最前線から中盤底まで、複雑タスクをこなすラツィオの頭脳
Sergej MILINKOVIĆ SAVIĆ
セルゲイ・ミリンコビッチ・サビッチ
1995.2.27(23歳) 192cm/82kg SERBIA
評価額は約1億ユーロ(約130億円)。セルゲイ・ミリンコビッチ・サビッチは、現在セリエAの中で最も市場価値が高騰した選手の一人だ。
190cmを超える巨体に繊細な足技を兼備し、フィジカルを生かしたボール奪取だけでなく、ミドルシュートなど攻撃でも貢献するMF。能力を列挙しただけなら、選手が大型化した近年の欧州サッカーシーンでは別段珍しくはないようにも思える。だがM.サビッチはただデカくてうまいだけの男ではない。卓越したプレーインテリジェンスをベースに、様々な局面で己の能力を的確に活用し、単独で試合の流れを変えることのできる存在なのだ。
2月25日、セリエA第26節のサッスオーロ戦(0-3)。2ゴールを挙げた圧巻のパフォーマンスには、その戦術眼が存分に発揮されていた。
基本ポジションは[3-5-1-1]の左インサイドMF。ただしビルドアップの際は前線に張り出し、さながら3トップの一角のようにして後方からボールを引き出す。ラツィオのトップ下はテクニック系で、1トップのインモービレも裏抜けを得意とするタイプ。つまり後方からのフィードにはM.サビッチがターゲットとなり、クロスに対してニアで潰れる役割も務める。とはいえ、漠然と前線に構えただけでは良いボールを呼び込めない。M.サビッチの凄さは、そうした動きから着実にフリーのポジションを取り、シュートまで持ち込める感覚と知略にあった。
2得点、さらにボール回収12回
7分の先制ゴールのシーン。それまで攻撃になると前線に詰めていた彼は、インサイドMFで対をなすムルジャが前線に飛び出すのを見るや上がるのをやめた。左サイドにパスを展開され、前線に張った味方がサッスオーロのDFラインをグッと押し下げる。それを見て取った彼は、プレッシャーの少ないDFライン前のスペースにまんまと陣取り、手を挙げてパスをアピール。サイドに流れていたフェリペ・アンデルソンから折り返しのボールを受けると、ノープレッシャーでミドルシュートをねじ込んだ。得意とするシュートパターンである(図1参照)。
攻撃時、前線に5人をワイドに張らせるのがS.インザーギ監督の戦術。だがM.サビッチはあえて上がるタイミングを遅らせ、味方が相手DFラインを押し下げてできたエリア前のスペースにフリーで入った。そこからのミドルでゴール
46分に決めた2点目は、逆にインモービレを追い越して猛然とクロスに食らいついた。これもまた、狡猾なポジショニングが生きていた。右サイドでF.アンデルソンがボールをキープしたことに反応して前線へダッシュ。その際、ニア方向へ鋭角に走ってDF2人を釣り出しつつ、落下点に近づくや逆方向に転換。マーカーを置き去りにして、フリーでクロスボールに頭を合わせた。シュートに行くまでの動きはまさにストライカーのそれ。シーズン3分の1以上を残した時点で9ゴールとMFとしては突出した得点力は、クレバーさの産物なのである。
非凡な戦術眼は、守備や組み立てにも生かされていた。シモーネ・インザーギ監督の戦術において、守備システムはボールの位置によって柔軟にその形を変える。その中で、M.サビッチらのインサイドMFに要求されるタスクはとりわけ複雑だ。自分のサイドにボールがあれば、外へ張り出しウイングバックのヘルプに行ってスペースをカバー。逆サイドであれば中へ詰め、アンカーに近づいて2ボランチ的に中央を固める。敵が深く攻めてくれば絞り、DFラインのフォローに入る。
ポジションを移したM.サビッチは、その先々においてポジションのスペシャリスト同然の守備をする。相手のSBに執拗なプレスをかけ、時には自軍の左ウイングバックの裏へと回ってボールを刈り取り、中盤の底で攻撃の目を潰し、敵のカウンターにはいち早く戻る。前述のサッスオーロ戦でのボール回収は12回を数えた。
組み立てへの関与にも幅が広い。中盤の底でボールを持てば、逆サイドのオープンスペースにパスを出して味方を走らせる。そうかと思えば、エリア手前に走ってFWと細かくパス交換し、ゴール前の密集地を突破していた。異なった局面において、周囲の状況を把握し最適なプレーが選択できる判断力と、それを可能にする繊細な技術があることの証左だ。
かつてインテルに所属していたグアリン(現上海申花)あたりがいい例なのだが、大型MFの中には能力を持て余す者も少なくない。守備のタスクがうまくこなせず、強引にミドルを打ちに行こうとすれば失敗する。M.サビッチがそこに陥らないのは、サッカーにおける卓越した頭脳のなせる業だ。
もっとも指揮官が違えば、彼もまた中盤で役割を限定された挙げ句、マルチな能力を腐らせていたかもしれない。戦術を整備し、幅広いタスクを任せたS.インザーギ監督の慧眼あってのブレイクだったに違いない。
Photo: Getty Images
Profile
神尾 光臣
1973年福岡県生まれ。2003年からイタリアはジェノバでカルチョの取材を始めたが、2011年、長友のインテル電撃移籍をきっかけに突如“上京”を決意。現在はミラノ近郊のサロンノに在住し、シチリアの海と太陽を時々懐かしみつつ、取材・執筆に勤しむ。