試合を制する“スペースの支配”を「幾何学」によって再解釈する
TACTICAL FRONTIER
サッカー戦術の最前線は近年急激なスピードで進化している。インターネットの発達で国境を越えた情報にアクセスできるようになり、指導者のキャリア形成や目指すサッカースタイルに明らかな変化が生まれた。国籍・プロアマ問わず最先端の理論が共有されるボーダーレス化の先に待つのは、どんな未来なのか?すでに世界各国で起こり始めている“戦術革命”にフォーカスし、複雑化した現代サッカーの新しい楽しみ方を提案したい。
「ジオメトリー」(幾何学)――図形や空間を主に扱う数学の分野として発展してきた学問は、古代エジプトの土地測量技術を起源としている。現代フットボールにおいても「空間」のコントロールは勝敗に直結する重要な要素である。ミランのテクニカルセンターでも活躍するマッシモ・ルッケージは「現代フットボールを分析するために、幾何学は重要な枠組みになりつつある」と述べている。今回は、フットボールにおける「幾何学」の重要性について考察していきたい。
ボロノイ図による「パーソナルスペースの可視化」
ボロノイ図は、空間的データの分析に使われる手法として知られており、複数個の点が配置された空間上で他の点がどの点に近いかによって領域分けされた図のことである。言葉だけではイメージが困難だと思われるので、まずは図をご覧いただこう。
これは、ポルトガルのスポーツ科学者ジャイメ・サンパイオ氏の分析動画の一部を抜粋したものである。2005年には日本でも電子情報通信学の分野で「優勢領域に基づいたスポーツチームワークの定量的評価」という題名でボロノイ図を使った同様の研究が行われており、サンパイオ氏の研究論文にも参考文献として引用されている。
ボロノイ図は、「移動する点」に最も近い点を発見することを容易にする。ボールがピッチの様々な位置を動く点と考えれば、ボロノイ図で表示されている自分のパーソナルスペースにボールが入ってきた時に他の選手よりも先に触れることになる(サンパイオ氏の研究論文は便宜上すべての選手が同じスピードで動く前提で分析されているが、実際のパーソナルスペースは個々のパラメーターによって変動する)。
ボロノイ図の考え方を実践しているのがナポリのビルドアップで、ハーフスペースにボールを出し入れすることによって、守備側のパーソナルスペースの間に空白地点を生み出す。例えば左のハーフスペースに縦パスが入った場合、相手チームの右ボランチは右に数歩移動することになる。そうすると、ボランチ2枚のパーソナルスペースの間にパスコースが発生する。ハーフスペースに入り込んだ選手がダイレクトでリターンパスを出し、空いたスペースに迅速に縦パスを入れれば、相手がボールに触れられないスペースから攻め込めるわけだ。特に死角となる背後からボランチの間に下りて来る“偽9番”のメカニズムと組み合わせると効果的だろう。
「ボール」という点と「選手」という点が移動することによってボロノイ図は変化していくため、それを応用することによって相手がカバーできないスペースを可視化することができる。
興味深いことに、ボロノイ図によって可視化されるスペースを感覚的に理解していた名手は少なくない。例えば、イタリア屈指の司令塔アンドレア・ピルロは「試合を人とは異なった方法で知覚していることが、私の秘密だ。視点を変えることによって大局的にピッチを見渡せる。旧来のMFと異なり、私は相手と自分の間に生じるスペースを意識している。それは、戦術ではなく幾何学的な問題だ」とコメントしている。バルセロナ黄金時代の中核を担ったシャビも「徹底的にスペースを探し続ける。スペース、スペース、スペース。DFがいれば、そのスペースは使えない。空いたスペースにパスを出さなければならない。スペースを知覚し、パスを出す。それが私の仕事だ」とインタビューに答えている。
重要なのは、あくまでもパスを出すべきは「スペース」として認識していることだろう。「人」ではなく、相手が届かない「スペース」へとパスを送る。ピッチ上に存在する22人の位置関係を把握し、パーソナルスペース(=ボールを先に触れる場所)を意識することによって相手に奪われない位置にボールを送る。人だけにとらわれてしまうと存在しないパスコースであっても、スペースを意識すれば通すことができる場合もある。
相手GKと味方ストライカーの間に落とすような正確無比なロングフィードを得意としていたピルロは、パーソナルスペースを俯瞰する能力に長けていた。スペースをコントロールするために重要となるボロノイ図は、常に変化し続けるフットボールというスポーツの中で、各選手が「占有するエリア」を可視化させる。
ヨハン・クライフは「自分だけでなく、周囲の選手のパーソナルスペースを把握していた」点で他を圧倒していた。現代で最も彼に近い存在になりつつあるのが、マンチェスター・シティのケビン・デ・ブルイネかもしれない。ボールを持ってドリブルで駆け上がり、相手が足を止めた瞬間を見逃さずに正確無比なスルーパスを送り込む。もともと速攻の局面では相手の届かないスペースへと仕掛ける認知能力の高さが光っていたが、今シーズンは様々な局面で相手の届かないスペースを使えるようになっており、さらなる進化を感じさせる。
ドロネー三角形分割による「パスコースの可視化」
ドロネー三角形分割はロシアの数学者ボリス・ドロネーが考案したもので、ボロノイ図の対になる概念だ。選手の利用可能なパスコースを示せる幾何学的な分割法は、ボロノイ図と比べると一般的にフットボールの世界で使用されてきた。例えば、[4-3-3]フォーメーションを説明する際に「多くの三角形をピッチ上に作り出せる」というのもドロネー三角形分割の一例である。
実際、三角形を作り出すことによって斜めのパスコースを増やしながら相手のバランスを崩していくことはサイド攻撃において重要視されており、左サイドを中心としたナポリの攻撃が「幾何学的」と呼ばれる一因にもなっている。横パスや縦パスであればゾーンディフェンス時に守備陣が連動することで対応することは難しくないのだが、斜めのパスは守備側がポジションを修正する難易度が飛躍的に上昇する。三角形のポジショニングは、斜めへのパスコースを常に生み出すことによって相手を苦しめる。
グアルディオラは三角形を使った幾何学的な崩しを得意としているが、その中でも最先端となるのが「5人のアタッカーが相手の2ライン間(バイタルエリア)に進入する形」だ。バイエルン時代に開発したこの戦術は今季のマンチェスター・シティでも採用されている。特にチェルシー戦では、カンテを擁するプレミア屈指の中盤守備をこの方法で攻略した。便宜上これを「4つの三角形」と名付けよう。
ポゼッションの中で相手が4+4でゾーンを形成すると、中盤の底からMFがボールを保有しながらゆったりと前進。彼の目的は、中盤の「4」から1枚を引き出すことにある。生み出される三角形の中心に引き出されたMFを取り残すように、ボールは三角形の辺上にいるプレーヤーに供給される。
厄介なのが「常に死角にアタッカーが入り込む」点であり、守備側が動いたところを起点に崩しのスイッチを入れられることだ。カバーしようと残りの3枚が絞っても、相手が4枚を置いているので数的不利になりやすい。常に空いたスペースを使われるので、対処法は少ない。
与えられた空間を最大限に活用するために、幾何学は重要なヒントとなる。組織的な守備によってスペースを奪い取る相手を崩すためには、彼らが占有するスペースを奪い返す必要がある。そのために重要なのは、今回紹介した2つの幾何学的概念が象徴するように「常に変化し続けるスペース」を可視化することだ。
ボロノイ図で言えば、密集地におけるパーソナルスペースは相手が近くにいるので狭くなり、孤立している場合のパーソナルスペースは広くなる。試合の中で味方/敵との距離感が変われば、それに伴ってスペースは常に変動していく。逆説的に言えば、「変動していくスペース」を操ることができれば守備を崩すことは容易い。それゆえにフットボールの戦術も今まで以上に動的な概念を含みつつある。GPSをはじめとしたテクノロジーの進歩によって動的なデータの解析が可能になった今だからこそ、フットボールにおける数学的要素の解明が違いを作り出していくのかもしれない。
■TACTICAL FRONTIER
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Photos: Bongarts/Getty Images, Getty Images
Profile
結城 康平
1990年生まれ、宮崎県出身。ライターとして複数の媒体に記事を寄稿しつつ、サッカー観戦を面白くするためのアイディアを練りながら日々を過ごしている。好きなバンドは、エジンバラ出身のBlue Rose Code。