タレント軍団と称されたロシアW杯でのベルギーは、実際にはチームプレーに徹した集団だった。中でもキャプテンの献身、エデン・アザールというドリブラーらしい熱く、泥臭いプレーの数々に心を動かされた。
Eden HAZARD
エデン・アザール
1991.1.7(27) 173cm / 74kg BELGIUM
■ロシアW杯スタッツ
出場試合(時間):6(552分)
得点 / アシスト:3 / 2
シュート(枠内):17(6)
パス(成功):267(219)
ファウル / 被ファウル:6 / 28
走行距離(1試合平均):56.86km(9.47km)
エデン・アザールがロシアW杯で残した数字のうち最も誇りに思っているのは、3ゴールでも2アシストでもなく、全選手中最多の被ファウル数「28」ではないか? 1試合当たり「4.7」はあのネイマールに次ぐ2位である。もらった一つひとつのファウルがドリブルを挑んだこと、チームを背負ったことの証であるからだ。
ベルギーはタレント集団ではあったが、個人プレーに走るチームではなく、チームプレーに徹したチームだった。そのリーダーであるキャプテン、アザールも余計なドリブルでカウンターをスローダウンさせることはなかった。ドリブルすれば高い成功率を見せていたからこそ、自分が決めたいという我を抑えてデ・ブルイネやルカクに決定的なパスをする選択が余計に輝いて見えた。やれば抜けないことはない。だが、チームの得点のための最短距離を常に彼は選び、そのために自分を犠牲にすることを厭わなかった。
ワンマンチームの大黒柱が次々と倒れていった今大会、彼らに匹敵する才能がありながら、アザールはフォア・ザ・チームであり続けた。キャプテンとしてチームが苦境に立てば立つほど、チームメイトにボールを要求し続けた。“俺に渡せ、俺が何とかする”という声が聞こえてきそうなくらい熱いプレー。期待外れだったワンマンの中には逆境で消えてしまった者もいたが、この点でもアザールは並みのタレントとは異なっていた。
忘れられないシーンが2つある。
1つ目は、ブラジル戦の終盤、猛攻を受けていた時のことだ。ルカクが交代し1トップとしてただ一人、前に残ったアザールはドリブルを執拗に仕掛けた。これは個人プレーではなく最高のチームプレーだった。押し込まれた仲間ははるか後方にいてパスの選択肢はない。ならばドリブルをしてファウルをもらい時間を使う、というのは当然の判断だが、あの時間帯で体力を消耗するドリブルを選択するのは簡単ではない。だが、アザールは挑んだ。彼がプレスをかわして鮮やかに反転しボールを運び始めると、相手はたまらず足を出す。10分足らずの間に2つのファウルをもらい、2つのファウルを犯してプレーを止めている。こういう泥臭いプレーで試合を安全に終わらせたブラジル戦、自分はゴールもアシストも記録しなかったゲームを、クラブでの試合を含めて「キャリア史上最高」と振り返っていたのは、まことに彼らしい。
2つ目は、イングランドとの3位決定戦のやはり終盤。82分、自らの駄目押しゴールで祖国にとって初の3位の座を確保したアザールは、そこから珍しく“個人プレー”に走る。3度あったカウンターのチャンスを、いずれもラストパスをデ・ブルイネに出すことに固執して潰してしまうのだ。自分のボールでアシストをしてくれたデ・ブルイネにも得点させたい、という配慮がうかがえた。タレントをチームに捧げキャプテンの責任をまっとうした彼への注目は、大会を経てさらに大きくなったはずだ。
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Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。