アナリスト白井裕之が語るオランダ新世代監督の可能性
ファン・ハール、ヒディンクを筆頭に数多くの名将を輩出してきたオランダで、指揮官の世代交代が進んでいる。昨季までリーグ2連覇していたPSVのコクー、今季18年ぶりにリーグ優勝を果たしたフェイエノールトのファン・ブロンクホルスト、アヤックスを21年ぶりの欧州カップ戦決勝に導き、来季からドルトムントを指揮するペーター・ボス。そんなオランダ新世代監督の可能性をオランダでアナリストを務める白井裕之氏に聞いた、16-17シーズン開幕前のインタビューを再掲載。
スター監督ブーム?
“オランダの監督には2つの流れがあります”
──PSVのフィリップ・コクー、フェイエノールトのジョバンニ・ファン・ブロンクホルスト、アヤックスもフランク・デ・ブールが監督を務めていました。オランダは今スター監督ブームなんでしょうか?
「ちょうど世界の舞台で選手として結果を残した世代が指導者になるタイミングですよね。ただ、オランダの監督にはそうした元代表やビッグクラブでプレーした選手がコーチになる流れの他に、選手キャリアがない人でも実績を上げてキャリアアップしていく道もあるんです。僕もそうだったんですけど、日本人が日本語の訛りのオランダ語をしゃべっていても、自分のチームが優勝や好成績を上げると他チームからオファーが来て、最終的にはアヤックスに獲ってもらえる。ステップアップするためのピラミッドが整備されているんです。
叩き上げ監督の具体例を挙げると、2部のスパルタ・ロッテルダムを1部に上げたアレックス・パストール、ズウォレを躍進させたロン・ヤンスもそうですね。一番面白いところで言うと、ユトレヒトのエリック・テン・ハフは2013年から2015年までペップ・グアルディオラ時代のバイエルンでセカンドチームの監督やっていた人です。去年、最優秀監督賞(リヌス・ミケルス・アワード)に輝いた今売出し中の監督で、ペップのサッカーをオランダに持ち込んでいます」
──ドイツでは元有名選手よりもしっかり指導者の勉強をしてきた監督に注目が集まっていますが、オランダの現場ではどうでしょうか?
「この国の監督はオランダサッカー協会のライセンス制度と実践の中でしっかり理論を勉強して身に着けてきていますので、分析から戦術トレーニング、コンディショニングまで指導者としての能力を一つのパッケージとして持っています。特にコンディショニングに関しては、レイモンド・フェルハイエンが提唱するピリオダイゼーションという最新メソッドがあるんですけど、こうした理論を使いこなして年間のコンディションニングやチームビルディングを管理できるのが叩き上げ監督のメリットですね。
反対に、元有名選手は自分の頭にあるアイディアをどう実現させていくかに関しては足りない部分が出てくるので、良い参謀を連れてくる。ライカールトのバルセロナ時代のテン・カーテが代表例ですね。実はクライフも、自分の周りにスペシャリストを置いていました。彼はペップみたいに手取り足取りの指導はしないので、全体像を示すだけで後は彼の右腕、左腕がトレーニングを組んでいたそうです」
──コーチングスタッフ全体で最大の効果を発揮すればいいわけですからね。
「そうですね。元有名選手と叩き上げのどちらが良いとか悪いではないんです。ただ、ビッグクラブを率いる場合は、やはり元選手としての肩書きは必要になってきますね。選手への説得力というピッチレベルの話の他に、経営レベルでスポンサーがたくさん付くとか、クラブにとってのプラスって大きいと思うんですよね。サポータにとってもずっとプレーしてくれたスター選手が監督として戻って来てくれたらうれしいじゃないですか。それが健全なプロサッカークラブのサイクルという気もします」
ペーター・ボスという劇薬
“サッカーの考え方はクライフに近い”
──ビッグクラブの中ではペーター・ボスは叩き上げ監督のカテゴリーでしょうか?
「彼は現役時代にオランダ代表やフェイエノールトでプレーしていて、国内では有名でしたけど、指導者としてはしっかり下のレベルからやって来ている人です。ヘラクレスで目覚ましい成果を上げ、フェイエノールトのGMを経由して、フィテッセで指導者として再び大きな成功を収めて、今季からアヤックスが三顧の礼で迎えました」
──フェイエノールト派の人がアヤックスの監督になったんですね。
「フェイエノールトでのキャリアが状況を難しくしているのは確かです。結果が出なかったら袋叩きにあうかもしれません。プレシーズンで今まで勝てていなくて、これからギリシャのPAOKとCL予備予選を戦うんですけど、この結果次第ではかなり風当たりが厳しくなると思います(結果は2戦合計3-2でアヤックスが勝利)。
彼のサッカーの考え方はクライフに近くて、かなり攻撃的なんですね。攻守の切り替え(攻撃→守備)の原則が『5秒以内に取り返す』『前方へプレッシャーをかける』といった具合に明確に設定されています。デ・ブールの時にはそういうふうにやっていなかったので、それを90分間維持するのはなかなか難しくて、選手たちから『CLではまず結果が必要だから、良いサッカーをしても負けたらしょうがない』という意見が出まして、監督が譲歩するような形で現段階ではより確実な原則で実践している状況ですね。選手側がペーター・ボスのサッカーを受け入れていくのか、あるいは受け入れないのか。デ・ブールの下でやっていた選手が多いので、フェイエノールト出身の外様の監督が『何か新しいことを言っているけど、これで本当に結果が出るのか』と思われている中で、自分のやり方を認めさせるには相当なエネルギーが必要だと思います」
──フロントがデ・ブールを代えたのは、彼のサッカーに限界を感じていたということですか?
「それは、少なからずあると思います。リーグ4連覇した時によく言われていたことなんですが、『結果は良かったよね、でもサッカーの内容は面白くないよね』と。彼のサッカーは、ボールを取られないためにパスを回すんです。その結果、総失点が凄く低いんですよ、昨季は21点しか取られていない。ただアグレッシブさを欠いていて、ハンドボールのようにブロックの外でボールを回している状態でシュートが少ない。ボールキープで相手にシュートチャンスを与えないのはアヤックスのフィロソフィの一つではありますが、数値的にも横パスが多くて、シュートチャンス率がもの凄く低かった。デ・ブールとしても6シーズンやって新しい挑戦をしてみたいタイミングだったので、円満な形での決着でした。
そこでアヤックス経営陣が白羽の矢を立てたのが、クライフの原則を実践できる監督。フィテッセのサッカーがクライフのフィロソフィに一番近いとメディアやファンなどから待望論があったんです。ジョルディ・クライフというクライフの息子がGMをやっているイスラエルのマッカビ・テルアビブの監督をやっていた関係もあって、ペーター・ボスがアヤックスに来たという経緯があると思います」
──ペーター・ボスのサッカーはどういうところが革新的なんですか?
「クライフの原則の一つに『横パスよりもまず縦パス』というものがあります。デ・ブールのようなボールキープを優先したパス回しは、相手ありきなんです。回して回して崩れたら縦に入れる。一方、ペーター・ボスは縦パスを入れるためのポジションチェンジなど、相手ありきではなく自分たちからアクションを起こして守備を崩す。クライフもよく言うんですけど、ボールを回すのではなく相手を突破するサッカーですね。単にドリブルではなく、組織的なメカニズムで突破する。見ていて面白いサッカーだと思います」
──外様の監督がアヤックス原理主義的なサッカーをしていて、それがアヤックスの選手に受け入れられないという構造が興味深いですね。
「結局、結果なんだと思います。選手は経験則で監督が目指しているサッカーはかなり高度で難しい、うまくいかなかったら失点がかさむことをわかっています。実際、シーズン最初のアマチュアクラブとの試合で2失点し、その後のプレシーズンマッチでも勝てない状況が続いています。ゴールは取れるけれど、失点の確率も高い。まず選手のマインドセットをより革新的に変えなければなりません。最悪、両者の溝が埋まらなければ、シーズンが始まってすぐに監督交代ということもあり得るかもしれません」
コクー成功の背景
“フロントと現場が合わさった成果”
──PSVのコクーは大ブレイクの1年でした。リーグ連覇とCLベスト16ですからね。
「CLと並行して戦って優勝というのが素晴らしいですね。コクーは1年目に苦労して、周りからは懐疑的に見られていたんです。去年は最後の5試合にも勝っていますし、課題だった1年を通したコンディショニングも改善されています。コクーはPSVのレジェンドですけど、堅実なんですよね。U-19の監督、オランダ代表のアシスタントコーチを経験して一歩一歩ステップアップしてきています。オランダの南の方の人って気質的に日本人に近いんです。控えめで勉強家というか、大人しくてしっかりやる人が多い。逆に北の方の人は大きなことを言う自信家が多い。サッカー選手は南の方からあまりいい選手は出ないとよく言われるんですけど、人の資質としては南の方の人が落ち着いていていい、というのが定説です。ベルギー人に近いイメージですね」
──サッカーの内容はどう評価しますか?
「もともとの戦略のところではオランダサッカーのポジショナルプレーなんですが、相手が強かった場合にカウンター志向のサッカーになるなど臨機応変にやれる監督です。5バックで戦ったアトレティコ・マドリーとの試合が典型ですが、相手に合わせて柔軟にオランダサッカーのスタイルをアジャストさせています。そこがPSVというクラブの強みでもあって、アヤックスだったら許されない。そういった意味で現実的なコクーはPSVの監督に適任だと思います」
──PSV3連覇に死角なしですか?
「懸念材料としては昨年の躍進で主力選手が他リーグのビッグクラブに買われる可能性が高いこと。クラブの財政的なこともありますが、結果が出たことにより選手のマインドが外向きになってしまうんですよね。ブルマはドイツのボルフスブルクに移籍しましたし、左SBのウィレムス、CFのルーク・デ・ヨンクにも移籍の噂があります。移籍期限の8月31日の12時までちょっとわからない感じです。
そこで重要になってくるのがGMのマルセル・ブランツの働きですね。ファン・ハールとコンビを組んでAZを躍進させた敏腕GMです。当時のAZには、若手育成に長けたファン・ハールの下だといい選手になれるということで、国内外の有望な選手がどんどん集まってきた。例えばムサ・デンベレとかデ・ゼーウがそうですね。その背後にいたのは彼でした。PSVに移ってからも補強のうまさは健在で、過去2年の成功はコクーだけでなく、フロントと現場が合わさった成果と言えます。アヤックスが4連覇している頃のPSVは社長が代わったり、フロントが機能していなかったんです。本来のPSVの良さは、ドッシリ構えた落ち着きにありました。それが失われてしまったのでアヤックスが勝っていたところもありましたが、ここ2、3シーズンでPSVが本来の姿を取り戻した。アヤックスからすると、これが一番の脅威。土台がしっかりとしたPSVはなかなか崩れないですからね」
──一方、フェイエノールトのファン・ブロンクホルストは評価が分かれています。
「1年目のコクーに近い状態ですね。スタートは良かったのですが、ウィンターブレイクを挟んで9試合勝ちなしという状態になって、本人もクビを覚悟していたとインタビューで語っていました。ところが、彼はクラブのレジェンドで簡単に切り捨てるわけにはいかない。なので元オランダ代表監督のアドフォカートを補佐につけるウルトラCでチームを立て直して、最終的には3位でフィニッシュしました。2年目の今季はいわば“追試”のようなシーズンですね」
──やはり指導者として経験不足ということですか?
「負荷の高過ぎる内容や2部練習が多過ぎるなどトレーニング強度の問題で年間を通したコンディショニングに失敗したこと、戦術変更などによる一貫性の欠如などが原因と言われています。そもそもファン・ブロンクホルストは意外な人選だったんです。前任のクーマン体制では第一アシスタントコーチがファン・ハステルで、彼は第二アシスタントコーチでした。だから、次期監督はファン・ハステルという見方が強かったんですが、蓋を開けてみればファン・ブロンクホルストだった。2人ともフェイエノールトのレジェンドですが、アヤックスがフランク・デ・ブール、PSVがコクーということを考えれば、対外的にファン・ハステルでは地味過ぎると考えたのかもしれません」
──コクーの再来は難しい?
「ただ、そのコクーがインタビューで『フェイエノールトは優勝候補』と言っているように、ファン・ブロンクホルストもこれから化けるかもしれません。フェイエノールトのGMマルティン・ファン・ヘールはウィーレムⅡを躍進させ、アヤックスやAZを経てフェイエノールトにやって来たやり手で、監督とセットでチームを作るというトレンドを生んだ人物です。AZでのコ・アドリアンセとのコンビは有名で、ファン・ハールとマルセル・ブランツのコンビの先駆けと言えますね。最近はクーマン、そして現在はファン・ブロンクホルストと組んでいます。チームビルディングの手腕には定評がありますし、新しい名コンビになるかもしれません。逆に言えば、ここで監督が失敗すればフェイエノールトは経営陣まで含めて大ナタが振るわれることになるでしょう」
■プロフィール
Hiroyuki SHIRAI
白井裕之
(オランダ代表ナショナルチームU–13・14・15 Future ゲーム・ビデオ分析アナリスト)
18歳から指導者としての活動をスタート。アヤックスのサッカーに魅了され、指導者ライセンス取得を目指し2001年にオランダへ。アマチュアクラブで13歳から19歳までのセレクションチームの監督を経験した後、11–12シーズンにアヤックスのアマチュアチームにアシスタントコーチ兼ゲーム・ビデオ分析担当者として抜擢される。13–14からはアヤックスアカデミーに籍を移し、今シーズンはオランダ代表ナショナルチームU–13・14・15Future ゲーム・ビデオ分析アナリストを務める。
Photos: Bongarts/Getty Images, Getty Images
Profile
浅野 賀一
1980年、北海道釧路市生まれ。3年半のサラリーマン生活を経て、2005年からフリーランス活動を開始。2006年10月から海外サッカー専門誌『footballista』の創刊メンバーとして加わり、2015年8月から編集長を務める。西部謙司氏との共著に『戦術に関してはこの本が最高峰』(東邦出版)がある。