「極右主義者お断り」クラブによる思想・信条の排除は許される?
ドイツサッカー誌的フィールド
皇帝ベッケンバウアーが躍動した70年代から今日に至るまで、長く欧州サッカー界の先頭集団に身を置き続けてきたドイツ。ここでは、今ドイツ国内で注目されているトピックスを気鋭の現地ジャーナリストが新聞・雑誌などからピックアップし、独自に背景や争点を論説する。
今回は、特定の思想・政党とクラブとの向き合い方を考える。
「AfD(ドイツのための選択肢)に投票する人間は、このクラブの会員にはなれない」
フランクフルトのペーター・フィッシャー会長が昨年12月に発した一言が、大きな反響を呼んだ。多くの拍手が送られた一方で、違和感を覚えたり憤る人もいた。
2013年に結成された右派政党AfDは、昨年9月の連邦議会選挙で得票率12.6%を記録して初めて議席を獲得した。ただ、どちらかというと保守的な『フランクフルター・アルゲマイネ』紙でさえ「AfDによる、人間を蔑視するスローガンを聞かずに終わる日は皆無だ」と嫌悪感を露わにするように、人種差別的、非民主主義的、極右的であるとの批判は絶えない。
フィッシャーはAfDの支持者たちをクラブ会員にしたくないわけだが、それを判別するというのはほぼ不可能だ。とはいえ、フィッシャーにとって重要なのは発言に込められたメッセージと、そこで示したクラブとしての方針である。今年1月に開かれたクラブ総会での信任投票で、会員の前で熱い演説をしたフィッシャーは99.2%の支持を得て再当選。目論見は大成功である。
ユダヤ人との深い関係
ここ数年、リーグ戦ではほとんど目立つことのなかったフランクフルトだが、歴史的に見れば非常に特別なクラブであることをご存知だろうか。アドルフ・ヒトラーが権力を掌握するまで、彼らはユダヤ人と深い関係にあった。「他の多くのクラブとは違い、フランクフルトがナチス政権の強大な圧力に屈したのは1937年になってからであった。ただ、それがために今日まで、フランクフルトサポーターは時に、反ユダヤ主義的なチャントや罵り言葉(「ユダヤの豚野郎」など)を浴びせられてきている」と『シュピーゲル』誌は思い起こす。それが、彼らがAfDに対して過敏に反応する理由なのかもしれない。
この党の人々は「何かにつけて第三帝国(ナチス政権)の罪を顧みるのは、そろそろ終わりにするべきだ」「移民受け入れを拒否しよう」と発言したり、あるいは堂々と極右的な立場を取る人々(ネオナチ)との間に線引きをしなかったりと、露骨ではないものの過激で右翼的な思想を匂わす言動を繰り返している。2016年には党首のアレクサンダー・ガウラントが、ドイツ代表DFイェロメ・ボアテンクについてこう言い放った。
「サッカー選手としては優れているかもしれないが、ボアテンクなんぞを隣人にはしたくない」
これは完全に人種差別である。
さらに、1~3部リーグの試合のサポーター席には極右の人間が点在し、スタジアムで若い子らを勧誘している。
現状を踏まえると、ドイツサッカー界では自らの態度をはっきりさせることを強いられる。その点において、フィッシャーの発言は歓迎されるに値する。総会での演説で「我われの立場は明確です。差別、人種差別、反ユダヤ主義に抵抗しましょう!」と呼びかけると、数分にわたりスタンディングオベーションが続いた。
フィッシャーがAfDを「茶色(=ナチス)の棲家(すみか)」だと発言したことに対し、「一般化し過ぎ」で「彼らを支持するすべての人に言えることではない」とした『ターゲスツァイトゥンク』紙のような批判もある。しかし、フィッシャーが送るシグナルは重要なものだ。というのも、AfDはテレビの討論番組などで自分たちは市民的であり、過激ではないと必死にアピールすることで、既存の政党に失望している社会の中間層の人々を取り込もうとしている。ゆえに、政治家ではない公の人物が、AfDに巣食う思想がいかに危険で非人道的であるかを指摘することの意義は大きいのである。
かたやチャント、かたや敬礼
特に、旧東ドイツ地域ではこの問題に対する繊細さが足りない。最近、試合中に対戦するコットブスのファンに向かって「ナチスの豚野郎」と叫んだSCバベルスブルク(4部)のファンを、北東ドイツサッカー連盟が罰した。ところが同連盟は、同じ試合で一部のコットブスファンがヒトラー式の敬礼をし、ナチス的な歌を歌っていたことは処分どころか批判すらしなかったのだ。「恥ずべきダブルスタンダードというばかりではない。迂闊で無責任、危険である。右翼の暴れ者たちが罰せられることなく、スタジアムで好きなように振る舞えるのであれば、連盟による反差別、反人種差別、反暴力キャンペーンは意味がなくなる」と『ポツダム・ノイエステン・ナハリヒテン』紙は厳しく批判する。
こういった話は、東ドイツでよく耳にする。1部に所属するRBライプツィヒにもそういった話がないわけではない。飲料メーカー「レッドブル」の創設者であり、このクラブに大金を注いできたオーストリア人ディートリッヒ・マテシッツは、政治的にリベラルなことでは“知られていない”。「右翼的ポピュリズムへの迎合を恐れない」と『シュテルン』誌は指摘する。左派の政治家を罵り、難民を助けようとする人たちに文句を言い、米国の極右的なニュースサイト『ブライトバート』を思わせるニュースプラットフォームの立ち上げを計画している。
「真実を口にする勇気が誰にもない。それが真実であると誰もがわかっていたとしても」とは、真面目な調査報道をするメディアに対するマテシッツの言葉だ。この手の挑発は、AfDが使う修辞的レパートリーの一つでもある。
フィッシャーは、もっと多くのクラブがAfDに対して批判的な立場を示すことを願っている。そして、すでにいくつかのクラブが、そこまで極端にではないものの、そうした動きを見せている。
■今回の注目記事
「フィッシャーの義務」
「AfD党員をフランクフルトのクラブ会員として受け入れない」と発言して以降、フィッシャー会長への親AfD派からの“口撃”が続いていることを受けて、「ブンデスリーガのクラブ会長には、憎悪の言葉を浴びせられることなく人種差別的なアプローチに抵抗することさえ許されないのか?」と問いかける。(『FAZ』 2018年1月3日付)
Photos: Bongarts/Getty Images, Getty Images
Translation: Takako Maruga
Profile
ダニエル テーベライト
1971年生まれ。大学でドイツ文学とスポーツ報道を学び、10年前からサッカージャーナリストに。『フランクフルター・ルントシャウ』、『ベルリナ・ツァイトゥンク』、『シュピーゲル』などで主に執筆。視点はピッチ内に限らず、サッカーの文化的・社会的・経済的な背景にも及ぶ。サッカー界の影を見ながらも、このスポーツへの情熱は変わらない。