モウリーニョ、暗黒の預言者。ディストピアのフットボールを奉ずる男
ショッキングなまでに保守的。誰が今、モウリーニョを必要としているのか?
シーズン序盤から中盤にかけて、ペップ・グアルディオラのチームと「唯一」プレミア王座を争い得る存在だったマンチェスター・ユナイテッド。そのポルトガル人監督2年目のチームは、これまでにないほど保守的だ。イタリアのWEBマガジン『ウルティモ・ウオモ』は考察する(12月10日公開)――誰が今、ジョゼ・モウリーニョを必要としているのか?
※断りのない限り、本稿内のデータは2017-18プレミアリーグ第15節終了時点
マンチェスター・ユナイテッドを率いて2年目の今季、ジョゼ・モウリーニョはすでに一つの目標を達成したと主張することができる。12月10日の第16節マンチェスターダービーを目前に控えた時点で、ユナイテッドはプレミアリーグのタイトルをシティと争い得る唯一の存在であるように見えた。他チームの不甲斐なさに負うところが少なくないことも事実ではあるが……。チェルシーは不安定でいくつかのポジションが手薄だし、リバプールはコンスタントに結果を積み上げるにはあまりにバランスを欠いていた。ベンゲルのアーセナルはいつも通りベンゲルのアーセナルであり、何より第15節を終えた段階でユナイテッドに7ポイント、シティからは15ポイントもの遅れを取っていた。序盤戦は非常に良かったトッテナムも、アリとケインの調子にあまりにも多くを依存しており、トップ5からの脱落も味わうことになった。
モウリーニョとグアルディオラの「因縁の対決」に向けて、すべてのストーリーは正しい方向に進んでいた。2人のライバル関係は、モダンフットボールの両極端にある2つのスタイルの対比を、最もわかりやすい形で体現している。
マンチェスター・シティは、ポジショナルプレーをその基本に置く「支配的」でスペクタクルなチームだ。その専横なまでのボール支配、ハイプレスによる即時奪回、ショートパスを駆使してプレッシャーラインの背後にいる味方を常に探す姿勢――。マンチェスター・ユナイテッドは、その同じリングの反対側に立っている。ポゼッションの放棄、低い位置に敷かれた守備ブロック、フィジカルにモノを言わせるデュエル、ロングパスとクロス、そしてトランジション――。
グアルディオラのチームはリーグ最多得点を、モウリーニョのチームはリーグ最少失点を誇っている。それだけでなく、2つのチームが外の世界に与える印象も極めて対照的なものだ。シティはサッカーファンとマスコミに愛され、対戦相手からも称賛されている。ユナイテッドはカウンター狙いの退屈なチームだと批判され、指揮官はSNS上でもしばしば嘲笑の的になっている。
つまるところモウリーニョは、いつものように彼自身が最も得意とする状況に身を置いていた。天敵グアルディオラにシーズン初黒星をつけ、その自信にひびを入れると同時に優勝争いを再燃させる可能性を宿した直接対決に、嫌われ者のアンダードッグとして臨むというシチュエーションである。
典型的な悪役の多くがそうであるように、モウリーニョは長い雌伏の時を経てきた。屈辱的なチェルシー解任、そしてユナイテッドでのぱっとしない1年目。そして宿敵グアルディオラの前に延びる優勝への道にはもはや何の障害物もなくなったかのように思われたその時、その前に立ちはだかろうとした。
このユナイテッドはどこからやって来たのか
Da dove viene questo United
ユナイテッドの17-18シーズンは、実質的には2017年5月24日、すなわち昨季のEL決勝からスタートしていたと言っていいだろう。ユナイテッドは2つのマイナーなタイトル(コミュニティシールドとリーグカップ)を勝ち獲ったとはいえ、期待を大きく下回るシーズンを送っていた。肝心のプレミアリーグでは、首位から24ポイント差の6位という成績に終わった。モウリーニョにとってストックホルムで戦うアヤックスとの決勝は、チェルシーを追われた前年に続く失望のシーズンに何らかの意味を与える唯一の、そして何よりCLに駒を進める最後のチャンスだった。
そして決勝は予想通りの結果となった(0-2で勝利)。一見すると、ブリリアントで積極的なサッカーを見せたアヤックスが押しているように見えたが、勝ったのはユナイテッド。そのパフォーマンスを見て多くの人々がモウリーニョを批判したが、試合を支配しコントロールしていたのは一貫してユナイテッドであり、中には大人と子供の試合のようだったと評してモウリーニョを称賛する声すらあった。試合終了のホイッスルが吹かれるとモウリーニョは選手たちに担ぎ上げられ、涙を流し、息子と抱き合ってピッチを転げ回った。2月の時点では「もし許されるなら戦わずに棄権したいくらいだ」と口走るほど見下していたコンペティションでの勝利を祝福してである。
だが表彰式でチームにカップが授与されると、選手たちの間に割って入って三本指を突き出し、1シーズンに3つ“もの”タイトルを勝ち獲ったことをアピールして見せた。選手たちの大半は彼を無視し、何人かは三本指を掲げて見せた。
試合後のインタビューでは疲れ切って空っぽになったようだった。シャツはしわくちゃになり目は落ちくぼんで隈ができていた。「サッカーの世界にはたくさんの詩人がいる。しかし詩人はたくさんのトロフィーを勝ち獲らない」というコメントが、ヘラクレスを率いてオランダ2部リーグで優勝した経験しかなく、これが初めての欧州カップ決勝だったアヤックスのペーター・ボス監督(当時)への当てつけであることは明らかだった。
そして、インタビュアーにこれだけ試合数の多いコンペティションに参加する価値はあったかと訊かれると、彼はこう応えたものだ。「エゴイスティックなことを言うが、私はつい先ほどからバカンスに入っている。以上だ。サッカーについて聞きたくも話したくもないし、代表の親善試合も見るつもりはない。何も知りたくない。もうバカンスなのだから」。長い間背負っていた重荷を下ろしたような表情だった。
彼自身が「キャリアの中で最も困難だった」と評したシーズンで、モウリーニョはよりアクティブに主導権を握るためのプレー原則を導入しようと試みたが大きな結果を残せず、戦術的にも戦略的にも、より受動的で「投機的」(つまり相手のミスがもたらすチャンスに賭ける)なサッカーへと舵を切って行った。EL決勝の後モウリーニョはこう語っている。「リーグ戦で2位、3位、4位になるよりもこちらの方を選んだ」。
2017年の春先になると、周囲との連係によって生きるタイプ、クリエイティブなタイプのプレーヤーはプロジェクトから外されてチームを去ることを許容され、シーズン終了と同時に周縁に追いやられた。シュバインシュタイガーは3月にMLSシカゴ・ファイアーとの契約にサインし(モウリーニョはその後、不本意な扱いをせざるを得なかったことを残念がって見せた)、キャリックは契約を延長したばかりだったにもかかわらずレギュラーの座を追われ、ルーニーは夏にエバートンへと帰って行った。彼らの代わりに獲得されたのはFWルカク、MFマティッチ、DFリンデレフ。でき上がったのは、ヨーロッパの他のクラブとは重量別の階級が一つ違う巨漢ぞろいのフィジカルなチーム。クリエイティビティを備えているのはたった2人、ポグバとムヒタリャンだけだった。
しかし8月になってみると、「フットボールの詩人」たちにとって悪夢となるべきリアクティブで破壊的なチームというアイディアに、最初の亀裂が入る。ユナイテッドはレアル・マドリーとのUEFAスーパーカップ(2-1で敗戦)で、あまりにも明らかな劣勢を露呈した。大人に玩(もてあそ)ばれる子供を演じたのは、今度はモウリーニョのチームの方だった。試合が終わると指揮官は審判のジャッジに噛みつき、ロナウドがシミュレーションをしたと文句を言った。
プラグマティズムの先へ
Oltre il pragmatismo
スーパーカップでの敗北がモウリーニョの考えを変えることはなかった。今季の彼はキャリアの中で最も強く「投機的」なプレー原則に基づいたチームを作ろうという意志を持っていた。敵との関係においてアドバンテージを取るプラグマティック(実利的)な手段としてではなく、それをチームの明確なアイデンティティと位置づけるイデオロギー的な選択としてだ。
『ガーディアン』紙でバーニー・ロネイが指摘したように、シーズンを戦う中で、真にプラグマティックな監督ならば間違いなく異なるアプローチ(より攻撃的なスタイルだったり、単にポゼッションを高めたり)を選ぶであろう状況が何度かあった。だが今季のモウリーニョは、どんな相手、どんな状況にあっても、自らのイデオロギーに基づくプレー原則をまったくブレることなく貫くことを選んできた。ポジショナルプレーの考え方に根差したプレー原則を取り入れることは、彼にとっては真の背信行為であるとでも言わんばかりに。
その観点から見るとユナイテッドは、近年の戦術的進歩の多くを否定しようとするチームだと言える。GKは後方からのビルドアップにまったく参加せず常にロングボールを蹴る。CBは攻撃を組み立てる役割を全面的にセントラルMFに委ね、ハイプレスをかけられた時には躊躇(ちゅうちょ)なく前線にロングボールを放り込み、CFはそれをフリックして裏に走り込むウイングに送ろうとする。たまたまビルドアップで敵陣までボールを運ぶと、ウイングとCFは数少ないクリエイティブなプレーヤーがタイミング良く縦パスを送り込んでくれることを祈りながら裏のスペースに走り込む。SBが攻め上がるのはクロスを上げるため以外ではない。
ユナイテッドはクリーンなやり方で攻撃を組み立てたり、ボールを動かしながら敵に対して位置的優位を取ることに、単に興味を持っていない。第15節まで1試合平均のボール支配率(51%)とパス成功数(393.5本)はいずれもプレミアリーグのビッグ6中最低の数字であり、一方ロングパス(64本)とクロス(22本)はトッテナムに次いで2番目だ。だからと言って、得点力が低かったり作り出す決定機が少なかったりするわけではない。ユナイテッドの1試合平均xG(ゴール期待値)はリーグ4位、得点数はさらに良くて2位だ。ポジションやシステムの流動化がトレンドとなっているこの時代に、個々のポジションにこれだけ厳格なタスクが割り振られているチームを見るのは、いささかショッキングではある。
ユナイテッドは完全な分業型のチームだ。守備を担うプレーヤー(大半がそうだ)、攻撃を組み立てるプレーヤー(主にポグバ。常にボールに寄って行ってパスを受け、そこから何かしらをひねり出そうとする)、1対1突破とスピードに乗ったカウンターを担うプレーヤー、そして攻撃をフィニッシュするプレーヤー(実質ルカク1人。累積xGはリーグ1位)がそれぞれ明確に分かれている。
個々のプレーヤーへの指示は少なくそして明確だ。トランジションで敵の虚を突くか、ロングボールを使って中央のルートから一気に敵陣にボールを運び、それが無理ならばSBに開いてそこからクロスを折り返し、エリア内のフィジカル的な優位を生かそうとする。実際ユナイテッドは、プレミアリーグのほぼすべてのチームに対して、とりわけセットプレーにおいてフィジカル的な優位に立っている。セットプレーはこのチーム最大の武器の1つであり、15試合ですでに8得点を記録している。これもリーグトップの数字だ。
そこから先はすべて、選手の個人能力に委ねられている。ラッシュフォードは1対1突破で数的優位を作り出し、ポグバは敵最終ラインの裏にスルーパスを送り込み、ルカクは手段にこだわらずゴールネットを揺らす。その意味において、ユナイテッドがドリブルでもリーグ1位の数字を記録し、1試合平均2.5回以上成功している選手が3人(ポグバ、マルシャル、ラッシュフォード)もいるのはまったく偶然ではない。
ユナイテッドのプレーヤーはほぼ常に、状況を独力で解決して戦術的均衡を破り、チームの運命を決めることを期待され要求されている。それをコンスタントにできない選手は徐々に外されていく。序盤戦で際立ったプレーを見せた(今なお累積アシスト期待値ではチームトップだ)ものの、その後モウリーニョに「試合から消える」と責められベンチに追いやられたムヒタリャン(編注:18年1月にアーセナルへと移籍)がその一例だ。
ディフェンス主義者?
Difensivista?
ユナイテッドがポゼッションにまったく興味を持っておらず、強敵相手だとほとんどの時間をボールのラインよりも下で過ごしているという事実は、このチームの守備が極めて良く組織されているという誤った印象を与えている。その印象はリーグ最少失点という事実によってさらに強化されている。
しかし実際のところ、ユナイテッドは攻撃している時と同じようなやり方で守っている。つまり、戦術的なタスクは極めて限定されており、個々のフィジカル的、技術的クオリティに大きく依存することによりそれを補っているということだ。基本的な指示は、ボールのラインより後ろに戻りペナルティエリアの手前にコンパクトな2ラインを敷いて、ポジションを保って守ること。前に飛び出してプレッシャーをかけるのは敵がゴールを背にしてパスを受けようとするなど、困難に陥りそうな状況に限られる。
敵がユナイテッド陣内でポゼッションを確立した時には、実質的にマンツーマンと言ってもいいやり方で守る。DFは敵アタッカーが2ライン間で前を向いてパスを受けられないよう前に出てプレッシャーをかけ、ウインガーは敵SBを自軍の最終ラインまでマークして追いかける。この振る舞い方は、自陣でのポジショナルな守備において、最終ラインが極めて狭い幅に収縮して2ライン間のスペースを消そうとする一方、中盤ラインは敵SBを捉まえるためにワイドに開くという、極めて特殊な陣形をもたらしている。
ユナイテッドがピッチの幅をケアする奇妙なやり方。最終ラインが狭く絞って中央を固め、中盤ラインが幅をカバーする。このリバプール戦(0-0/第8節)では左SBダルミアンがサラーをマークするために飛び出しているが、その背後をカバーするためのスライドがないため、ワイナルドゥムがフリーになっている
つまるところユナイテッドは、ハーフスペースのような特定のゾーンを組織的にカバーして守ることには興味を持っておらず、守備の局面を1対1のデュエルに収束させようとしているのだ。そこでは個々のプレーヤーが相手に抜かれないことが決定的な重要性を担うことになる。
4バックと併用中の[3-4-1-2]システムでは、ハーフスペースのケアがさらに大きな問題になってくる。両ウイングバックのヤングとバレンシアが最終ラインに押し込まれると、ポグバとマティッチはたった2人でピッチの幅全体をカバーしなければならない
モウリーニョがテクニックは雑だがフィジカルバトルでは決して負けないフィル・ジョーンズ、スモーリング、バレンシア、ヤングといった選手を、より複雑なことができるが地上戦と空中戦の双方において1対1で相手を潰す能力では劣るプレーヤーよりも重用している理由は、まさにこの点にある。というよりもこの点以外にはない。
当然ながら、このタイプのシステムはマークの完璧な受け渡しと1対1の支配力がすべての土台となっている。敵が1対1のドリブル突破に成功したり、組織的な動きでマークのメカニズムを混乱させたりしただけで、ユナイテッドは一気に困難に陥ることになる。
ゲームコントロールという幻想
L’ilusione del controllo
今季に関して言えば、モウリーニョのチームが常に醸し出してきた、試合の流れをコントロールしているという印象、最後には勝利を手に入れるというイメージは、単に後づけの解釈としてしか通用しないものであり、それも苦労してどうにか体裁を保っているという以上ではない。実際ユナイテッドは、失点の少なさが与える印象よりもずっと脆いチームだ。
ユナイテッドの累積被ゴール期待値は、なんとバーンリーに続くリーグ11位。第15節までの実際の失点(9)は、与えた決定機の累積xG(19.18)をおよそ10ゴールも下回っている。1試合平均の被枠内シュート数は4.2。これを上回る決定機を許しているのは、ワトフォード、ボーンマス、ストーク、サウサンプトン、レスター、クリスタルパレス、エバートン、ウェストハム、そしてスワンジーだけだ。
もし今モウリーニョがリーグ最強の守備力を誇っているとすれば、そのほとんどは信じられないほどに大当たりのシーズンを送っているGKのダビド・デ・ヘアに負っている。デ・ヘアはセーブしたシュートのゴール期待値累積でダントツのリーグ1位を守っており、アーセナル戦(○1-3/第15節)では過去10年の1試合セーブ数記録を更新した。この試合でのアーセナルは、4.6xGという際立って高いゴール期待値を記録しながら、たった1点しか挙げることができなかったのだ。
ピッチの外においても、モウリーニョの神通力はこれまでと比べて明らかに低下している。自らのコメントを通じて相手の心理を乱し、精神的な力関係をコントロールすることに、以前ほど熱心ではなくなっているようにも見える。最近のモウリーニョは、以前よりずっと陰気で、弁舌を操ってマスコミを魅了しチームを守る盾となるよりも、批判に反論して自らを正当化することに力を奪われているという印象だ。
10月末、その後頻繁に使われるようになる[3-4-1-2]を初めて導入しトッテナムを1-0で破った直後、TVカメラを振り返ると人さし指を唇に当てて「黙れ」というポーズを取った。しかし試合後の会見では、勢いに乗って煽りにかかるどころか、トーンを落として批判者たちを落ち着かせようとした。毎回毎回批判に反論するのに疲れたかのように。
同月のCLベンフィカ戦に見るに堪えない0-1で勝った直後も、殉教者のような顔をしてこう言ったものだ。「守備は犯罪ではない」。
つい先日も、おそらくかつてのモウリーニョにノスタルジーを抱いているであろう記者たちが、サウサンプトン戦の終了直前にピッチに足を踏み入れたにもかかわらず資格停止にならなかったグアルディオラについて、あらゆる手を使ってコメントを引き出そうと試みた。自身が9月に同じ理由で1試合の資格停止処分を受けていたにもかかわらず、モウリーニョは、グアルディオラには異なるルールが適用されたのではないか、という質問に答えることを拒んだ。かつてモウリーニョが使ったやり方でシティに揺さぶりをかけようとしたのは、相手のキープレーヤーが故障してくれるとうれしいとコメントしたポグバだった。
モウリーニョは今や、ピッチの上でもピッチの外でも、選手たちが彼を必要としている以上に彼らを必要としているように見える。
自らのイメージと伝説を維持するために必要不可欠な成功を追い求めるために、選手たちの個人能力を必要としているだけでなく、そのコメントにまでしがみついているその姿は、まるで自分自身の影のようだ。もはやプラグマティックでありたいという野心すら失ったモウリーニョは、ディストピアのようなフットボールを信奉する暗黒の預言者になってしまったのか。
Photos: Getty Images
Translation: Michio Katano
Profile
ウルティモ ウオモ
ダニエレ・マヌシアとティモシー・スモールの2人が共同で創設したイタリア発のまったく新しいWEBマガジン。長文の分析・考察が中心で、テクニカルで専門的な世界と文学的にスポーツを語る世界を一つに統合することを目指す。従来のジャーナリズムにはなかった専門性の高い記事で新たなファン層を開拓し、イタリア国内で高い評価を得ている。媒体名のウルティモ・ウオモは「最後の1人=オフサイドラインの基準となるDF」を意味する。