ジューレン・ロペテギは、どうやって無敵艦隊スペインを復活させたのか?
フリーポジション&フリーロール。今だけの2列目に主導権(ボール)を
強いスペイン代表が帰ってきた。前回ブラジルW杯ではまさかのGS、EURO2016でも16強と早期敗退が続いた10年W杯王者は、2016年夏のデル・ボスケ退任後、12勝4分といまだ負け知らず。V字回復を実現させたジューレン・ロペテギ監督は何を植えつけたのか。
ジューレン・ロペテギは情報発信型の新世代の監督だから、充実した個人WEBサイトを持っている。その「プレースタイル」という項目にこう書いてある。
「私の考えでは、サッカーではもうシステムはさほど重要ではなくなった。実際に決定的な要因は、プレースタイルと決断力である」
システムは重要ではない――。グアルディオラも同じことを言っている。状況が次々と変わるサッカーでは、システム表記通りに選手が並んでいる瞬間はほとんどない。“ポジション”よりも“ポジショニング”、つまりその時どきで最適の配置をし最適のプレーを選ぶことの方が重要である、というのはその通りだ。特に、主導権(ボール)を握ってプレーするポゼッションスタイルではそうだろう。
だが、口ではそう言っても、フリーポジション&フリーロールのサッカーを実践しようとしているのは、理想家グアルディオラくらいではないのか? ポゼッションサッカーのシステムは今も厳然として[4-3-3]であり、例えばリーガではベティスもセルタもソシエダもセビージャもバルセロナも印を押したようにこれ。前監督デル・ボスケがスペイン代表を世界王者、欧州王座に導いたのも、この[4-3-3]だった(2列目の「3」が「1-2」か「2-1」かのバリエーションはあったが)。
ロペテギはここに手を付けた。[4-3-3]を[4-1-4-1]に変えた――。と言っても、単なるシステム変更ではなくプレースタイルの変更でもある。
前政権から変えたこと、継いだもの
その核は2列目の「4」にある。ここのレギュラーは左からイスコ(レアル・マドリー)、イニエスタ(バルセロナ)、チアゴ・アルカンタラ(バイエルン)、ダビド・シルバ(マンチェスターC)であり試合開始まではこの並びだが、ホイッスルが吹かれたら順番通りに同じ高さに配置していることはほとんどない。パスの出し手ともらい手、壁パスの起点と中継点、センタリングのキッカーとシューターという役割も状況によって次々と変わる。イスコとシルバが前気味でより自由度が高く、イニエスタとチアゴの方が後ろ気味で左右を尊重する傾向はある。前者2人の方がよりゴール前での仕事向きで、後者2人がポゼッションを安定させるのがより得意という特徴の違いによるものだろう。また、利き足(イスコ、イニエスタ、チアゴ=右、シルバ=左)によって得意とするゾーンやポジショニング、プレーというのも一応はある。だが、いずれも攻撃的MFとしては万能であり、この4人はボールを持っている限り、どこでどんな状況でも高いレベルで機能する。だからこそ、ロペテギは彼らのクリエイティブな能力が全開するよう決まり事から解放することにした。
その2列目の「自由」の代わりに、1列目の1トップには前線に張ってDFラインを押し下げる(4人が動くスペースを確保するため。下がってボールをもらいに来るのは厳禁)、3列目の1ボランチには中央・後方でのサポート役に徹する、4列目のSBには同時に上がらないという「規律」を課した。
デル・ボスケは両SBの積極的な攻撃参加をうながした。ポゼッションの目的はボールを左右に振ってウインガーと相手DFとの1対1の状況を作ってドリブルを仕掛けるためであり、その背後のスペースにSBが駆け上がることは攻撃に厚みを加えるために不可欠だった(ついでに言うと、両SBの裏を防御するための2ボランチだった)。彼の[4-3-3]はサイドを攻撃の突破口とするために作られていたのだ。だが、EURO2016のイタリア戦での惨敗でこのモデルの限界を見て取ったロペテギは、攻撃の主導権をウインガーとSBからインサイドMFに「戻す」ことにした。「戻す」というのは前々監督のルイス・アラゴネスが、同じ[4-1-4-1]でMFのコンビネーションで崩すスタイルでEURO2008優勝を飾っていたからだ。アラゴネス時代からの生き残りMFであるシルバがロペテギ政権下で得点王(11ゴール)になり、同じく代表引退がささやかれたイニエスタがレギュラーとしてバルセロナ以上に輝いているのは偶然ではないのだ。
とはいえ、このロペテギのMF重視は戦術的な後退ではない。
アンダー世代の代表監督だった彼は2013年のU-21欧州選手権で優勝しているが、その時のメンバーのうちモラタ(チェルシー)、イスコ、チアゴ、カルバハル(レアル・マドリー)、デ・ヘア(マンチェスターU)は現代表のレギュラーに成長した。フリーポジション&フリーロールという新しいコンセプトを代表に取り入れることができたのは、単なる“育成の成功”ではなく、アラゴネス、デル・ボスケから受け継いだ遺産と自らが指揮した選手を組み合わせて、自らの温めてきたアイディアを実践する術を知っていたからだ。攻撃時の2列目限定のコンセプトであり、今この顔ぶれでしか機能しないスタイルかもしれない。だが、戦術を植え付ける時間がない、“セレクター”である代表監督としては、できる範囲で最高の仕事をしたと言えるのではないか。
Photos: Getty Images
TAG
Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。