テクノロジーが変える試合当日の戦術分析現場を潜入取材!
セビージャ戦術分析チーム密着ルポ
データを収集・分析するテクノロジーが進化した今、試合の前半に撮影した映像をタグ付けし、ハーフタイムにそれを受け取った監督がタブレットを使って選手に指示を与えることも珍しくなくなった。一刻一秒を争う試合当日の現場では、いったい何が起きているのか?
ここでは、ウナイ・エメリがセビージャを指揮していた当時、彼が抱える分析チームの試合当日の動きに密着した取材記事を特別に公開。
「スペイン人記者の依頼だったら絶対に受けなかった」
アウトサイダーの日本人だからこそ許された貴重なルポから、今この瞬間も進歩を続けている最先端のデータ分析の息吹を感じ取ってほしい。
協力 ビクトル・マニャス(セビージャ戦術アナリスト/当時)
2015年10月24日、第9節ヘタフェ戦当日
試合開始20分前、セビージャの戦術アナリスト、ビクトル・マニャスは三脚付きのカメラを抱えて現れた。指定席は2階にある記者席の中央最上段。グラウンド全体が見渡せる席で、周囲にはジャーナリストが座っているが、見慣れた光景に特に関心を寄せる者もいない。まず三脚の付いた広角カメラを設置し、鞄から2台目のハンディカメラを取り出して机の上に小型三脚で固定した。
広角カメラの方は、敵と味方の両方の守備ラインを捉えるためのものであり、ハンディカメラの方は味方のGKにフォーカスされる。広角カメラは戦術分析用、ハンディカメラはGKのテクニック分析用と対戦相手に関係なく決められており、ウナイ・エメリ監督から“今日はこの部分を撮ってくれ”といった注文が入ることはない。ビクトルはエメリのアルメリア監督時代の1年間、セビージャ監督就任以来の2年間ずっとアナリストを任されており、全幅の信頼を寄せられているのだ。
カメラの設置が終わると、パソコンを開けコードを繋ぎ始める。パソコンと接続されるのは広角カメラだけで、ハンディカメラで録画した映像は後日、GKの練習用に使われる。戦術分析に使われるプログラム「Nacsport」は重くて何度かの再起動の後にやっと立ち上がり、カメラの映像が読み込み可能になる。「Nacsport」が起動せず仕事が台なしになったこともあるらしい。
少人数の分析スタッフで無駄なく仕事を分担
この間に選手のウォーミングアップを終えた広角カメラのオペレーター役、GKコーチのハビエル・ガルシアが到着する。さらに両チームの選手がグラウンドに整列する頃に助監督のファン・カルロス・カンセドが駆け込んで来る。広角カメラを操るのがハビエル、パソコンの前に座っているのがビクトル、ファン・カルロスは携帯電話を覗き込んでいる。携帯電話には「WhatsApp」というメッセージアプリが入っており、これでベンチとやり取りする。といっても、日本の「LINE」に相当する誰でも使っているアプリであり、そんなもので情報交換が間に合うのかと思ったが、速報性では劣るものの背番号を複数伝える時などは、書き込んだ方が便利なのだという。
もちろんトランシーバーも持っていて、普段ビクトルはヘッドセットを付けベンチとやり取りしている。だが、この試合ではやり取りの相手、助監督のファン・カルロスが前節の退席処分でベンチ入りできなかったせいで不在。メッセージアプリだけでベンチと交信することになった。この夜ビクトルは1度だけベンチと通話してコンタクトを取ろうとしたが、スタンドの大歓声に掻き消され結局話すことができなかった。声によるコミュニケーションは試合中は意外に役に立たないのだ。
この試合だけ飛び入りのファン・カルロスがいなければ、戦術分析担当は2人だけで、専従スタッフはビクトルだけ。戦術家のエメリ監督にしては寂しい陣容だが、実はセビージャには独立した戦術分析部門がないのだ。その代わりに、エメリ以下のテクニカルスタッフ全員がアナリストを名乗れるだけの知識と技量を備えている。中でもエメリは選手への戦術解説用ビデオを自分で用意するほど、最新のテクロノジーにも明るく、まさにアナリストのボスにふさわしい。大勢の戦術スタッフを抱えながら、監督とのコミュニケーションが良好でないために膨大な分析結果が生かされていない例は珍しくないが、セビージャは戦術分析スタッフとテクニカルスタッフを兼任させることで、小ぶりだが無駄のないやり方をしているのだ。
罵りながら携帯アプリでメッセージ
午後8時半、試合開始のホイッスルが吹かれる。すぐに「カードだろ審判! ××××!」(伏せ字の部分は罵り言葉)という怒声が横から聞こえる。頭に血が上りやすい性格のファン・カルロスが同席しているせいもあるのだろう。分析スタッフといっても冷静に試合を眺めているのではない。興奮して選手と一緒にプレーをしているがごとく“試合を生きている”のだ。何年か前、記者席で酷い罵声を聞き、声の主を確かめたらバルセロナの戦術分析スタッフで、のちにティト・ビラノバの代行監督を務めるジョルディ・ロウラだったことがある。
「マリアーノ、後ろ! 後ろ!」と叫んだ後、ファン・カルロスが携帯をつかみ何かを書き込んでいる。守備の戻りが遅い右SBマリアーノのポジショニングを修正するようベンチに伝えているのだろう。こうした怒鳴ったり嘆いたりした後、メッセージを書き込む光景は何度も見られた。ボール出し担当のバネガが下がって来ない時やコロジエチャクがフリーなのに上がらず漫然とボールをパスした時、攻撃でのセットプレーで誰も壁の中に割り込んでGKの視界を遮ろうとしなかった時、長身のフェルナンド・ジョレンテが投入されているのにグラウンダーのセンタリングばかり出していた時などだ。
この間、ハビエルはカメラを左右に振ってアングルを調整し続け、ビクトルはパソコンのキーを叩きながら映像を切り取り保存していく。どんな映像を切り取るのかは、攻守のセットプレー以外は内部秘密だそうだが、おそらくセビージャの課題である後方からのボール出し、持ち味であるウイングとSBのコンビネーションなどの映像はチェックしていたと思われる。ハビエルは自前の手帳に何かを盛んに書き込んでいたが、ビクトルやファン・カルロスに伝える様子はなかったので、GKコーチとしてのメモだったのだろう。
一刻一秒を争うハーフタイム
午後9時13分、前半終了3分前にビクトルはパソコンを抱えて、ロッカールームに駆け下りていく。監督と選手が入って来る前に液晶のインタラクティブボードとパソコンを接続、エメリ監督の注文があれば、該当シーンを速やかに映し出す用意をしておかなければならない。終了寸前にセビージャは戦術家エメリの面目躍如のセットプレーから2点目を挙げるのだが、当然、このプレーをビクトルは見ていない。サッカーにはタイムアウトがなく、交代も3回しか行えず、一度下げた選手を再び出すこともできない。ハーフタイムは戦術的な修正をするほとんど唯一の貴重な時間なのだが、たった15分間しかない。だから当日の情報やデータを豊富に持っていること自体はアドバンテージにならない。膨大な情報の中から何を伝えるかが重要であり、その選択権はエメリが独占的に握っている。
実は、セビージャの試合中の戦術情報伝達システムには興味深いヒエラルキーがある。ビクトルらスタンドにいるスタッフは第3監督としかコミュニケーションできず、第3監督は助監督とだけ、エメリに何か進言できるのは助監督だけなのだ。ビクトルがこの試合でインカムを使わなかった理由は、助監督ファン・カルロスの退席処分のせいだと述べたが、もう少し詳しく言うと第3監督が助監督役を務めたせいで、連絡先がいなくなったせいなのだ。よって、前半にビクトルが用意した映像の中身、ファン・カルロスが送ったメッセージをエメリが把握しないままハーフタイムの指示を出した可能性は大いにある。ビクトルと監督との会話は禁止されているし、エメリはコーチャーズボックスに出っぱなしでベンチに引っ込むところも見なかったから、助監督との会話もほとんどなかっただろう。
なぜ、情報伝達の道筋を限定し、せっかく手に入れた情報を捨てかねない厳格なヒエラルキーをエメリは築いたのか? それは情報過多から自分を守るためである。試合中、監督が最も集中すべきなのは芝生の上で起こっていることである。エメリは自分の目で見たものから半ば直感的にチームの問題点を分析し、ハーフタイムの指示を決める。俯瞰の映像から得たものは、直感から導いた結論の補強材料に過ぎない。だから、エメリが不要だと判断すれば、ビクトルの集めた情報は試合中まったく使われないまま終わり、試合後の分析にのみ活用されることになる。
リアルタイムにスタッツを届けるサービスも始まっているが、セビージャがこれを採用していないのも同じ理由。今、試合中に手に入る情報はあまりにも多いが、それを伝える機会はあまりにも少ない。データの登場が人間の直感を排すかに思われたが、サッカーという競技の特性がそれを許さない、というのは面白い。実際この日のロッカールームでエメリが伝えたのは、前半だけで9回あったセットプレーのチャンスで事前に準備したストックが尽きたので別のプレーをしろ、という程度のことだったらしい。
後半の映像は後日チェックするアーカイブ用
後半開始のホイッスルから3分ほど遅れてビクトルが着席。隣の机から聞こえてくる罵倒、嘆きの声は立て続けのPKで3点目、4点目、5点目が入るごとに小さくなっていき、送るメッセージの数も減っていく。ついにはPKを決めてもガッツポーズもしなくなった。10時12分、試合終了まであと5分の時点で、ビクトルは、まったくピンチがなく佇むGKの姿しか映っていなかったはずのハンディカメラを取り外し、撤収の準備を始める。さすがにこれだけ大差が付くと表情にも余裕が見られるが、普段は90分間緊張を緩めることはない。すでに述べたように、この試合の映像は後日、自チームのチェックに使われる。どんな瞬間にでも、いや大差がついて油断している時にこそ、戦術上のミスが生まれる可能性がある。それはすべて記録され整理され分析され、次の試合の教訓とされなければならない。そういう意味では、大差であろうと僅差であろうと、CLであろうとリーガであろうと、相手がヘタフェであろうとマンチェスター・シティであろうとビクトルの仕事の重要度は変わらない。
対戦相手分析のスペシャリストである彼は、リーグ戦の場合は4試合、欧州カップ戦の場合は6試合さかのぼって試合をチェックする。毎日朝8時半にオフィスに入り午前中の練習に参加する以外は、夜9時にオフィスを後にするまでずっとビデオを見ているという。時には週2試合をこなすセビージャの戦術分析担当の仕事には終わりがない。
「分析」の機械化はしない
この映像の飽和状態にアクセントを付けているのは、実はマニュアル的な手作業である。技術革新が続く戦術分析の世界では、例えば特定のプレーを自動的に感知し切り取って整理し保存するようなプログラムが実験段階に入っている。だが、実現すれば大幅に作業量を軽減し、ビクトルをはじめとするスタッフの労働時間を短縮するだろうこのプログラムを、セビージャが導入する予定はない。また、戦術分析を請け負う会社に外注するつもりもない。特定のプレーに注目し問題点を嗅ぎ分ける能力の高低こそ、テクニカルスタッフの優劣を決定づけるものであり、そのプロセスが機械化あるいは外注化されてしまえばピックアップされた情報は個性を失うだけでなく、アナリストとしての能力が磨かれず鈍化する恐れがあるからだ。エメリがプレゼンテーション用のビデオ作成を他人任せにしないのも、映像をチェックし分析し切り張りすることこそが、戦術家としての地位を築いてきたことを自覚しているからではないか。
試合当日の戦術分析は、テクロノジーの進化なしには成立しなかった。情報量は今後も増すばかりだろう。だが、氾濫するデータの流れをあえて制限する仕組み作りが、サッカーの現場では行われている。情報伝達のヒエラルキーやマニュアル作業によって彼らが守ろうとしているもの、それは「サッカーは人がするものだ」というプライドに違いない。
Photos: Hirotsugu Kimura
Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。