ゲームモデルから逆算されたトレーニングは日本に定着するか?
『モダンサッカーの教科書』から学ぶ最新戦術トレンド 第2回
書籍『モダンサッカーの教科書』は、ヨーロッパのトップレベルにおいて現在進行形で進んでいる「戦術パラダイムシフト」を、その当事者として「生きて」いるバルディとの対話を通して、様々な角度から掘り下げていく一冊だ。
この連載では、本書の中から4つのテーマをピックアップしてモダンサッカーの本質に迫る。第2回は育成年代の指導者でもある、らいかーると氏に「ゲームモデルから逆算されたトレーニング」について解説してもらった。
まえがき
プロのチームがどれだけ綿密に計画されたゲームモデル、プレー原則、相手への対策をしているかを、グラスルーツの指導者が知るすべはない。しかし、本書にはインテルの対策という形も含めて、プロのチームのトレーニングの詳細が載っている。これはかなり画期的なことだと言っていいだろう。ここまで外に出してしまっていいのだろうかと心配になるレベルだ。プロのスタンダードを知られるという意味でも必修にすべき内容だと思う。プロがこれだけ細かいのならば、グラスルーツの指導者である自分たちもどれくらいの細かさでやるべきかという基準ができることは非常に大きなことだ。
その中でも最も心に響いた部分が以下の部分になる。
「戦術的な負荷のベースになるのは、チームに対してインプットする情報量です。しかし、それだけではなく、セッションの長さ、つまり、集中力を維持すべき時間の長さや、直面する状況の複雑さ、判断すべき要素の多さといった要素も関わってきます」
心に響いた理由は、情報量の調整が戦術的な負荷のベースになるという点だ。トレーニングのメニューの作成において、情報量を整理することが日本で一般的になっているとは思えない。このトレーニングメニューでは、ボール保持者の選択肢はいくつあって、見るべきものはいくつあるのか? そして、それを認知し、自分たちのゲームモデル、プレー原則に基づいてプレーすると、どのような現象が起きるのか? これらを整理してトレーニングをすることは当たり前だよな? と本書から警告を受けている気がした。
よって、これからは改めて襟を正して行かなければいけない。まずはチームのゲームモデルを決めよう。そして、ゲームモデルを実行するためのプレー原則を整理する。トレーニングは試合で起こりうる戦術的状況を再現し、その状況において最善の選択肢を実行できるような内容にしていこう。さらに、認知と判断に必要な変数を調整することで、戦術的負荷に注意を払いながらトレーニングを見守っていこう。こうした日常のトレーニングの質を高めることが日常の基準を高めることに繋がっていくと信じて取り組んでいけば、この世界の片隅からでも、少しは日本のサッカーに役立てるのかもしれない。そんなことを考えさせるバルディからの提言であった。以下、本書でも取り上げられている「ゲームモデルから逆算されたトレーニング」というテーマで、私の思うところを書いていきたい。
ゲームモデルとプレー原則
サッカーのトレーニングの進化の過程を一言で表すと「サッカーはサッカーをすることでうまくなる」という元バルセロナの村松氏の名言に近づいていっている(それぞれの言葉の定義は筆者オリジナルなものになっている可能性が高いです。正しい定義は違う!などなどあると思いますが、ご了承ください)。
最初にサッカーの進化について考えていく。
サッカーをトレーニングする過程で最も大切になっている考えがゲームモデルだ。平たく言うと、ゲームモデルは「自分たちのサッカー」だ。「自分たちのサッカー」は、チームがピッチでプレーする方向性、絵を全員で共有し実行することだ。具体的にいえば、ボール保持を長所とするのか、トランジションを武器とするのか、非ポゼッションをどうするのかなどなどを「自分たちのサッカー」として決定する作業となる。
もちろん、目の前にいる選手をないがしろにしてゲームモデルを決定するのは愚の骨頂とされている。一方で、チームの哲学や育成年代では選手の教育が優先されるケースが目立っている。特に育成年代では「段階的なサッカーの教育」としてゲームモデルが決定されるべきだろう。
「自分たちのサッカー」を試合で実行するためには、プレー原則をトレーニングする必要がある。プレー原則はある状況下において、個々の選手がどのようにプレーすべきかという基準になる。プレー原則は不変なものもあれば、ゲームモデルによって設定されるものもある。
前者の具体例は、ボール保持者に対するチャレンジ&カバーの原則だ。50年後も大きく変化することはないだろう、たぶん。後者の具体例は、ゲームモデルがとにかくボール保持だとすれば、必ずサイドラインを踏む選手を準備することで、ピッチを広く使うなどが挙げられる。
大切なことは、チーム全員でプレー原則を共有できるようにすることだ。全員が同じ絵を描ければ、細かい決まり事が気にならなくなっていく。理想の形が明確であればあるほど、細かいことなどなくなっていくように。
サッカーは相対的なスポーツであるように、相手が存在する。よって、「自分たちのサッカー」に相手が対策をしてくるのが常だ。よって、「自分たちのサッカー」を実行するためには、相手によって微調整が必要になってくる。
グアルディオラが監督をしていた頃のバイエルンは、試合が始まってみないと誰がどのポジションに配置されているかわからなかった。非常に解説者泣かせのチームであったことをよく覚えている。グアルディオラのチームの根底にあるプレー原則は「ボールを保持して試合を展開する」だ。そのプレー原則を機能させないように相手はあらゆる対策を行ってきた。しかし、相手の対策への微調整をすることによって、「自分たちのサッカー」を貫くことにグアルディオラは成功していた。
ゲームモデルを決めること、ゲームモデルを実行するためのプレー原則を整理すること、ゲームモデルを機能させないようにしてくる相手に対して、緻密な準備をすることで差が生まれる世界にサッカーは進化してきている。その細かさは異常な一方で、ゲームモデルが明確であればあるほど、その細かさが無意識レベルに落とし込まれるという流れになっている。
トレーニングの進化
無意識レベルでゲームモデルを実行する鍵は、トレーニングにある。次にトレーニングの進化について考えてみる。
かつてのサッカーのトレーニングは、技術は技術、戦術は戦術、フィジカルはフィジカルと別々にトレーニングされている時代があった。
例えば、技術トレーニングは相手のいない状況でリフティングをしたり、コーンドリブルをしたり、パス&コントロールをしたり。戦術トレーニングは11対0で動きの型を反復することが代表例と言える。フィジカルトレーニングは陸上部か!というくらいに走り込むことが日本ではよく行われている。
しかし、これらは非効率ではないか? と考えられるようになってきた。例えば、ゲームモデルを実行するために必要なプレー原則として、SBの身体の向きがあったとしよう。相手のいないパス&コントールで遠い足でボールを受けようとコーチングを延々と繰り返すよりも、相手のいる状況で遠い足でボールを止めたら相手がどのように動いた? どのような現象が起きたか? を学ばせた方が、技術習得において効率が良いとされるようになってきた。
つまり、自分たちのプレー原則、戦術を実行しながら技術トレーニングをした方が、効率が良かった。さらに、試合状況に近い状態でのトレーニングは、サッカーで使うフィジカルトレーニングも同時に可能となる。戦術が明確でなければ、どの技術が必要とされているかも定かではないし、その必要性を実感することも難しい。最低限のフィジカル能力がなければ、技術、戦術の実行を続けることは難しくなるだろう。よって、技術、戦術、フィジカルはそれぞれが依存し合う関係になっていることから、まとめてトレーニングをするという形が定着してきた。
サッカーとトレーニングの進化によって必要とされたトレーニングが、本書にもある統合型トレーニングと言っていいだろう。ゲームモデルを実行するためのプレー原則を、試合に近い状況でトレーニングする。相手によってはゲームモデル、プレー原則を微調整していく。そして、実際の試合で起きた現象に素早く対応するために、できる限り細かく具体的な状況に対するトレーニングを綿密に計画していくことが現代のサッカーで必要されているトレーニングと進化してきたのであった。
日本の現場の実情
最後に日本の現場で統合型トレーニングが主流となりえるかについて考えていきたい。
2014年に元フットサル日本代表のミゲル・ロドリゴによって、新しいトレーニングメソッドが日本に広く紹介された。それがインテグラルトレーニングだ。ミゲル・ロドリゴいわく、インテグラルトレーニング=技術+戦術+フィジカル+認知力+決断力+集中力+モチベーション+守備戦術+攻撃戦術+ゲーム戦略+相手+ピリオドとされている。
このインテグラルトレーニングは、あらゆる要素を一緒にトレーニングするという意味において、統合型トレーニングと非常に似ている。よって、知識レベルとして統合型トレーニングを日本で行う下地はあるといえばある状況にあった。しかし、日本で統合型トレーニングは一般的、もしくは主流になり得るかというと、なっていないのが現状だ。
日本ではまだまだトーナメント文化が根強い。負けたら終わりのトーナメント文化において、「自分たちのサッカー」を行うよりも、「負けないサッカー」を優先する雰囲気は強い。つまり、ゲームモデルが「負けないサッカー」になってしまうと、プレー原則がどうしても雑になってしまう。身体の向きとかビルドアップとかどうでもいいから、相手陣地でサッカーしようぜ! みたいな。リベンジチャンスのあるホーム&アウェイのリーグ戦と比較すると、トーナメントで対戦する試合をしたことのない相手をスカウティングすることはなかなか難しい。
でも、昔に比べたら日本もリーグ戦文化が定着してきているのではないか? と思われる方もいるだろう。それは間違いのない事実だ。しかし、上の学年の結果によってどのリーグ戦に配置されるかが決定されるのが、日本の基本的なレギュレーションになっている。よって、リーグ戦の肝である同じくらいのレベルの相手と試合をするという条件が、特に4種(12歳以下)ではなかなか達成されていない。この場合も、相手を意識することはどうしても少なくなってしまう。そればかりかとんでもない大差のつく試合も多く見られるのが現状だ。大差のつく試合はどちらのチームにとってもあまり良い経験になっていない。
また、下の学年のために昇格するんだ!となると、試行錯誤を行うはずのリーグ戦が絶対に負けられないトーナメント戦のようなリーグ戦となってしまう。すると、ゲームモデルも「負けないサッカー」になり、上に同じとなってしまう。また、下の学年のために残留するんだ!となると、常に耐え忍ぶサッカーを展開するゲームモデルになってしまい、試合から相手の存在が消えてしまう。
もちろん、プロの世界なら結果を最優先のゲームモデルで問題がないのだが、「教育」を必要とする育成年代において、結果を最優先するゲームモデルが採用されてしまう現状だと、相手への対策がメインになり過ぎたり、あらゆる局面に対して平然と対応できたりするような準備、トレーニングは望めていないのが現状だ。よって、ゲームモデルの「自分」と「相手」のバランスが悪くなってしまう。本当の意味での統合型トレーニングが日本の主流になる時代はまだまだ訪れる気配はない。
ひとりごと
日本の現状については嘆いているが、しっかりと統合型トレーニングをしているチームもわずかだがある。
「自分たちのサッカー」を押し通すために、様々なビルドアップ、セットオフェンスを持ち、相手のプレッシングのルールに応じて選択できるチーム。ボールを保持できなくても、さくっと非ボール保持のモデルに変更して、相手にプレッシングをかけていくチーム。丁寧なビルドアップをメインとしているんだけど、相手が同数プレッシングをかけてくれば、躊躇なくロングボールを蹴るチームなどなど。
そういったチームが「負けないサッカー」に「負けない」ようになれば、結果でしか評価されないチームも変わらざるを得ない環境になっていくだろう。そして、そんな雰囲気はゆっくりと出てきていることはすごくポジティブなことだ。まだまだ時間はかかりそうだけれど……。
■『モダンサッカーの教科書』から学ぶ最新戦術トレンド
・第1回:欧州の戦術パラダイムシフトは、サッカー版ヌーヴェルヴァーグ(五百蔵容)
・第2回:ゲームモデルから逆算されたトレーニングは日本に定着するか?(らいかーると)
・第3回:欧州で起きている「指導者革命」グアルディオラ以降の新たな世界(結城康平)
・第4回:マリノスのモダンサッカー革命、CFGの実験の行き着く先を占う(河治良幸)
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Photos: Getty Images
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Profile
らいかーると
昭和生まれ平成育ちの浦和出身。サッカー戦術分析ブログ『サッカーの面白い戦術分析を心がけます』の主宰で、そのユニークな語り口から指導者にもかかわらず『footballista』や『フットボール批評』など様々な媒体で記事を寄稿するようになった人気ブロガー。書くことは非常に勉強になるので、「他の監督やコーチも参加してくれないかな」と心のどこかで願っている。好きなバンドは、マンチェスター出身のNew Order。 著書に『アナリシス・アイ サッカーの面白い戦術分析の方法、教えます』(小学館)。