現場で感じるオランダサッカー
平山相太がヘラクレスでプレーしていた頃、ある格闘技団体のレジェンドがこう言った。
「彼に格闘技をやらせてみたいんですが、どう思いますか? あの身長、あのフィジカル。我われにとっても、とても興味深い存在なんです」
その問いに、私は「彼は痛がり屋だから、格闘技は無理でしょう」と即答したものの、あらためて平山相太という男のスケールのデカさに驚いていた。
デビューマッチは衝撃的だった。2005年8月20日、ADOに1-0とリードされていた75分にピッチに入ると、セットプレーからヘッドで2ゴールを決めて、チームを逆転勝利に導いたのだ。2点目のゴールに「新しい中田英寿はアルメロに誕生した!」と現地のテレビ実況は興奮しながら叫んだ。
同年11月20日のローゼンダール戦では、左からの高いクロスをジャンプしながら左胸でコントロールすると、ボールの落ち際をすくい上げてDFを頭越しに交わし、豪快な左足ボレーでスーパーゴールを決めた。なるほど、格闘技界から関心を集めるだけのフィジカルとボディコントロールを誇っていた。
プロ生活1年目ということもあって、シーズン終盤はコンディションが落ちていってしまい、10試合連続無得点という低迷期があった。個人トレーナーと相談した彼は、崩れていた腹筋と背筋のバランスを整えるエクササイズをし、それが実って2006年4月11日のNAC戦で1ゴール1アシストと大活躍。75分に交代する時には、お客で膨れ上がった満員の観客席から、スタンディングオベーションが送られた。
そして、その夜、平山は泣いた。
契約解除の真相
平山がまだオランダに来て間もない頃、私は雑誌の依頼で彼にインタビューしたのだが、お互いに人見知りということもあって、あまり話が弾まなかった。家に帰って頭を抱えた私は、もう一度アルメロに行って練習を終えた平山に「悪いけれど、もうちょっと君のことを知りたいんだ。もう一回、話を聞かせてもらえないだろうか?」と頼んでみた。すると、彼は快活に「良いですよ!」と承諾してくれた。インタビューが成功裏に終わったのは言うまでもない。以降、いろいろとストレートな話を聞くことができた。
へラクレスのサポーターも、平山のことを愛していた。「相太が最近、元気がない。そうだ、釣りにでも連れて行ってやろう」と彼らはクラブに許可を求めに行った。しかし、答えはノー。アルメロでの田舎暮らしに孤独感を深めていた平山に、その思いが届いたのか、私にはわからない。
2年目のプレシーズンマッチで、当時ポルトにいたペペ(現ベシクタシュ/ポルトガル代表DF)との空中戦で競り勝ち続けた試合も強烈な印象を残した。しかしその1カ月後、「プレスをかけるな」と指示されたのにプレスをかけに行ったことで監督の信頼を失い、やがてはクラブともうまく行かなくなり契約解除に。帰国の日、私は空港で平山、そして彼の母とコーヒーを飲んだのだが、何を話したのか記憶にまったく残っていない。きっと、彼はひっそりと帰りたかったのだろう。だから私もその日の記憶を消してしまったのだと思う。
引退の報に、大成しなかったことを惜しむ声は多い。私にも「相太はもっとやれたはず」という思いもあるにはある。
だが、彼はプロとして32歳まで戦い続けたのだ。ほとんどのプロフットボーラーは、そこまで長く現役生活を続けることはできない。今はただ、「お疲れ様でした」の思いでいっぱいである。
Photos: Getty Images
Profile
中田 徹
メキシコW杯のブラジル対フランスを超える試合を見たい、ボンボネーラの興奮を超える現場へ行きたい……。その気持ちが観戦、取材のモチベーション。どんな試合でも楽しそうにサッカーを見るオランダ人の姿に啓発され、中小クラブの取材にも力を注いでいる。