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ウルティモ・ウオモ戦術用語辞典#7「ポジショナルプレー」

2018.12.20

それは、あらゆるステレオタイプに反する野心的なプレースタイルの原則と方法論である――。イタリアのWEBマガジン『ウルティモ・ウオモ』が急速に進歩するモダンサッカーを語る上で重要な戦術用語を解説する人気シリーズから、「ポジショナルプレー」への論考をお届けしよう。


 FIFAが認知している最初の国際試合(1872年11月30日のイングランド代表対スコットランド代表)で、イングランドは7人ものFWをピッチに送り出した。しかし、スコットランドは6人しか起用しなかった。彼らは特にフィジカル面で劣っていたにもかかわらず、「パッシングゲーム」でイングランドの意表を突き、引き分けをもぎ取った。サッカーがとりわけ、ドリブルで抜こうとする選手とすねを蹴ってそれを止めようとする選手との個人戦であった時代に、ボールをパスしていたのだ(このすねを蹴るという慣習を規則で禁止すべきか否かは長い間、議論された)。

 したがって、すでにその試合から、つまり、サッカーの歴史の黎明期において、少なくとも3つの重要な問題が明らかであった。まず、FWの数がゴール数を決定するわけではないということ(当該試合に13人のFWがいたものの、スコアは0-0 だった)。次に、サッカーでは顔を上げて思考する必要があるということ(ただし、当時そうしたことはあまり男らしくないと考えられていた)。サッカーはがむしゃらにゴールに向かうゲームではない(ただし、下部リーグ、特にイングランドのそれには今でも抵抗勢力がいる)。最後に、体格は確かに重要だが決定的なものではないということだ(2018年現在でも世界最高の選手の身長は169cmである)。

 パッシングゲームの種はイングランドでも育った。それをオランダのアヤックスに輸出したのがジャック・レイノルズというイングランド人監督だったほどだ。1915年から1947年まで、中断した期間があるものの30年以上にわたって、レイノルズは完全にアヤックスの哲学を変えた。彼は明確に定められた原則に従っていた。それは、ウイングを常に大きく開かせて、中のパスコースを創出するために幅をもって攻撃することをベースとした積極的なプレーである。端的に言えば、リヌス・ミケルスの「トータルフットボール」が、レイノルズが創始したサッカー哲学の一連の流れにおけるクライマックスとなるわけだ。それがカタルーニャに移植されたこと(元アヤックスのイングランド人ビック・バッキンガム、次いでミケルスによるもの)が、ポジショナルプレーという各地域の現実のサッカーに適合した特殊なプレースタイルの成長を決定づけることになる。

 トータルフットボールが何らかの点でポジショナルプレーの“父”であることを認めると、バルセロナの監督としてのヨハン・クライフがポジショナルプレーの伝道者、アヤックスの監督としてのルイス・ファン・ハールが預言者、バルセロナでクライフとファン・ハールの下に育ったペップ・グアルディオラが現代における最大の解釈者である理由が理解できる。バルセロナが受容力のあるチームだったこともあるが、70年代に下部組織の技術的な練習の質を高めた監督のおかげで、メソッドの変化に対する準備はすでにできていた。その監督の名はラウレアーノ・ルイスといい、かの有名なロンド(鳥かご)の発明者を公言している。

 以上がポジショナルプレーの起源を不完全ながらも端的にまとめたものだが、ポジショナルプレーが今日にもたらした結果を理解し、そのスタイルの現代性を正しく捉えることの助けにもなる。しかし、イタリアでは依然として奇妙なまでに異国情緒をまとったコンセプトであるポジショナルプレーとは、一体何なのか。


間違った名前なのか?
Il nome sbagliato ?

 まずは誤解を取り除いた方が良い。ポジショナルプレーはティキ・タカではない。近年はたいてい軽蔑的な意味合いを持つようになった用語であるティキ・タカ(専門的な話をすると、アメリカンクラッカーの音を擬音化したスペイン語で玩具自体を指す)は、クライフのドリームチームの時代にすでに戦術の話題で使われていた。実況キャスターのアンドレス・モンテスが、2006年のW杯でルイス・アラゴネス率いるスペイン代表による連続したショートパスに基づくプレースタイルを説明するために用いた時、ティキ・タカは世界的に有名になった。

 基本的にティキ・タカが意味するのは、相手にボールを渡さないことを目的とした横方向のポゼッションである。ボールをパスするために(ボールを保持するために)パスすることがティキ・タカだ。それがゆがんで行き着いた先が、ティキナッチョ(2010年から2014年にビセンテ・デル・ボスケ率いるスペイン代表がたまに用いた、完全に守備的なポゼッションの形式)である。「何も生まないのであれば横にパスしてはならない」と、現代におけるポジショナルプレーの信奉者の一人であるファンマ・リージョは述べている。これはティキ・タカとまったくの対極にあるものだ。

 ポジショナルプレーという名前の起源は50年代にさかのぼる。イングランド人で元選手のジャーナリストであるイバン・シャープが1952年、ハンガリー代表にとりわけ言及して以下のように記した。

 「外国人がプレースタイルにおいて我われを超えた。サッカーの秘密とスコットランドのパッシングゲームは外国に輸出された。(中略)イングランドのスタジアムの張り詰めた空気と絶え間ない昇格と降格によって、我われのサッカーは乱雑で秩序のないものになった。だが、狂乱はサッカーではなく、他国はより科学的なアプローチを展開した。ポジショナルプレーはより発展したスタイルである。コンビネーションを積み重ねるものだからだ」

 この基本的な定義が生まれてから、66年が経とうとしている。サッカーというゲームはずい分と変化したが、その直観は正しく今も通じるものだ(イングランドのサッカーの狂乱についても然りである)。

 しかし現在、ポジショナルプレーという用語は一つの哲学ないしプレースタイルを指し、様々な原則に基づき、かついくつかの方法論に従って練習するものである。あらかじめ決められた組織構造の中で正しいポジションを占有することの重要性から、その名前が付けられている。つまりは、「ボールの場所がポジションを決定する」「ポジションがボールに向かうのではなく、ボールがポジションに向かう」ということだ。

 簡単にまとめると、選手個々人のポジションがプレーの展開に重要なのだ。だが、それはある目的を達成するための手段に過ぎない。このため、スペインではポジショナルプレーの改名の可能性についてかなり議論されている(国際的な名声もあり、改名はもはや不可能だ)。前出のファンマ・リージョ(チリ代表とセビージャでホルヘ・サンパオリのアシスタントコーチを務めたスペイン人指導者。現ヴィッセル神戸監督)は「配置的プレー」という名称を提案している。なぜならば(マルティ・ペラルナウが著書『Pep Guardiola. La metamorfosis(邦題:グアルディオラ総論/小社刊)』で説明しているように)、選手のいる場所だけでなく、体の向き、姿勢、動作の方向も包含するからだ。つまり、シャープのものよりも満足のいく用語になっている。

 確かなことは、ポジショナルプレーの名前について学ぶことがその理解の助けになるということだ。グアルディオラが言うように、ボールポゼッション自体がポジショナルプレーの内在的価値というわけではない。“ポゼッションプレー”ではなくポジショナルプレーと定義されるのは必然なのだ。

ルイス・アラゴネスから“ティキ・タカ”チームを引き継いだビセンテ・デル・ボスケ。2010年W杯、EURO2012制覇を果たすも、その後は2014年W杯GS敗退、EURO2016ベスト16に終わり退任した


優位性
Superiorità

 理解を深める時間がない、あるいはそうしたくない人向けに簡潔に説明すると、ポジショナルプレーとは一つのサッカーの見方である。その主題は優位性(数的優位、質的優位もあるが、特に位置的優位)の追求にある。優位性の追求はボール支配をその手段としており、特定の練習を通じて定められた一連の動きに基づいている。

 チームの組織化を通じてピッチの一部に何らかの優位性を得ることを目指す。当然、ポジショナルプレーの性質上、位置的優位が一番良い優位性だ。ジャーナリストのフラビオ・フージが示すように、位置的優位とは「ライン間で選手をフリーにして複数のパスコースを空けることからなる」優位性である。この優位性において、鍵となるのはいわゆる“フリーマン”である。すなわち、マークもなく、次のプレーのためのスペースと時間を確保しており、自由にボールを受けることのできる選手だ。フリーマンを得ることこそが、ポジショナルプレーの真の目的であり、位置的優位の最高段階なのだ。当然、フリーマンがボールのラインより前にいることが望まれる。できれば相手の横かつ背後であれば良い。それはチームの攻撃を進められる位置でなければならない。

 リージョの言葉を借りると、ポジショナルプレーは様々なプレッシャーラインの背後に優位性を生み出すことからなる。このため、攻撃の最初が肝心なのだ。相手の第1プレッシャーラインに対して優位性を築かないと、正しく攻撃が展開できないからだ。このことから、サリーダ・ラボルピアーナ(編注:後方からのビルドアップにおいてMFが1人、 2CBの間に下りてくるメカニズム)とフィールドプレーヤーとしてのGKが重要であることがわかる。つまり、位置的優位を決定し得るフリーマンを得るためのサポートをすることができるようになるわけだ(それらが自陣で数的優位を得るために最も簡単な方法でもある)。

グアルディオラはバイエルンに来た当初、しつこくポジショナルプレーの練習をしていた。相手を崩した後の最終手段としてクロスを送る以外にサイドへ行ってはならない。常にライン間のリベリとゲッツェを探す。一方のサイドに人数をかけて他方のサイドを攻める。以上のようなことを指示していた。選手たちにとってポジショナルプレーの方法論はとにかく目新しく、学校に帰ってきたようなものだ。このため、何人かの名選手はバイエルンで成功できなかった

 アディン・オスマンバシッチがWEBサイト『Spielverlagerung』に寄稿した素晴らしい記事の中でペラルナウが示すように、ポジショナルプレーとは徹底して体系化され、細部に至るまで研究され仕込まれているプレースタイルだ。選手はあらゆる瞬間においてプレーの様々な可能性や自分のタスクを知っていなければならない。実際に動きのカタログに精通し、それらを個人技術によってピッチで実行できなければならない。つまり、平凡なことではないのだ。

 選手の助けとして、ポジショナルプレーの使い手は通常、練習用のコートを4本の縦線(各々2本ずつのサイドのレーン、ハーフスペースと中央のゾーンに分かれる)と様々な横線で分割する。グアルディオラは選手に対して、ボール、味方、スペース、相手のポジションに応じて、どのようにしてどこに動くのかを教える(まさにアリーゴ・サッキのようだ)ために、この区分を使う。

 決定的な区分が縦のそれである以上、最も重要なゾーンはハーフスペースだ。同じ縦のレーンに3人以上の選手、横のラインに4 人以上の選手がいてはならない。このことからも、ポジショナルプレーの真のマエストロはインサイドMFであることがうかがえる。アンドレス・イニエスタケビン・デ・ブルイネといった者たちがライン(横のラインはもちろんのこと、それ以上に縦のライン)の間に位置することで、常に位置的優位をチームに与える。

 ペラルナウの『Herr Pep(邦題:ペップ・グアルディオラ キミにすべてを語ろう)』で、グアルディオラは「基本的に同じサイドのウイングとSBは絶対に同じレーンにいてはいけない。理想的なのはCBが広がった時は、SBは内、ウイングは外だ」と述べている。ここから“偽サイドバック”のアイディアが生まれた。思い上がった考えではなく、フリーマンを得るためのメカニズムだ。相手のウイングがSBの外から中への動きについて行くと、CBはウイングに直接ボールを縦につけることができる。相手のウイングがパスコースを切るためにサイドに残るのであれば、SBが中央のゾーンで位置的優位を生み出すフリーマンになる。このようにして継続的にトライアングルとロンボ(ひし形)を形成することができる。選手が他のレーンに“侵入”すると、そこにいる味方は出て行かなければならない。

 フリーマンにボールを入れるために、ポジショナルプレーでは様々な戦略を使う。今のグアルディオラのマンチェスター・シティ(とかつての彼のバイエルン)における最もわかりやすい戦略の一つは、サイドのオーバーロード(編注:一定のエリアに人数を集中させること)である。すなわち、一方のサイドで素早いショートパスを回して攻撃を展開する一方、逆サイドのウイングを開かせたままにしておく。目的はサイドチェンジでその選手にボールを入れることで、相手のDFとの1対1を作り出して、質的優位(選手個人の質に基づく優位性)を使うことだ。

 このことから、相手を容易にかわせる選手はポジショナルプレーに完璧な存在なのである。レロイ・サネのような選手は、大部分のDFに対して質的に(スピード、ボールコントロール、体の向きにおいて)優位に立っている。ここでも別の誤った神話が崩壊することになる。抜くドリブルはポジショナルプレーにおけるバグの一種であるという神話だ。それはまったく間違っているどころか、抜くドリブルは攻撃アクションにおける特定の目的になることすらある。

 ポジショナルプレーは単純な原則に基づいている。サッカーというスポーツの道具がボールである以上、チームはボールを持ってプレーできなければならないというものだ。

 このことからも、ポジショナルプレーの方法論がロンドに負うところが大きいことがわかる。ロンドは単純でありながらポジショナルプレーの主要なテーマ(相手を引きつけるための近距離のコンビネーション、遠くの選手へのパス、中のパスコースの追求)を習得できる練習なのだ。

 ボール、ひいてはボールポゼッションは基本的な手段である。それを用いて、一方ではチームは陣形を整えながら相手の陣形を乱すことができ、他方では守備をすることもできる。前者の場合、ボールの動きに応じて選手が様々な役割を担う。そこでは「サリル・フガンド」(選手、ポジション、ボールが一緒に動くこと)が目標とされる。後者の場合、攻守の両局面は連続したものであり、攻撃する意志こそがポジショナルプレーのアプローチを決定づけるという考えが根幹にある。

 グアルディオラの言う有名な「15本のパス」とはピッチを前進するために必要なものだが、これは挑発的な文句などではない。一緒に前進して初めて攻撃と、特に守備がうまくいくという考えなのだ。15本のパスの間に自チームの陣形を整える一方で、相手はボールを奪うために陣形を崩すことになる。15本繋げた場合、ボールの周囲において自チームはコンパクトになるので、ボールを奪い返すことがずい分と簡単になる(4秒から6秒のプレッシャーでボールを奪い返せない場合、撤退する)。ゲーゲンプレッシングはポジショナルプレーの基本的要素なのだ。

 時間を無駄にする必要はない。ボールを前線にすぐに入れても、後方にすぐに戻ってきて、守備をしなければならなくなる。このため、15本のパスは攻撃のための手段であると同時に守備のための手段でもある。ポジショナルプレーにおいては、ボール支配を通じて試合を意のままにすることで、相手に自チームの戦略を強いることができると考えられている。相手に思惑通りではなく自チームの動きに対応するように守らせるというものだ。つまり、ボールを動かすのはそれが相手を動かす助けになるからなのだ。


イデオロギーではない
Non è un’ideologia

 様々なやり方とタイミングでプレッシャーラインの背後に優位性を生み出すことができる。縦志向の強いポジショナルプレーもできるということだ。少ないパスを使って、ボールから遠いフリーマンにより頻繁にボールを入れて、速く攻めるのである。これこそがアントニオ・コンテのイタリア代表がEURO2016で使ったポジショナルプレーの類型である。イタリアのメディアは誰もこれがポジショナルプレーのイタリア版であることに気づいていなかった。よりよく理解するため、マルティ・ペラルナウの記事を引用する。

 「異なる高さに配置された選手、中のパスコースを空けるために幅を取るチーム、フリーマンの追求、相手の背後における数的優位の創出。これらはイタリア代表が実践したポジショナルプレーの土台のすべてである。ポジショナルプレーとしてアイディアは少ないが、非常にうまく実行している。ピッチ中央においてDF からボール出しをする際の優位性の追求、インサイドMF や3CB に代わり常にフリーマンとなるアンカーの存在といったアイディアがあった」

 マウリツィオ・サッリ(現チェルシー監督)が実践するものも、スペースの占有、フリーマンの追求、一方のサイドのオーバーロードとそれに伴う逆サイドの攻撃という点で、ポジショナルプレーの特徴を備えている。ポジショナルプレーを実行することなく、その手段の一部だけを使うというのも可能なのだ。だが一方で、真のポジショナルプレーというものは存在しない。グアルディオラのそれも進化の途上にある。つまり、イデオロギーを信ずるということではなく、見方と方法論を選択するということなのだ。

 したがって、ポジショナルプレーはどこでも実践できる。見た目通りにスペイン(とオランダ)のサッカーに結びついているわけではない。当然、それを再解釈できる現地の監督がいた方がいい。プレー哲学の輸出は民主主義の輸出に比べて成功しやすいとはいえ、複雑なのは間違いないからだ。グアルディオラは、バルサのサリル・フガンドに比べて、ドイツとイングランドではプレーの縦志向を強めなければならなかった。

信じられないくらいに単純なロンドで戦術的な手段を鍛えることができる。ロンドこそがポジショナルプレーの真のエッセンスである。優位性を創出、特定、利用することを練習できるからだ。当然、複雑なバージョンもある。“コベルチャネーゼ”(イタリアサッカー連盟のテクニカルセンターがあるコベルチャーノで使われるような専門用語)では、こうした類型の練習のセットを複数形でポジショナルプレーズという

 よくポジショナルプレーは一定の技術(高い個人の質)とフィジカル(背が低く素早い選手)を備えたチームでないとうまくいかないと言われるが、それはステレオタイプである。インテリジェンスを備えサッカーを理解する選手を特に必要とするプレースタイルであり、さほどありふれたわけではないが、さして珍しくもない類型というのが本当のところだ。こうしたことからも、ラームやブスケッツのような選手がポジショナルプレーの解釈に秀でているわけだ。選手の質に関して言えば、パコ・ヘメスのラジョ・バジェカーノ、またはブレンダン・ロジャーズ(現セルティック監督)とその後任のミカエル・ラウドルップによる“スワンゼロナ”(スワンジーとバルセロナからなる造語)を挙げればいいだろう。パコ・ヘメスについては、確かに無茶なことをしたとはいえ、カンプノウとベルナベウで自身のポジショナルプレーを披露しようと試み、同時に3年連続でリーガに残留した。

 イタリアではロベルト・デ・ゼルビ(現サッスオーロ監督)のフォッジャという例があった。17-18シーズン、彼はベネベントでも試みている。この両チームは移籍市場に回す予算もなく、“普通”の選手を抱えており、バルサと何の共通点もない。おそらくイタリアには新しいものと違うものに対する恐怖というものがあるに過ぎない。それにより、一方ではメディアがポジショナルプレーを嘲笑しその価値を貶めることに走る結果(「あれだけの金と選手があれば誰でも勝てる」というお決まりの文句とともに)、観衆はポジショナルプレーを理解できなくなってしまう。他方では、その恐怖によって監督たちはアリバイをだらだらとしゃべるようになる(例として、エミリアーノ・モンドニコはアルビノレッフェの監督時代に「我われはバルセロナではない。オラトリオ(教会に隣接した青少年の娯楽場)で幼き頃にプレーしていたようにプレーしなければならない。必要とあらばスタンドにもボールを蹴り込むんだ」と言っていた)。他のスタイルより良いも悪いもない。様々な適用例のあるプレーのアイディアに過ぎない。

この一コマの前段階を説明すると、ベネベントは相手を引きつけるために後方でしつこくボールを循環させてから、ナポリの中盤ラインの背後かつハーフスペースにフリーマン(ジュリチッチ)を得た。写真では選手たちが縦のレーンを埋めていることが見て取れる。2選手が同じレーンにいるが、違う方向へと動き出している(中央のレーンを埋めに行くのがジュリチッチ)。つまり、ポジショナルプレーを実践するには、イタリアで練習しても十分なのだ

 確かに簡単だとは誰も言わない。それどころか、ポジショナルプレーは選手に謙虚さを要求するので、実行するのが難しいとグアルディオラ自身は考えている。選手はボールから離れていてもたくさんの動きをして、ボールに直接関与することなく、ボール周辺の味方を助けなければならないという長いプロセスがある。これをするためには、サッカーインテリジェンスとたくさんの練習が必要となる。

 ポジショナルプレーというプレー哲学は、相手陣内で守備をすることからリスクは大きく、試合全体の支配を狙うことからとても野心的である。また、カウンターカルチャーでもある。運動面でもさらに負荷がかかるのだ。これについては、グアルディオラがバイエルンに来てすぐに「常にボールを使いながら練習している以上、もう森の中を走るトレーニングは必要ない」と言った際の選手の驚きが有名だ(彼の発言に対して、選手たちはやはり練習後に彼の下へ行き、物足りなさを感じて森の中を走りたいと言った)。

 ポジショナルプレーにおいてはほぼすべてのことが直観に反している。攻撃の局面は守備の局面の準備である。よりうまく攻撃するためにDFが、中央を埋めるためにサイドの選手が、足を使ってプレーするためにGKが必要である。一方のサイドを攻めるために他方のサイドに人数をかける。CFはスペースである。前進しながら守る。

 スコットランドの単純なパッシングゲームから始まり、サッカーはどれほど遠くまで到達したことか。宿命に勝利しそれを支配しようという意志のもと、新しく精巧かつ華麗な頂点を常に目指して、サッカーはそこにたどり着いたのだ。


■ウルティモ・ウオモ戦術用語辞典
#1「ハーフスペース」
#2「マンツーマンとゾーン」
#3「トランジション」
#4「スイーパー=キーパー」
#5「サリーダ・ラボルピアーナ」
#6「ダイアゴナル」

#7「ポジショナルプレー」

■知られざる北中南米戦術トレンド
「アシンメトリー」
「メディア・ルーナ」
「タッチダウンパス」
「プラネット・サークル」

Photos: Bongarts/Getty Images, Getty Images
Analysis: Emiliano Battazzi
Translation: Sota Tanaka

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ポジショナルプレー戦術

Profile

ウルティモ ウオモ

ダニエレ・マヌシアとティモシー・スモールの2人が共同で創設したイタリア発のまったく新しいWEBマガジン。長文の分析・考察が中心で、テクニカルで専門的な世界と文学的にスポーツを語る世界を一つに統合することを目指す。従来のジャーナリズムにはなかった専門性の高い記事で新たなファン層を開拓し、イタリア国内で高い評価を得ている。媒体名のウルティモ・ウオモは「最後の1人=オフサイドラインの基準となるDF」を意味する。

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