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マクスウェル:パリへは“スーツケース”を持って

2017.06.29

ジェラード、ランパードにラーム、シャビ・アロンソ、カイトなど、16-17シーズンを最後に多くの名手たちが現役引退を決断した。その中の一人、マクスウェルへの惜別を込めて、2年前に収録したインタビューを当時のまま公開する。

INTERVIEW with
MAXWELL
マクスウェル(パリ・サンジェルマン)

頂点を極めた男がハマった、生み出す楽しさ

リーグ3連覇を狙い、史上初の3冠も視野に入れるパリ・サンジェルマン。所属4年目のマクスウェルもさらなるモチベーションに燃えている。アヤックス、インテル、バルセロナと名立たる強豪に所属しビッグイアーも獲得した彼が、それまでとは正反対のサッカー人生を謳歌していることが肌から伝わってきた。

チェルシー打破で感じた成長

「俺たちはここにいるぞ!」と確信できた

――4月25日、6-1で勝利した第34節リール戦の開始1分に決めた先制点は素晴らしいゴールでしたね!

 「そうだね。早く先制できたおかげで、その後は自由に展開できたし、より自信を持ってゲームを進められたから、チームのためにも良かったよ」

――3年続けてチャンピオンズリーグ準々決勝敗退という痛手を払拭するためにも重要な勝利だったのでは?

 「確かにね。チャンピオンズリーグ敗退は僕らにとって大きな失望だったし、サポーターとの間にポジティブな空気を取り戻すためにも、あの試合で勝利することは重要だった。でも、それだけじゃない。シーズンのこの段階では、もう1ポイントたりとも失うことは許されない。絶対に勝ち点3を取って首位の座を保持する必要があるからね」

――チームはフランス史上初の3冠獲得に照準を切り替えたのですか?

 「その通り。今の僕らのモチベーションは3冠獲得だ。新たな歴史を作ることになるからね。でも、そのことだけにフォーカスしているわけじゃない。シーズン終盤は、残留が危ないチームや欧州カップ戦に手が届きそうなチームも必死に勝ち点を奪いに来るから、一瞬たりとも気を抜くわけにはいかないんだ」

――リーグ随一の戦力を誇るパリ・サンジェルマンですが、周囲が想像するほど楽な戦いではないと。

 「特に今季は序盤から安定した成績を出せなかったからね。落とすべきではない勝ち点を落としてしまったおかげで、終盤にまったく余裕がなくなった。でも、競った展開はエキサイティングで燃えるよ。チームも、この切羽詰まった状況の中で絶対にリーグタイトルを勝ち獲ってやろう! と奮い立っているんだ」

――シーズン序盤に出遅れた中、チャンピオンズリーグのラウンド16 チェルシー戦第1レグがターニングポイントになったのでは?

 「あの試合は内容的にもインテリジェントかつソリッドに戦えた。守備が自慢のチームに対して多くのチャンスを作れたのも大きかった。それで僕ら自身、『俺たちはここにいるぞ!』と存在意義を確信できたんだ。その後はリーグでも良い結果が出せるようになった。ロンドンでの第2レグの結果も素晴らしかったしね。浮き沈みが激しいシーズンだったけど、あの時期から真の強さを手に入れた実感があったよ」

――会長が目標に掲げているように、将来的にビッグイアーを手にすることは可能だと思いますか?

 「もちろん! クラブはその野望に燃えているしね。バルセロナとの準々決勝では戦力もそろっていなかったし、自分たちの力を十分に発揮できなかった。もちろんバルセロナも素晴らしかった。攻守両面で見事な戦い方だった。でもクラブも僕ら選手も、このタイトルを獲得したい、という強い思いを抱き続けている。来季はもっと良い結果を出せると信じているよ」

――あなたが在籍していた10-11シーズンのバルセロナはリーグとチャンピオンズリーグで優勝しました。彼らを100とすると、今のPSGのレベルはどのくらいでしょう?

 「そういった比較はできないな。なぜなら僕がいた頃のバルセロナは成熟した時期にあり、歴代のバルセロナの中でもかなり強いチームだった。監督は戦術に長けていて、それをピッチ上で体現できる優秀な選手がそろっていた。必要なタイミングに必要とされるプレーヤーが常にいる、という状況にあったんだ。そんな完成期にあり、歴史があり、何十年にもわたってクラブとしての哲学が根づいているチームと、4年前にプロジェクトを立ち上げて構築を始めたばかりの若いPSGを、同じ土俵で比べることはできないよ。プレー哲学だって作り始めたばかりで、環境もすべて一新したPSGは本当に生まれたてのチームなんだ。だから比較はしたくない。でも、わずか4年にしては凄く成長したと思うよ。チャンピオンズリーグ優勝を期待されているけど、それはそう簡単に手に入る栄誉じゃない。それよりも、この短期間で成し遂げたことを誇りに思うべきだ。このままの方向性で進んでいけば、みなが待ち望むものもいずれは手にできるはずさ」

キャリアを通じて38タイトルを獲得したマクスウェルにとっても、CL制覇は後にも先にもこの1度だけだった

ビッグネームがピッチ外で築いた貢献

練習用グラウンドなんて300%変わった

――以前インタビューで、人間として成長したのがアヤックス、戦術面で成長したのがバルセロナ、と話していましたね。現在のPSGでのチャレンジについては?

 「キャリアを通じて常に成長を続けていると感じているけど、アヤックスは本当に僕を一人の人間として成長させてくれた。インテル時代は守備の基礎がとても勉強になった。イタリアのサッカーはディフェンスの要求が高いからね。バルセロナ時代はフィジカル的にも技術的にもより成熟していたから、選手として最も充実していた。そしてPSGにはまったく別の状況でやって来た。これまで修得した経験や知識、言ってみれば、それらがいっぱいに詰まったスーツケースを持ってきたんだ。でも反対に、心理的にはフレッシュだった。新プロジェクトの立ち上げにほぼスタート地点から関わることになったからだ。それが『闘い続けたい!』という強いモチベーションになった。強豪と認識されていないチームを高みへと引き揚げていく、その原動力の一部になる、というプロジェクトに興奮したし、関われることをとてもうれしく思っている」

――クラブは、あなたのそのスーツケースの中味をシェアしたかったと。

 「今でも思い出すよ。3年前にここへ来た時、クラブのスタッフとちょうど同じようにこうやって座っていた。でも、周りはがらんとしていて、何の設備もなかった(注:現在は、整備の行き届いたグラウンドと、モダンなクラブハウスがある)。ありとあらゆることを質問されたよ。他のクラブではこれはどうしてた、あれはどうしてたってね。彼らにとってそうした情報はとても有益だったんだ。施設についてもそう。(前監督の)アンチェロッティとも相当ディスカッションをした。もちろん僕だけじゃない。ここに集められた選手はみな意見を求められた。少しでもクラブにとってポジティブな情報があれば出し合って、それを形にしていった。だから僕も、自分が知っていること、体験してきたことが、クラブのプラスになるのなら、と持っているものはすべて出してきたよ」

――ピッチの上だけでなく、そういった周辺のことについても経験が求められていたわけですね。

 「あらゆることについてね。実際、3年前とはすべてがガラリと変わった。ここ(練習場)の様子を毎日観察している人はいないだろうから、なかなか外部の人は気づかないことだけど、練習用のグラウンドなんて当時と今とじゃ300%は変わったよ(笑)。芝の質がまったく違うんだ。食事、ジム、いろいろな設備、プレス用のスペース……すべてがグレードアップした。おかげでより快適に過ごせるようになったし、使い勝手が良ければ、選手はそれだけ喜びを感じる。こんな短期間によくこれだけ改善できたと感心するよ」

――ビッグネーム獲得には、そういったビッグクラブのあり方を教わるという狙いもあったのですね。

 「もちろん当時は(スポーツディレクターの)レオナルドがいたから、当初は彼がいろいろなアイディアを注入した。立ち上げのメンバー全員を決めたのも彼だし。そこへアンチェロッティも来たから、彼ら2人の経験がクラブに注入された。レオナルドが去った後は、僕ら選手も意見を求められるようになった。それがクラブをより良くするのに役立つことだったからね」

――貢献が目に見えて形になっていく、というのは手ごたえになりますよね。

 「そうなんだ。だからみな、このプロジェクトには本当にポジティブなものを感じているんだ。目に見えてクラブがどんどん変わって行くんだからね。だからそのプロセスに加わりたい、という気持ちも強くなる」

――その充実感があったからこそ、あなたも3月に契約を1年更新したんですね。

 「クラブも自分に満足してくれていたし、僕自身もハッピーだったからね。僕の年齢で新たな契約をもらうのは簡単なことじゃないけど、クラブの信頼もあってそれが実現した。来季は僕が欧州でプレーする最後のシーズンになると思うけど、欧州でのキャリアをここで終えられることを本当にうれしく思っているよ」

真っ白な今後のプラン

日本での売り込みもお願いしておくよ
 
――2016年の契約満了後について何かプランがあるのですか?

 「特にないんだ。成り行きに任せることにしている。どんなオファーにもオープンだし、いろいろな可能性を見て決めたいと思っているよ。どんな可能性があるかはわからないけど、ひとまず欧州については、これまでプレーしてきたクラブで十分満足したから、もう終わりにしてもいいと思えるんだ」

――では、アジアやアメリカでプレーする可能性も?

 「もちろん! 選手として面白いチャレンジだし、生活面でも素晴らしい経験になると思うからね。違う土地に行けばサッカーのスタイルも違うだろうし。そんなチャレンジにも興味がある」

――そしてその新天地でまたまたイブラヒモビッチと再会したりして……。

 「で、また一緒にプレーしてたりして(爆笑)!?」

――こんなにも長い間、同じチームでプレーしているのも珍しいですよね。まさか狙ってというわけでは……。

 「いや、まずは彼のような偉大な選手と何年も一緒にプレーできたのは本当に光栄なことだと思っている。ラッキーだったよ。互いに行く先々でベストを尽くしていたからこういう幸運にも恵まれたと思うし、そもそも各クラブがたまたま僕ら2人のポジションを探していたという偶然も重なったんだ。それで代理人が同じということもあって、彼の働きもあって一緒にプレーする機会が訪れた。本当に貴重な体験だよ」

――そんなあなたはイブラの素顔をとてもよく知る人物だと思いますが、世間が抱く彼のイメージがアンフェアだと感じることはありませんか?

 「人々は、ピッチでの様子から僕らのことを判断する。でも選手は一歩ピッチを出たら別人だったりもする。それぞれ家族がいて、自分のフィロソフィに基づいて生活しているからね。イブラは確かにピッチの上での印象が強烈だから、人々はそれを元にして良くないイメージを抱きがちだけど、特に問題を抱えているわけでもない限り、彼も善良なファミリーマンであって、問題児ではまったくないよ。僕自身は彼の素顔を知っていて、本当に良い奴だとわかっている。だからどんな評判を立てられようとも気にしないし、彼に対する友情も変わらない。ファンタスティックな男なんだ」

https://www.instagram.com/p/BUoW4TQA8iT/
欧州で所属したアヤックス、インテル、バルセロナ、そしてパリ・サンジェルマンすべてでともにプレーしたイブラヒモビッチは、先にスパイクを脱ぐ盟友にインスタグラムで「一人の人として、そしてサッカー選手として。どんな言葉でも君を言い表せない。君が今までにしてくれたことと、これからしてくれることにありがとう。そして友でいてくれてありがとう」とメッセージを送った

――ここまでお話を伺っていても、とても説明が明快で話がお上手ですから、コーチ業のような指導者、あるいはコメンテーターにも向いているような気がします。引退後のそのような青写真は?

 「え? 僕に仕事を斡旋してくれる気なの? 日本に良いポストがあるかな(笑)」

――もちろんですよ。チーム1のイケメンですし、テレビのお仕事は打ってつけでは……。

 「本当に? いや〜うれしいなあ(笑)。実際、自分に何が向いているか、考えているところではあるよ。これまでの人生、人として常に正しく、そして選手としては常にプロに徹して、という気持ちを抱いてやってきた。将来についてはまったくオープンな状態だから、日本での売り込みもお願いしておくよ(笑)」

――コーチングライセンスの取得は?

 「それは考えているよ。選手にとって、ライセンスを取っておくことは損にはならないからね。実際に監督を目指さないにしても、いつそんな機会がやって来るかはわからないし、その時に役立てるようにね。引退したら、まずその資格は取るつもりだ」

――お住まいは? ブラジルに帰りたいですか?

 「僕の子供も妻も動き回る生活には慣れっこだから、住む場所はどこでもOKなんだ。僕自身も、違う土地で新しいカルチャーや違った生活体験をすることに凄く興味がある。だから場所は選ばないつもりだ」

――日本には48歳のストライカーもいます。そのような長~いキャリアに興味はありますか?

 「48歳? ストライカー? それは素晴らしいね!尊敬するなあ! でも、僕は無理。あと2年で引退かな〜なんて今から考えているんだから(笑)。48歳になる頃には孫と一緒に遊んでいるんじゃないかな」

――最後に日本の読者にメッセージをお願いします。

 「僕は日本が大好きなんだ。僕はクルゼイロ出身なんだけど、このクラブは伝統的に日本から若い選手を練習生として受け入れていたから、昔から日本人とは交友があってね。バルセロナ時代にFCWCで訪日したし。日本のサッカーの発展を願っているよ。サッカー熱も高いと聞いているからね。国民のみなさんに幸福を! 近いうちに会えたらとてもうれしいです!」

■プロフィール
MAXWELL Scherrer Cabelino Andrade
マクスウェル・シェレル・カベリーノ・アンドラーデ

1981.8.27(33歳)176cm / 73kg DF BRAZIL
ブラジル東南のカショエイロ・ジ・イタペミリン出身。2000年に名門クルゼイロでプロ入りし、翌年アヤックスと5年契約。リーグ優勝を果たした03–04 にはオランダ年間最優秀選手に選出された。その後インテル、バルセロナ、パリSGと渡り歩き3クラブで計30ものタイトルを獲得。16–17シーズン終了後に現役引退を表明した。ブラジル代表としては、2004年に初招集されたものの実際にデビューしたのは32歳になる直前の2013年8月。自国開催の2014年W杯を経験し、大会後に引退した(10試合0得点)。2001年にアヤックスで初めて出会ったイブラヒモビッチとはその後も移籍する先々で再会し、昨年彼がパリを去るまでの間に通算で13シーズンもともにプレーした。

PLAYING CAREER
2000-01 Cruzeiro
2001-06 Ajax (NED)


2006-09 Inter (ITA)


2009-12 Barcelona (ESP)


2012-17 Paris Saint-Germain (FRA)

Photos: Getty Images, Bongarts/Getty Images

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Profile

小川 由紀子

ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。

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