中島翔哉だけじゃない。ポルトガル3部で奮闘する穂崎岳志の挑戦
Interview with
TAKESHI HOSAKI
穂崎岳志
(エストレーラ・ヴェンダス・ノーバス)
ポルトガルで冬の移籍ウィンドウがクローズした1月31日まで、メルカート(移籍市場)の主役は中島翔哉だった。その渦中にポルティマォンでインタビュー取材を行い、残留を見届けてから首都リスボンに戻った翌日、馴染みの日本料理屋でとある日本人選手と知己を得た。
ポルトガル3部のクラブでプレーする穂崎岳志。昨年夏、国士舘大学に籍を置きながら何のツテもなく単身ポルトガルに渡った若者は、1カ月で現クラブとの契約を勝ち獲った。なぜ、ポルトガルだったのか。そこに至るまでの来歴と経緯、そして同年代の同朋である中島翔哉の活躍についても語ってもらった。
昔から強かった海外志向
きっかけは12歳の時(2008年)のポルトガル観光です
――サッカーを始めたのは何歳の時ですか?
「始めたのは7歳、小学2年生の時です。地元の千葉県市原市のクラブで始めました」
――(地元にあるJクラブの)ジェフユナイテッド市原・千葉のユースに所属した経験はありますか?
「小学6年生の時にジェフのスクールには入っていましたが、選抜されてユースに入ったことはないです。中学に上がってからは、学校のサッカー部ではなく三井千葉(現・ヴィットーリアスFC)っていう地元のクラブチームでプレーしました」
――高校時代にブラジル留学経験があると聞いたのですが、日本の高校には進学しなかったのでしょうか?
「いえ。高校に進んで、そこがブラジルとの繋がりがある学校だったので2年生の時に留学という形で半年間、ブラジルに行きました。今は名前が変わっているんですが、千葉国際高校(現・翔凛高校)です」
――その高校からプロやJリーガーになった選手はいますか?
「同期で2人プロに行っています。ブラジル人なんですが、鹿島(アントラーズ)でプレーして今はアルアイン(UAE)にいるカイオと、今年鹿島から徳島(ヴォルティス)へレンタル移籍したブエノと一緒にやっていました」
――なぜ、ブラジルに行こうと?
「昔から海外志向が強くて。海外でやってみたいというのと、千葉国際には高校1年生の時にみんなでブラジル遠征に行けるプログラムがあるんです。それで、ブラジルに行ってすごく刺激を受けて、ここでやってみたいなという想いが芽生えて。(日本に)帰って来て1年後ですね。一人でブラジルへ行きました」
――ブラジルではどこのチームでプレーしたんですか?
「サンパウロ州のサンカルロスというチームです。僕がいた時はサンパウロ州2部にいて、そこのU-20チームでプレーしました。トップチームの練習にも何回か入れてもらったんです」
――トップチームで公式戦に出場したことはありますか?
「それはありませんでした」
――サッカーを始めた時からポジションは変わっていませんか?
「いや。小学生の時はFWからCBまでやりました。中学生の時はサイドバックでしたね。ボランチもやって、高校はボランチで入ったんですけど、僕がサイド(のポジション)をやりたいって志願したのでウイング、サイドMF(ハーフ)をやるようになりました」
――海外志向が強かったとのことですが、どこの国のサッカーが好きでしたか?
「一番はスペインのリーガエスパニョーラです。バルセロナが好きでした」
――その頃に憧れていた選手はいますか?
「最初に好きになった選手はサビオラです。それとロナウジーニョですかね」
――サビオラはバルセロナの後、レアル(・マドリー)に行ってポルトガルのベンフィカでもプレーしましたよね。
「もちろん知っていますよ」
――サビオラのプレーのどういうところが好きでしたか?
「テクニックです。体は小さくてちょこまかしているというんですかね。DFの間をスルスルっと抜けて、当たり負けるわけでもなく点をきっちり獲りますし」
――今の自分のプレースタイルと照らし合わせて、似ていると思いますか?
「う~ん、似てはいないですね。僕が目指しているのはちょっと違います。(ポルトガル)代表のナニーみたいなタイプです」
――今、自身は左のサイドの攻撃的な選手で、目指しているのは同じポジションのナニーということで、具体的にはどういうプレーをしたいなと思い描いていますか?
「僕のプレーの特長はサイドでの1対1(の強さ)です。そこは自信を持っているところでもあります。ポルトガルのサッカーってサイドを中心にそこから攻めるパターンが多いですから」
――サイドアタッカーに求められるのはオーバーラップとクロスの精度、ドリブルだと思いますが、その中で自分の売りを上げるとすればどれになりますか?
「1対1で競り勝ってからのクロスです。ドリブルも得意というか、ドリブルで攻め上がるのも大好きです」
――現在ポルトガルでプレーしていますが、ポルトガルでプレーしようと思ったきっかけ、どうしてポルトガルへ来たのかを教えてください。
「きっかけは12歳の時(2008年)にポルトガルに観光で来たことです。街の雰囲気、気候や食べ物、その時のイメージがとても良いものとして残っていて、いつかこの国でやってみたいなとずっと思っていました」
――その時、サッカーの試合は観ましたか?
「いや、生では観ていないです。観ていないですけど、ベンフィカとスポルティングのホームスタジアムをめぐったんです。ビッグクラブ独特の雰囲気っていうんですかね、特にスポルティングのスタジアムを目の前にした時は凄いなと圧倒されました」
――その当時、ポルトガルサッカーの情報としてベンフィカ、ポルト、スポルティングの3クラブが“3強”と呼ばれていて強いということは知っていたんでしょうか?
「それは知っていましたよ」
――その中で、このチームだったら自分に合うだろうなというところはありましたか?
「(即答で)スポルティングです」
――それはなぜ?
「僕もサイドのポジションで、ポルトガル人のいろんなサイドアタッカーが育っているので。クリスティアーノ・ロナウドもナニーもフィーゴもクアレスマもスポルティング出身ですからね。一番合っているかなと思いました」
――ポルトもウイングの選手がチームの要となっています。CFも含めて前線の3人には点を獲れる選手を伝統的に配していますが、それでもスポルティングに好感を抱いた理由は?
「自前のサイドアタッカーの育成のうまさに惹かれたところもそうですけど、やっぱりクリスティアーノ・ロナウドですかね。EURO2004のロナウドが個人的に物凄くインパクトがありました。衝撃でした。当時のロナウドは10代でしたから。彼がスポルティング育ちだからというのが大きいです」
厳しい環境も何のその
嫌気が差すことはない。覚悟を持って来ているので
――単身ポルトガルに来て、今のチームに加入するまでの経緯を教えてください。
「去年(2017年)の夏に一人でこっちに来て、リスボンの3部のチームを中心に回ったんですがテストを受けさせてくれるところはなくて。それで、ポルトガルでコーチをしていた松本(量平)さん(※)に連絡してブラジル人の代理人を紹介してもらいました。その代理人の推薦で今のチームの練習に参加して、契約してもらうことができました。入団発表を僕の誕生日の8月14日にしてくれたんです。うれしかったですね」 ※2009年から4年間、ベンフィカのU-17コーチ、スクールコーチを務めた。現在はASラランジャ京都(関西リーグ)トップチームで指導に携わりながら、「日本フットボール強化アカデミー」を立ち上げ自身のパイプを活かしてポルトガルのクラブと業務提携を結び、日本人選手の海外挑戦を積極的に後押ししている。日本サッカー協会公認A級ライセンス、UEFA Bライセンス保持。
――その代理人の方とは正式に契約を結んでいるんでしょうか?
「いちおう繋がっていますけど、自分の移籍にそこまで関与しているわけではないです。昔はポルトガルの3部や4部でプレーしていた元選手で、3部や4部のクラブと強いパイプを持っている人です」
――いきなり何のツテもなしで来たわけじゃないですか。来る前に誰かを頼るという考えはなかったんでしょうか?
「なかったですね。ブラジルに行った時がそう(いきなり行ってテストしてもらってチームを見つけた)だったんで、行けば実力があれば何とかなるだろう、腕試しで(3部なら)入団できるだろうと信じて来ました」
――でも、実際には厳しかった。
「そうですね。練習参加もテストも、全部門前払いでした」
――どういったクラブを回りましたか?
「リスボン近郊の3部クラブ中心に7つぐらい、オリエンタル、サカヴェネンセ、カーザ・ピア、シントレンセ、プリメイロ・デゼンブロ、あとはオリンピコ・モンティージョとピニャルノベンセにも行ったんですが、クラブの人に会えませんでした」
――現在、所属しているクラブの名前を教えてください。
「エストレーラ・ヴェンダス・ノーバスです」
――実際に入ってみて、チームの印象はどうですか?
「チームの印象、ですか。う~ん……レベルは高くはないと思います。3部の中でも高い方ではないかな」
――穂崎選手はポルトガルに渡る前、国士舘大学のサッカー部でプレーしていました。比較してどうでしょうか?
「個人のポテンシャルはヴェンダス・ノーバスの方が上だと思います。チーム力、組織力は日本、国士舘の方が上ですね」
――国士舘大学サッカー部でプレーしていた時、レギュラーでプレーしていましたか?
「トップチームには入っていません。国士舘大学サッカー部は6軍まであります。僕は(一般の)指定校推薦で入学して、一番下(6軍)スタートで一番上はB(2軍)まで行きました」
――国士舘大学の同学年の中で、Jリーガーになった選手はいますか?
「いますよ。今年ヴァンフォーレ甲府に入った荒木翔、水戸ホーリーホックの平野佑一、あとは湘南ベルマーレに加入した山口和樹です。Jリーガーはその3人です」
――ヴェンダス・ノーバスではどのように起用されているんでしょうか?
「今は、後半の途中から出ることが多いです。スーパーサブ的な使われ方で、ポジションは本来の左サイドの攻撃的な位置です」
――チームはどういうサッカースタイルを志向していますか?
「攻撃は中盤を省略して、前線にロングボールを送るカウンターサッカーです。自陣に引いて一発(のパス)で相手のDFラインの裏(を狙う)、というサッカーをやっています」
――監督からは細かいプレーの指示を受けているんでしょうか?
「細かい指示は毎回練習後にありますね。一番言われているのは『シンプルにやれ』です。前にスペースがある時は仕掛けて良いけど、サイドバックがオーバーラップしてきた時には自分で行くんじゃなくて預けてシンプルに(サイドバックを)使ってやれと。シンプルに、シンプルにと何度も言われています」
――自身はアタッカーですが、守備の指示は受けますか?
「守備の指示もありますよ。そこまで細かくはありませんが、ただ逆サイドにボールがある時の絞りに関してはくどいくらい言われます。相手選手のスペースを消しにいく部分はよく注意されますね」
――サッカー選手に語学力は必要ですか?
「必要です」
――それは、戦術理解の部分が大きいですか?
「監督の言っていることをきちんと理解しないといけないですし、チームメイトともしっかりコミュニケーションを取らないといけない。でないと、試合でボールが自分のところに回ってきませんから。日本と違ってみんな自己主張が強いので、言われても言い返すぐらいの気持ちもないといけない。それには語学力がないと難しい。しかも英語ではダメで、ポルトガル語が話せなきゃいけない。海外でサッカーをするのには凄く重要だと思います」
――ブラジルでプレーしていたこともあるので、ポルトガル語には不自由していませんか?
「いや、けっこう悔しいなと思う時はありますね。言いたいことが言えなくて、伝わらなくて」
――ポルトガル3部のサッカー環境はどうですか?
「正直、大学(のサッカー部)より悪いです」
――となると、ユニフォームを洗濯してくれるスタッフすらいない感じですか?
「ホペイロさんはいます」
――ピッチのコンディションはどうですか?
「僕のチームは天然芝(のスタジアム)を持っているんですけど、デコボコでところどころ剥げている箇所がある状態です。収容人数は500人ぐらいですね」
――環境面でキツいなと思うことはありますか?
「ないです。サッカーをやる環境に関してはそこまで高望みはしていないので」
――ポルトガル3部の選手はプロ契約を結んでいるんでしょうか? それとも、別に仕事に就いていたりするんでしょうか?
「ほとんどそう(仕事との両立)です。僕のチームではほとんどそうですね」
――練習時間もそういう選手に合わせているんでしょうか?
「完全にそうです。練習は夜8時スタートで9時とか10時までやるんで、家に帰るのが11時とか11時30分とかになっちゃいます。時間のところ(各選手のスケジュール調整)は凄く大変ですね」
――アウェイで試合がある時はどうやって移動するんでしょうか?
「クラブ(所有)の乗用車に何人かで乗り合わせてクラブが借りているバスの駐車場まで行って、そのバスで試合会場に向かいます」
――生活面で厳しさや不自由さというのはありますか?
「ガスがないんですよ。シャワーでお湯が出ないのが一番困りますね。あとは(備え付けの)冷蔵庫が突然壊れたり。生活環境としては厳しいです」
――嫌気が差したりというのはないんでしょうか?
「ないです。覚悟を持って来ているので」
中島翔哉を追って
ポルトガルに骨を埋める覚悟でやっています
――自分が思い描いている次のステップは?
「次の目標はリーガ(ポルトガル2部)に上がることです」
――具体的にどのレベルのチームへ行きたいといった希望はありますか?
「特定のチームはないですけど、1部から降格して再び1部を目指すようなチームに行きたいです。トップリーグを経験しているようなチームが理想ですね」
――将来的な目標はどこに置いていますか?
「自分がポルトガルに来るきっかけになった“3強”でやりたいです。特にスポルティング。そして、ここ(ポルトガル)で結果を出して日本代表に呼ばれたい」
――その途中でもしJ2やJ3のクラブからオファーがあったらどうしますか?
「絶対に行かないです。断ります。サラリーがこっちより良くても行くつもりはありません。今はそういう気持ちです。ポルトガルに骨を埋める覚悟でやっています」
――現在、クラブからサラリーは支払われていますか?
「多少ですが月給が出ています」
――今、ポルトガル1部リーグで穂崎選手とほぼ同じ年齢、同じポジションの中島翔哉選手が活躍しています。彼に対してどんな印象を持っていますか?
「ただただ凄いなというのが率直な気持ちです。違う国で結果を出すのは難しいことじゃないですか。それなのに、こっちに来てすぐに平然と8ゴール(取材時)決めているのは凄いなと思いますね」
――中島選手と穂崎選手、2人とも同じことを言っています。「ポルトガルが好き」「気候が好き」「食べ物が好き」と。その国を好きになる、理解することは、その国でサッカーをする上で重要だと思いますか?
「とても重要だと思いますね。腰掛けではなく、その国を好きになってプレーしているとストレスのかかり方も違ってくるんじゃないでしょうか」
――中島選手が日本でプレーしていた時の印象と、今ポルトガルでプレーしている印象に違いはありますか?
「中島選手をこっちに来る前にスタジアムで観た時は、窮屈そうにプレーしている感じがしました。個人の力はあるんだけど、組織では活きないのかなという僕の勝手なイメージがあって。今はのびのびプレーしていますよね。本当にこっちのスタイルに合っている選手なんだな、個人の力がずば抜けている選手なので、組織にはめられて決まりごとが多いと彼の個性が活きないのかなと思います」
――中島選手の話が出ましたが、同年代で意識している選手はいますか?
「高校の時に一緒にやっていたカイオです。身近にいた中で一番成功しているので」
――現在、ポルトガルのトップリーグでプレーしている選手の中で「凄いな」と思う選手はいますか?
「スポルティングの右サイドのジェルソン・マルティンスです」
――どういうところが凄いと感じますか?
「突破力ですね。身体は大きくないですが、個人技で相手をかわしていける」
――ポルトガルの典型的なウインガーですよね?
「自分が目指しているのはああいうタイプの選手です」
――実際にプレーしてみて感じた、ポルトガルサッカーの印象と特徴を教えてください。
「縦に速いですよね。より攻撃に重点を置いているというか。日本のサッカーとは全然違って、ゴールに向かうイメージというか、ゴールに一直線に向かうという意識が凄く強くて、やっていてとても楽しいです」
――現在、ようやく中島選手が初の成功例になろうとしているポルトガルリーグですが、どういう日本人選手がフィットして成功できると思いますか?
「背格好とか体格が日本人とあまり変わらないので、足下のテクニックがあって足が速いサイドの選手は合うと思います。あとは中盤の選手もわりと合うんじゃないかなぁ。ただ、ある程度フィジカルが強くないとダメですね。特に3部では削られることが多いので。DFの選手は厳しいと思います。CBとかは難しいかな。前めの(ポジションの)選手、攻撃が好きな選手は合っていると思いますね、ポルトガルが。メンタルは強くないと絶対無理だと思います。自己主張が強い選手ばかりなので。自分を曲げない選手の方が良いのかなと思いますね。日本の組織では浮いちゃうような選手の方が、逆に成功する。個性が強い方が良いと思います」
――年齢的には若い方がいいと思いますか?
「それは来るなら若いうち、25歳までですね。この国で挑戦するには。海外挑戦するには良い国だと思います。ポルトガルリーグは思った以上に注目されていると思うので」
――最後に、今後ポルトガルでプレーするにあたっての意気込みを聞かせてください。
「結果を出して、来シーズン2部に上がることを今年の目標にしているんで、ゴールを獲っていきたいです。ゴールを獲ることが結果としてわかりやすいのでこだわっていきたい。あとはアシストもですね」
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約8年前から4年前にかけて世界各国の研究者が実施したクリエイティブ志向、冒険志向に関する「世界価値観調査」で日本の若者はダントツの最下位で、これを受けてアメリカを代表するとある週刊誌は、「世界一チャレンジしない日本の20代」という見出しで特集を組んだ。トップアスリートを目指す者はどこの国でも“日本の20代”の価値観とはかけ離れた存在であるのだろうが、穂崎岳志の挑戦も“無謀”という二文字で片づけられてしまうのかもしれない。
かつてポルトガル3部では、名古屋グランパスの風間八宏監督の長男である風間宏希(現ザスパクサツ群馬)が19歳でロウレタノに加入し、現在は穂崎以外に2人の日本人選手が奮闘している。しかし、そのままリーガ(2部)にステップアップした選手はいまだにいない。穂崎岳志が成長曲線を描いて、ヨーロッパの最果ての地でサクセスストーリーを紡ぐことを願って止まない。
■プロフィール
Takeshi HOSAKI
穂崎岳志
(エストレーラ・ヴェンダス・ノーバス)
1995.8.14(22歳)168cm / 64kg MF JAPAN
Photos: Tetsuya Wanibe, Getty Images