9月に開幕したUEFAネーションズリーグ(UNL)でフランス、ドイツを抑えGSを突破、復活を印象づけたオランダ代表。その原動力となっているのが、若い世代の台頭だ。中心となっているのはアヤックスやPSV、フェイエノールトといった強豪の選手たち。だがそんな中にあって異彩を放っているのが、隣国ベルギーで大ブレイクを果たした21歳の俊英だ。
※月刊フットボリスタ2018年11月号掲載
国境を接しているベルギーとオランダの間では、古くから指導者や選手の行き来が多い。近年ではクラブ・ブルージュが多くのオランダ出身選手を抱えており、今季は主将のルート・フォルマーをはじめステファノ・デンスウィル、ソフィアン・アムラバド(モロッコ国籍)、アルノー・フルーネフェルトの4人が所属している。
特に、オランダリーグのNECとクラブ・ブルージュの間にはちょっとした逸話がある。15-16にNECでエールディビジ7ゴール7アシストという結果を残した左ウインガー、アンソニー・リンボンベ(現ナント/国籍はベルギーとコンゴ)が、翌シーズン移籍したクラブ・ブルージュで左ウイングバックにコンバートされて大ブレイクした。
そして今季、クラブ・ブルージュの左ウイングバックとして活躍している「リンボンベの後継者」フルーネフェルトも、昨季は2部だったがNECで左ウイングとしてプレーした選手なのだ。
フルーネフェルトは瞬く間に、左ウイングバックのコツをつかんだ。シーズン開幕を告げるスタンダールとのスーパーカップで1アシストを記録するなど、攻守にダイナミックなプレーを披露し2-1の勝利に貢献。以降、レギュラーに定着した。
登録名変更のワケ
フルーネフェルト――オランダ語で「緑のピッチ」と訳すこともできる美しい名字だ。ところが、スタンダール戦のユニフォームにプリントされていたのは「ダンジュマ」という名前だった。
「名前を変えたのか!?」
ベルギー人記者たちは不思議に思い、本人に尋ねた。
「僕の父はオランダ人。母はナイジェリア人。ダンジュマは母方の名字で『金曜日に生まれた人』という意味を持つ。パスポートにはアルノー・ダンジュマ・フルーネフェルトと記されている」
ナイジェリアの首都ラゴスで生まれたフルーネフェルトは、5歳の時にオランダ・ブラバント地域のオスに住むようになった。なかなか難しい幼少期だったようで、3度養護施設に預けられたという。PSVユース時代はお金に苦労し、こっそりとPSVの衣服などを友人やWEBサイトを通じて売って小銭を稼いでいたそうだ。その一方で、学業を疎かにしなかった勤勉さも併せ持っている。
結局、PSVではチャンスをつかめずNECへ。そこでのフルーネフェルトの活躍は、オランダの3大クラブすべてのほか、ドイツやイングランド勢(マンチェスター・シティ含む)の目を引いた。つまり、PSVもフルーネフェルトを買い戻そうとしていたのだ。しかし、彼は数多ある選択肢の中からクラブ・ブルージュを選び、今季ベルギーリーグのセンセーションとなっている。
CLのGS第2節アトレティコ・マドリー戦では強烈なミドルシュートを決め、10月のオランダ代表メンバーに選出。昨季、オランダ2部を主戦場にしていた21歳が、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで欧州サッカーシーンに名を広げている。
Photos: Getty Images
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中田 徹
メキシコW杯のブラジル対フランスを超える試合を見たい、ボンボネーラの興奮を超える現場へ行きたい……。その気持ちが観戦、取材のモチベーション。どんな試合でも楽しそうにサッカーを見るオランダ人の姿に啓発され、中小クラブの取材にも力を注いでいる。