未来を嘱望されたタレントに、突如として襲いかかった悲劇。あれから1年以上の時が経った、だが――リスペクト、エール、感謝。人々の胸のうちにあるアブデルハク・ヌーリへの想いは色褪せることなく、特別であり続けている。
※月刊フットボリスタ2018年10月号掲載
今シーズン、4季ぶりにCLのGSの舞台に戻ってきたアヤックス。ボールを持ったら絶対に失わないというオーラ、奪われたらすぐに奪い返すハイプレッシング、遊び心にあふれたドリブル、意外性のあるスルーパス――そのパフォーマンスは実に圧巻だった。アブデルハク・ヌーリが昨夏、プレシーズンマッチで意識を失い、そのままサッカーができなくなってしまったショックから15カ月あまり。アヤックスはやっと、16-17のEL決勝に勝ち進んだ時のフォームを取り戻したようだ。
私の手元に15年1月の、やや黄ばんだ1枚の新聞がある。「ファン・デ・ベークとヌーリはデ・トゥコムスト(=未来。アヤックスの育成施設)の宝石。アヤックスの育成ウォッチャーいわく『ヌーリを見て即座に“ニュー・クライフ”だと思った』」という記事だ。これまで多くのニュー・クライフが生まれては消えていったが、ヌーリに関して誇張はない。私も含め、多くのサッカーファンが彼の妙技を見るためにデ・トゥコムストへ足を運んだ。
アヤックスで躍動する同世代
CLの予選プレーオフの試合を振り返ると、ヌーリと同世代の選手の躍進が飛び抜けて目立っていた。CBマタイス・デ・リフト(19歳)はゲームキャプテンを務め、MFフレンキー・デ・ヨンク(21)はバルセロナからラブコールを受けていた。ドニー・ファン・デ・ベーク(21)、カレル・アイティング(20)も貴重な戦力としてクラブのCL返り咲きに貢献。わずかな出場時間ながらMFダニ・デ・ウィット、CFカイ・シールハウス(ともに20)も重要な試合で実戦経験を積んだ。この2人は昨シーズン、2部リーグで優勝したアヤックスのリザーブチームの中心メンバーだ。ここにも多くの「ヌーリ世代」の仲間がいた。「優勝はアッピー(ヌーリの愛称)に捧げる」というチームメイトの言葉は胸に響く。
ユースティン・クライファート(ローマ)、フィリップ・サンドラー(マンチェスター・シティ)、サニエス(NEC)らが移籍先でヌーリが付けていた「34」を背番号にし、育成年代の時に頻繁にヌーリのいるアヤックスと戦ったウスマン・デンベレはスパイクに「#NOURI 34」という刺繍を縫いつけてプレー。
さらにヌーリが昔、サッカーをしていた「ナイジェル・デ・ヨンク広場」は、N.デ・ヨンク本人の申し入れもあって今は「アブデルハク・ヌーリ広場」に名を変えた。
なぜヌーリは特別なのだろう。家族は言う。「自分たちはアッピーのすべてを知っていると思っていた。だけど『自分は手術のお金がなかったが、全部、払ってもらった』『主人と別れて独り身になった私に経済支援してくれた』という後から話がどんどん出てきた。彼は、ひっそりとそういう助けをしていたんだ」。
ヌーリ自身はやっと昏睡状態を抜け、家族の「首を振ってみろ」「眉を動かしてみろ」という言葉に反応するようになった。「これもコミュニケーションの一つ」と兄は言う。医学的には完治は無理。だが、家族は奇跡を祈っている。
Photos: Getty Images
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中田 徹
メキシコW杯のブラジル対フランスを超える試合を見たい、ボンボネーラの興奮を超える現場へ行きたい……。その気持ちが観戦、取材のモチベーション。どんな試合でも楽しそうにサッカーを見るオランダ人の姿に啓発され、中小クラブの取材にも力を注いでいる。