イタリアサッカー界のスポーツ科学研究施設として有名なのはミランラボだが、実ははるかに大規模な研究機関をサッスオーロが有している。正確には、その親会社にしてメインスポンサーである建材メーカー「マペイ」の持ち物。今回の特集にあたり、フィジカルデータ測定と研究の最先端を行くこのマペイ・スポーツセンター(以下MSC)に潜入取材を試みた。
設立は1998年。マペイが当時所有していた自転車競技チームのために、フィジカルの強化からスポーツ医療、栄養学の研究までできる総合施設として発足した。その後、マペイは2002年に同競技から撤退。以降はサッカーを含む様々な競技のサポートに業務を拡大し、13年には1400平米の敷地面積を誇るミラノ近郊オルジャーテ・オローナに施設を移した。
ラニエリの橋渡しでモナコ、レスターとも契約
パフォーマンス計測部門の主任であるエルマンノ・ランピニーニ博士の案内の下、施設を回る。中には20人のスタッフがおり、最新鋭のフィジカルデータ計測機器が稼働している。例えば、6機の赤外線センサーで多角度から筋肉の精密な動きを計測することのできるキネシオロジー(身体運動科学)分析室。故障から復帰したアスリートは、無意識に負傷した個所をかばうため、結果負担が他部位に及んで別の故障を引き起こすことがある。この装置は、その負担がどこにかかっているかを精密に計測する。そこで問題が判明すれば、すぐにリハビリ計画の再構築を図る。
「我われの活動コンセプトは、最適な形でパフォーマンスを向上させること。そのためにまず正確な情報の収集と提供を行い、適切で効率の良いトレーニング戦略へと導きたい」
MSCでは外傷予防やパフォーマンス評価のため、心肺機能や筋力などバイオメカニカル的な側面からありとあらゆるデータを測定する。バイオメカニカルの数値化は、現代サッカーに不可欠になっているとランピニーニ博士は力説する。
「過密日程にどう対応するかもそうだし、現代のイタリアサッカーは以前より攻撃的になっている。つまりは運動量をはじめとしたアスリート能力も要求され、同時に負荷も増える。そのためにトレーニングの最適化が必要だ」
MSCは、他のクラブとも業務提携を結んでいる。セリエAのサンプドリア、ウディネーゼ、その他複数のセリエBクラブが彼らの顧客だ。ユベントスにはビノーボの練習場まで出張サービスを行い、国外ではモナコと協力関係を築いている。当時、ラニエリ監督が就任していた縁で実現したものだそうだが、同監督を通じ今度はレスターともサポート契約を結んだ。なお業務内容はクラブのニーズによって異なり、例えばアタランタは栄養学サポートのみのスポット依頼を行っているという。
「心理面とコンディションの関係をデータ化したい」
もちろん、サッスオーロは施設、機材、人材すべてでフルスペックのサポートが得られる。研究所から約200km離れた練習場からは、毎日詳細なデータが届く。GPSを介して稼働量やスピード、ダッシュの回数などが計測され、その日のうちに現場が分析可能なデータとしてまとめられる。数値だけでなく練習中の様子を少なくとも3方向から撮影した映像データも届くそうだが、これは選手の身体が本来の機能通りに動いているかを観察するためらしい。そして5、6週間に1回は機器を持ち出して練習場で直接データを取る。
サッスオーロのスタッフはトレーナー4人、フィジカルコーチ4人、医師2人の大世帯。これはビッグクラブに匹敵する規模で、疲労回復、パフォーマンス強化とそれぞれ専門分野が異なる。
「実際のところ、セリエAのクラブで技術レベルにそれほど差はない。勝敗はフィジカルコンディションやアスリート能力で決まる」とランピニーニ博士は言う。なるほど、2年前の初昇格以来、右肩上がりの成長を続けるサッスオーロ躍進の秘訣はどこにあったのか、おのずとわかるというものだ。
スポーツ科学の分野で、サッカーに対する関心は増しているという。サッカーを対象とした研究論文は20年前は全世界で100ほどだったそうだが、2014年は1000近く発表された。MSCはいわばその最先端で研究を進めているわけだが、現在は「心理面とフィジカルコンディションの関係」に関心を持っているのだとか。
「悩みがあると選手のパフォーマンスが落ちると現場の監督は言う。現在MSCに心理学士はいないが、実際に因果関係があるのかいずれデータを取りたい。このような現場の直感に科学的な根拠を見出すのが我われの仕事だ」とランピニーニ博士はアカデミックな研究の意義を語る。
サッカーはデータ化しにくいスポーツと思われがちだが、科学的な解析で先んじなければ勝てない時代はもう来ている―― そんな思いを強くした潜入取材だった。
Photos: Mitsuomi Kamio
Profile
神尾 光臣
1973年福岡県生まれ。2003年からイタリアはジェノバでカルチョの取材を始めたが、2011年、長友のインテル電撃移籍をきっかけに突如“上京”を決意。現在はミラノ近郊のサロンノに在住し、シチリアの海と太陽を時々懐かしみつつ、取材・執筆に勤しむ。