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トリッピアー&マグワイア。“雑草軍団”イングランドの象徴

2018.09.11

この2人、ロシアで躍進した“セットプレー・ライオンズ”の象徴である。世界的には無名だったキッカーとヘッダーは、ともに苦労人。小クラブから「自分自身の旅」を続け、そしてW杯で花開いた。


Kieran TRIPPIER
キーラン・トリッピアー

1990.9.19(27歳) 178cm / 72kg

■ロシアW杯スタッツ
出場試合(時間):6(627分)
得点 / アシスト:1 / 1
シュート(枠内):3(1)
パス(成功):328(244)
ファウル / 被ファウル:6 / 6
走行距離(1試合平均):67.64km(11.27km)


Harry MAGUIRE
ハリー・マグワイア

1993.3.5(25歳) 193cm / 98kg

■ロシアW杯スタッツ
出場試合(時間):7(700分)
得点 / アシスト:1 / 1
シュート(枠内):11(3)
パス(成功):415(380)
ファウル / 被ファウル:7 / 6
走行距離(1試合平均):65.06km(9.29km)


 セットプレーこそ生きる道。そう心に決めて、ギャレス・サウスゲイト監督はバスケやアメフトのエッセンスも取り入れながら徹底的な研究をして、ロシアW杯に臨んだ。「流れの中で点が取れない」という揶揄もどこ吹く風で、スリー・ライオンズは全12ゴールのうち9つをセットプレーから奪い、我が道を行って28年ぶりの4強進出を果たした。

 そんなチームのキーマンが、キーラン・トリッピアーだった。プレミアきっての良質なクロサーである彼は、トッテナムではデンマーク代表のクリスティアン・エリクセンに譲っているプレースキッカーの大役を任された。期待に応え、チーム最大のチャンスメイカーとなり、準決勝クロアチア戦では自慢の右足から鋭い直接FKも決めた。W杯でイングランドの選手が直接FKで得点したのは、06年大会のデイビッド・ベッカム以来。いつしか、英国の人々は彼を「ベリーのベッカム」と呼ぶようになった。

 「ベッカムほどの才能はないよ」。マンチェスター近郊の街、ベリーで生まれ育った彼はそう謙遜するが、少年時代からベッカムのキックが大好きでお手本にしていた。9歳から在籍したマンチェスター・シティのアカデミーで来る日も来る日もキックの練習を重ねたから、今がある。

 ただ、キャリアは遠回りの連続だった。トップチームで出場機会を得られないまま20歳でシティを放出され、当時2部のバーンリーで懸命に実績を積み上げてスパーズ移籍を勝ち取った。そこでも先発に定着するまで2年もかかった。彼自身の言葉を借りるなら「我慢の連続」だったのだ。

 トリッピアーに限らず、今回のイングランドは雑草軍団だった。脚光を浴びた新守護神のジョーダン・ピックフォードも、出身はサンダーランド。エースで主将のハリー・ケインだって、スパーズの生え抜きではあるが期限付き移籍による下部クラブでの下積み時代があった。

 そして、もう1人のハリーもまたそうだった。準々決勝スウェーデン戦でCKを頭で合わせて決勝点を挙げたDF、ハリー・マグワイアだ。今大会で株を上げて「イングランド最高のストッパー」と言われるようになった彼も、もともとはシェフィールド・ユナイテッドで2部リーグを戦い、ハル、レスターと一歩ずつステップアップして代表に滑り込んだ苦労人。10代の頃は周囲の誰も彼がW杯に出るなどとは思っておらず、むしろ数学が得意だったため会計士になる方が現実的だった、と学生時代の恩師は語っている。

 トリッピアーの言葉を借りるなら、人間は「誰もが自分自身の旅をしている」。道筋がどうあれ、その中で強い意志を持って諦めずに挑戦を続けた者だけに、未来が拓ける。エリートでも、スーパースターでもない。それをわかった上で「自分自身の旅」を愚直に続けたからこそ、決して最強ではなかったヤング・ライオンズは世界で4番目のチームになれた。

Photo: Getty Images

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大谷 駿

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