したにもかかわらず、ベスト8まで勝ち進んだのだ。

 だがそのスタイフェンベルフは、就任からわずか1年後の2017年12月に解任されている。かつてルイス・ファン・ハールのアシスタントコーチだったこの指揮官は、ELでは好成績を残したものの国内リーグでは8位という不本意な成績に留まり、巻き返しが期待された2017-18シーズンも中位に低迷していたのだ。クラブが後任に選んだのは、クラブ・ブルージュの育成部門を経て、ワースラント・ベフェレンで好成績を残していた43歳のフィリップ・クレメント。若い選手を育て伸ばす手腕を見込まれての招へいだった。ヘンクはU-20年代の選手を数多く起用しながらもELで注目すべき成績を残すことを通して、短期的な視点で目先の勝利だけを追求しなくとも結果を手に入れることは可能だと示した。ブリューヘルマンスは、クラブのオフィシャルサイトに掲載されたインタビューでこう語る。「我われにとっては、アカデミーの若手をトップチームに送り込むことが、クラブに貢献するということなのです」

 ヘンクが生み出した最新のタレントは、シーベ・スフライフェルス。1996年生まれのベルギー人ウイングで、すでにトップチーム160試合以上の実績を誇っている(編注:18年夏、クラブ・ブルージュに移籍)。ブライアン・ハイネン(’97)、サンダー・ベルゲ(’98)というセントラルMFのペアも将来性抜群だ。さらにトップ下のパオロ・サバク、右ウイングのダンテ・バンザイル(’98)も注目を集めている。サバクは小柄でテクニカルなプレーヤーで、2016-17にトップチームにデビュー済みだが、この2017-18は育成年代のベルギー代表にひっぱりだこでクラブでの出場はゼロだった(編注:18年夏、 NECに移籍)。バンザイルはスピードに乗ったドリブル突破が武器だ(編注:18年夏、ベールスホット・ウィルレイクにレンタル移籍)。ヘンクのアカデミーにはイタリアのエッセンスも少しだけ入っている。97年生まれのコートジボワール人MFピエール・ゼブリは、インテルの育成部門で育ち、セリエBのペルージャでトップチームにデビュー後、2017年1月にヘンクにやって来た(編注:18年夏、アスコリにレンタル移籍)。

CLアトレティコ・マドリー戦でのスフライフェルス。所属するクラブ・ブルージュはELのラウンド32で日本代表MF南野拓実が在籍するザルツブルクと対戦する

 もしここから巣立っていった先輩たちと同じ道程をたどるならば、ここに名前を挙げた若きタレントの何人かは近い将来、欧州サッカーの輝く星となるかもしれない。しかしそうならなかったとしても、それはヘンクにとって悲劇ではない。最も重要なのは、このアカデミーを成り立たせている哲学であり、それに基づいて確立されたメソッドであることを、彼らは十分に理解しているのだから。

Photos: Getty Images, Bongarts/Getty Images
Translation: Michio Katano

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ウルティモ・ウオモベルギーヘンク伊東純也

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ウルティモ ウオモ

ダニエレ・マヌシアとティモシー・スモールの2人が共同で創設したイタリア発のまったく新しいWEBマガジン。長文の分析・考察が中心で、テクニカルで専門的な世界と文学的にスポーツを語る世界を一つに統合することを目指す。従来のジャーナリズムにはなかった専門性の高い記事で新たなファン層を開拓し、イタリア国内で高い評価を得ている。媒体名のウルティモ・ウオモは「最後の1人=オフサイドラインの基準となるDF」を意味する。

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