スクデット争いのユーベとナポリ。同じイタリアでも違い過ぎる!
CALCIOおもてうら
気がついてみれば17–18シーズンのセリエAも残り数試合あまりと、終盤戦に突入した。最大の焦点であるスクデット争いは、7連覇を狙うユベントスと今や完全に第2勢力としての地位を確立したナポリの一騎打ち。しかもこの両チームがそろって過去に例がないくらいのハイペースを保ったまま、一歩も譲らず疾走し続けている。
これだけスリリングな優勝争いは、アントニオ・コンテ就任1年目のユベントスが、現監督マッシミリアーノ・アレグリ率いるミランを逆転で下して、「カルチョポリ」以降初めてのスクデットを手に入れた11–12シーズン以来のこと。その後5年間にわたって続いたユーベの一人勝ち体制を揺るがせているのが、かつてのライバルだったミラノ勢でも、この10年間で2位5回と対抗勢力として強い存在感を見せてきたローマでもなく、マラドーナの時代以降30年にわたって栄光から遠ざかってきたナポリだというのは、非常に興味深い事実だ。
ユベントスとナポリ。この2つのクラブは、あらゆる意味で対照的な存在だ。以下に見るピッチ外(都市)、ピッチ内(監督)という2つの視点にまつわるこぼれ話にも、その好対照ぶりが象徴的に表れている。
都市:クール vs 熱狂
ユベントスのホームタウンは、北イタリアの工業都市トリノ。イタリアで最も西にあってフランスに近く、11世紀以降長年にわたってアルプスの反対側にあるフランス・サボア地方出身のサボイア家(1861年のイタリア独立でイタリア王家となった)の統治下にあったため、文化的にもフランスの影響が強い。
トリネーゼ(トリノ人)は総じて、イタリア人としては控えめでよそよそしく、よく「トリネーゼは冷淡」とか「上っ面だけ丁寧」とか言われる。サッカーへの関心度もイタリアの大都市ではおそらく最も低い。実際、ユベントスやトリノの選手が街を歩いていても、人々に囲まれてサインやセルフィを求められることは基本的にないし、バールやレストランでも静かに放っておいてもらえる。
サッカーへの関心度も、おそらくイタリアの大都市では最も低い。トリノは人口90万人の大都市だが、ユベントスが新スタジアムを建設した時には、旧デッレ・アルピの7万2000人から4万人までキャパシティを落とさなければならなかった。デッレ・アルピがいつもガラガラだったのに対してユベントススタジアムはほぼ常に満員だが、スタンドを埋めている観客の少なくない部分は、トリノの外からバスをチャーターしてやってくる各地のファンクラブのグループで、地元トリノ市民の数はライバルであるトリノのホームスタジアムスタディオ・オリンピコ・グランデトリノ(2万7000人収容)を埋めるトリニスタたちとあまり変わらないとすら言われるほどだ。
一方、ナポリは南イタリアの中心都市であり、「陽気で楽天的で狡猾」という外国から見たイタリア人のステレオタイプを最も良く反映している土地柄を持つ。長年フランスやスペインの統治下で独自の文化を形成する中で、かつて18~19世紀にヨーロッパ中の人々に「ナポリを見て死ね」と言わしめた明るい太陽と美しい港や湾の景観、貴族的な文化を継承してきた一方で、数少ない上流階級と貧しい庶民大衆という封建的な社会構造が今なお温存されている面を持っている。
そんなナポレターノ(ナポリ人)にとって、サッカーは文字通り「民衆の阿片」とも言うべき偏愛の対象であり続けてきた。かつて長年ナポリ番を務めたベテラン記者からこんな話を聞いたことがある。
「ローマ、ミラノなど他の大都市とは違い、この都市には1つしかチームがない。だから、すべてのナポレターニ(=複数形)はナポリのサポーターになる。人々はナポリに対して、へその緒で繋がっているようなべたべたの愛情を注いでいる。ナポリの監督や会長は市長や県知事よりもずっと重要な人物と考えられている」
トリノとは違って、ナポリの選手が街を歩きでもすればあっという間に人だかりができて身動きが取れなくなること請け合い。それもあってか、ナポリのトレーニングセンターは市内から車で1時間かかる海沿いの街にあるゴルフ場つきリゾートホテルの敷地内に作られており、サポーターを含む部外者からは完全に隔離されている。
興味深いのは、マラドーナの時代以来30年ぶりのスクデットが現実になろうとしているにもかかわらず、ナポリで熱狂的な期待が盛り上がっているという話をまったく聞かないこと。別のベテラン記者はこんなことを書いている。
「人々はその日を辛抱強く待ちわびる忍耐力を持っている。そしてその日が来るまでは過大な期待に身を焦がしたりするべきではないとすら考えている。象徴的なのは、SCUDETTOという8文字の言葉を決して口に出さないというジンクスを誰もが頑なに守っていることだ。夢の実現を信じないふりをすることこそが、夢に近づくための最良の手段だというわけだ。それはもちろん、同時にやってくるかもしれない失望から身を護るための方便でもある。しかし心の底では、マラドーナのためにそうしたように歓喜を爆発させ、ナポリの街をアッズーロ(青色)一色に染めて終わらないお祭り騒ぎを続ける準備をすっかり整えている」
監督:プレイボーイ vs 朴訥な戦術オタク
ユベントスのアレグリ監督は、中部イタリア・トスカーナ州の海沿いにある港町リボルノの生まれ。現役時代はカリアリ、ペスカーラ、ペルージャなどで活躍した技巧派のMFで、小食で痩せていたため「アチューガ」(イワシ)というニックネームで呼ばれていた。
今も選手時代と変わらぬスリムな体形を保ち、常にスーツをエレガントに着こなす。煙草は一切吸わず酒もほとんど飲まない。Twitterを使いこなし(フォロワーは約40万人 @OfficialAllegri)、アマチュア監督向けに戦術アプリ(MrAllegriTactics)を発表するなど、SNSやITを使いこなすやり手のイメージが定着している。
プライベートでは、25歳の時に17歳から7年間付き合った彼女と結婚を決めながら、結婚式の2日前になって突如破談にしたというエピソードが有名。その2年後に別の女性と結婚して長女バレンティーナをもうけたが、4年後の1998年に離婚。その後2004年から別のパートナーと暮らし、2011年には息子も生まれたがその後別離。1年ほど前からは女優のアンブラ・アンジョリーニと交際中だ。
ナポリのマウリツィオ・サッリ監督は、ナポリ生まれだが育ちはトスカーナ州内陸部キャンティ地区の村フィリーネ・バルダルノ(ロックシンガーのスティングがこの村にワイン農園を所有している)。プロサッカー選手の経験はなく、大学で経済学と統計学を学んだ後イタリア最古の銀行モンテ・パスキ・ディ・シエナに就職、外国為替担当のエリート社員としてイギリス、ドイツ、スイス、ルクセンブルクの支店に勤務したという異色のキャリアの持ち主だ。
30代に入って9部リーグ(下から2番目のカテゴリー)の地元アマチュアクラブで趣味として監督を始め、昼間は銀行員、夕方からは監督という生活を10年続ける間に、率いたチームを次々と昇格に導くなど際立った結果を残す。そして6部リーグのチームを率いていた1999年、40歳の時に監督業に専念するという大きな決断を下し、その後さらに15年間下部リーグで下積みを続けた末、13–14シーズンにセリエBのエンポリを昇格させ、55歳にしてセリエAデビューを果たした。大手銀行のエリート社員という過去が示すように知識と教養を備えた常識人で、アメリカの無頼派作家・詩人チャールズ・ブコウスキーやペルーのノーベル賞作家マリオ・バルガス・リョサを愛読する読書家である。
サッカーに関しては戦術オタク的にマニアックな側面を持っており、10年以上前からコンピューターを駆使して練習や試合のデータを分析し仕事に生かしてきた。セットプレーの研究にも熱心で、アマチュアリーグ時代には選手から「ミスター33」(33のセットプレーパターンを持つ男)というニックネームをつけられたほど。現在も練習場にカメラ(GoPro)をつけたドローンを飛ばしてリアルタイムでiPadに動画を飛ばし、それを選手に見せてポジショニングやラインコントロールを修正するなど、テクノロジーを積極的に活用している。
アレグリをはじめセリエAの多くの監督たちがスーツの着こなしに気を使うなどイメージコントロールに余念がないのと比べ、そういった側面にはまったく無頓着。試合中も記者会見もジャージ姿で通し、TVカメラの前での振舞いも洗練されているとは言えない。
そんなふうに両極端な2人だが、2003年に一度、セリエC2(4部リーグ)でも対戦したことがある。アレグリがアリアネーゼ、サッリがサンジョバンネーゼといういずれもトスカーナ州のクラブを率いていた。試合は枠内シュートゼロという退屈な内容の0-0で、観客から「お前ら2人みたいな監督だったら俺にでもできる」と野次られたという微笑ましいエピソードが残っている。
Photos: Getty Images
Profile
片野 道郎
1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。