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グアルディオラは誤解されている。「信念の男」の本質とは?

2017.06.06

特別公開!『グアルディオラ総論』訳者あとがき

 私のグアルディオラ観は間違っていた。

 バルセロナを離れバイエルンの監督に就任することが決まった時、私はそれを「布教」と呼んだことある。クライフを「始祖」とする「パスサッカー教」というのがあり、「教祖」グアルディオラはその教えを広めにドイツに「巡礼」の旅に出たのだと考えた。グアルディオラにつきまとう「禁欲的な求道者」というイメージも、宗教にたとえるのがピッタリだと思わせた。

 グアルディオラの周辺に「信者」がいるのは事実である。

 我々は信念の人に魅かれる。この不安定で先の見えない世界で、確固とした考えの持ち主は強く大きく見える。「寄らば大樹の陰」と言う通り、私たちの不安な心は彼らや彼らの成功モデルに寄り添って支えてもらいたくなる。バルセロナで披露された美しく勝利するサッカーを真似ることで私も勝手に「入信」済みである。私はスペインのサッカースクールで小学生を指導しているが、この本に出て来る「ロンド(鳥かご)」を練習に取り入れているし、「ポジショナルプレー」の真似事もしている。私はグアルディオラを指導の世界での師の一人だと考えているから、「信者」と呼ばれても良い。

 だが、そんな私の思い込みに反してグアルディオラは教祖ではなかった。

 教祖として大事なことが欠けている。彼は信念を貫かないし、教えがコロコロ変わるのだ。経典がコロコロ変わっていてはどんな宗教も伝承は難しいし分裂して消滅する運命だ。この本を訳していて最もショッキングだったのは、2009年のバルセロナでの3冠獲得時のようなプレーはもうできない、という意味の発言を本人がしているところだ。彼はバルセロナ時代のあのサッカーをもう時代遅れだ、今はもう通用しないと見なしているのだった。これはつまり、私たち信者に“究極のサッカー”に見えたあのサッカーを“サッカー未開の地”ドイツやイングランドへ教授したいとはつゆほども思っていない、ということである。

 ドイツへ行った時もイングランドに行った時も、教えに来たのではなく教えを乞うために来たのだ、と最初に念を押している。

 この発言をグアルディオラの謙虚さの表れ、と解釈するのは間違っていたと気が付いた。あれは本音なのだ。サッカー文化は国によって違う上に、サッカーは止まることなく日々進化している。2009年のバルセロナのサッカーが、2013年のドイツ、2016年のイングランドで通用するわけがなく、グアルディオラが変わらないまま成功するわけがないのだ。

ゴリゴリの勝利第一主義者

 「教祖」グアルディオラへのロマンチックな誤解はもっとある。

 「美しく勝利したい」と考えているのは事実だが、「美しければ負けても良い」とは思っていない、というのがこの本を読めばわかる。彼はとてつもなくコンペティティブな監督で、勝利を最優先しプラスαとして美を求めている。彼が美しいサッカーを目指しているのは、何より勝てるサッカーだからなのだ。「相手の持ち味を引き出してそれを受けた末に4-3で勝とう」とは思っておらず、「5-0で叩き潰そう」と思っている。彼の超綿密な対戦相手の分析は、いかに相手の持ち味を消すかに全力を注いだ結果である。ある意味、彼はゴリゴリの勝利第一主義者なのだ。

 とはいえ、グアルディオラは普通の人間でもない。教祖でなくなったからと言って、彼を我われのレベルまで引きずり落とすのは間違っている。

 この本にはクラブや選手、メディアと対立したり、彼が大好きな結果が出なかったことで苦悩する「人間グアルディオラ」の様が描写されている。3年間グアルディオラのそばにいることを許された著者でなければ表に出なかったことだ。ロッカールームを掃除するエピソードに感心したり、親近感のあるグアルディオラの姿に触れてホッとしたりするのはいいが、それをもって「グアルディオラも人間なんだ」という陳腐な結論に達するのは教祖やカリスマに祭り上げるのと同じく誤りだろう。

 だって、あのくらい完璧主義者でそれゆえに冷徹で明晰で、何より仕事に心血を注げる人間が他にいるだろうか? 仕事に忙殺されているのではなく、彼は喜んで私生活を犠牲にし、選手にも同様の規律を要求する。それができない者は、忠誠と献身に欠けると見なされて容赦なく切り捨てられる。

 結局のところ、グアルディオラはやはり「信念の男」であり「求道者」なのだろう。

 信念の男と言っても、「考えを変えない」という意味ではなく、「学び続け変化し続けるという信念を決して捨てない男」、という意味だ。目指す「ファンを感動させ勝てるサッカー」を求めて、グアルディオラは今日も変化し続けている。サッカーは進化しているし監督も選手も進化している。彼らの実践する戦術もメンタルコントロールもフィジカル強化も歩みを止めることはない。止まった者はすぐさま陳腐化する運命、という文字通りのコンペティティブな世界で全力疾走を続けてエリートに居続けられるというのは、やはり凡人にはできない。
著者の前著『ペップ・グアルディオラ キミにすべてを語ろう』が戦術本だとすれば、この本は書名にある通り「総論」である。

 彼がどんな監督でどんな人間で何を考えていて何をやろうとしているのか? グアルディオラに関する謎や誤解が本人の言葉や著者の観察と分析によって解けるようになっている。読後に見えてくるのはグアルディオラそのもの、グアルディオラの全体像である。もっとも、「2016年10月時点」という注意書きを付けておかないと、本人に怒られるかもしれないが。

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Photo: Getty Images

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木村 浩嗣

編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。

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