元ドイツ代表GKロベルト・エンケの隠された闘いの記録を家族や元チームメイト、監督の証言と本人の日記から描いた『うつ病とサッカー』を翻訳した。エンケには重圧を与えたサッカーが、私の場合はうつからの回復を助けてくれた。
私は3年前までうつに苦しんでいた。
「いた」と過去形で言っていいのかどうかは、今もフラッシュバックがあるのでわからないが、少なくとも2015年10月まで2年半にわたって心理カウンセリングを受けていた。今回『うつ病とサッカー』を訳したのは、いずれ自分のうつの経験を何らかの形で役立てたいと思ったから。ロベルト・エンケの一生を振り返ることは嫌な記憶を思い出させ、しばしば辛い作業だったが何とか世に出すことができた。エンケの友人で家族とも深い関係にある作者ロナルド・レングは、この本を執筆した目的を“うつを知ってもらうことにある”としている。自分の体験をここに書き記すことで、私も彼の意志(それはエンケの意志でもあった)に賛同の意を表したい。
エンケを苦しめ、私を助けたサッカー
ロベルト・エンケの場合、プロサッカー界の重圧はうつの引き金であり得た。「あり得た」と曖昧な言い方をしたのはうつの原因は一つではなく複雑で、エンケの場合も特定はされていないからだ。私の場合は仕事の重圧や元恋人との関係などが推測できたが、原因は不明のまま。なぜだか知らないうちに気分が重くなり、なぜだか知らないうちに気分が軽くなった。で、それで良いのである。原因や理由を探ることにはさほど意味がなく、今回復したことこそが大事なのだ。
なので、確実なアドバイスなどはできない(たぶんそんなものは存在しない)のだが、一つだけ間違いないのは、エンケの場合とは逆で私はサッカーに助けられたこと、少年サッカーの指導者としてグラウンドに立つことがリハビリになったことだ。
ただし、「リハビリ」は「治療」ではない。私がうつから抜け出すために決定的だったのは、2年半にわたる週1回1時間の心理カウンセラーとの対話であり、それ抜きには絶対に不可能だった。カウンセリングに効果があったからこそ、監督業を再開できたとも言える。だから、うつに苦しむ人は必ずまずはカウンセラーや精神科医の下を訪ねてください!
気分転換、ストレス発散、自己評価アップ
さて、なぜ監督業が私の回復の後押しとなったのか?
『うつ病とサッカー』でのエンケの経験と照らし合わせて思うのは、まず①普段の仕事とは別世界だったこと。私の場合、子供の指導は気楽な趣味であり純粋な気晴らしであり得た。もし指導で生計を立てていたら、重圧が増すだけで逆に悪化させていたかもしれない。
次に②強制的に規則正しい生活ができたこと。
編集長&ライター業は孤独な自宅作業だった。それが、週3日の練習と週末の試合が課されることで、家を出てアシスタントコーチ、子供と親、クラブ会長や指導者仲間と交流せざるを得なくなった。面倒臭くても体が重くても寒くても暑くても、彼らのために(自分のためではなく)グラウンドに立たなければならない。必ず決まった曜日と時間に。趣味なのにサッカーカレンダーは容赦なかった。練習と試合がカウンセラーに命じられた規則正しい生活のアクセントになった。
③嫌でも日光を浴びることも良かった。
ベッドから出られないというのはうつの典型的な症状だ。エンケも朝日を憎んだ。太陽の光を浴びることはある種のホルモンの分泌に役立つそうだ。医学的な根拠はわからないが、遮光物もない人工芝の上で直射日光を浴び続けて真っ黒に日焼けすると確かに健康的な外見にはなった。
さらに、④怒鳴ってストレス発散もできた。
聞こえは悪いがこれは事実だ。指導はテンションでありエネルギーがないと伝わらない。小さな声、身振りでは子供の注意を引くことはできない。理詰めよりも熱意。日常生活にはあんなに大声を出せる場はなく、すっきりして興奮気味にグラウンドを後にできた。
最後に、⑤子や親から評価されることも重要だった。
うつの間は、自分は何の役にも立たないどうしようもない駄目人間だと思っていた。そんな地に落ちた自己評価を、子供の笑顔や親の感謝の言葉、チームの勝利が引き上げてくれた。他人の役に立てたことは本当にうれしかった。とはいえ、監督業再開1年目にカップ戦とリーグ戦で優勝した後、セビージャ市王者にまでなったのに、その3冠獲得の翌日「今日もどんよりして楽しめない」と日記に書いていることは、言っておくべきだろう。監督業がいくらうまく行っても、それでもって“うつが治った”なんてことはないのだ。
監督業はうつ回復のリハビリであって、治療してくれたのは心理カウンセラーだったこと、専門家の助けが不可欠であることを繰り返しておきたい。
Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。