
2月28日、元日本代表MF山瀬功治が43歳での現役引退を発表した。Jリーグでの成績はJ1通算288試合58ゴール16アシスト、J2通算358試合37ゴール20アシストで、史上最長タイの24年連続得点も達成。コンサドーレ札幌(1999-2002)、浦和レッズ(03-04)、横浜F・マリノス(05-10)、川崎フロンターレ(11-12)、京都サンガF.C.(13-16)、アビスパ福岡(17-18)、愛媛FC(19-21)、そしてレノファ山口(22-24)を渡り歩いた25年間ものプロ生活に今、終止符を打った理由とは?「先生ゆかりの地」山口のホームゲームでピッチリポーターを務めるトクダトモヨさんが、本人の言葉とともに想いを綴る。
山瀬功治が、維新胎動の地でスパイクを脱いだ。
引退の発表はあまりにも突然で、最後に山瀬のユニフォーム姿を見たのはいつだったかと必死で記憶を巻き戻して手繰り寄せると、レノファ山口から届いた「山瀬功治選手 現役引退のお知らせ」という太文字に続くメッセージをあらためて読み進めた。
しかしその「引退」という決断は、山瀬本人にとっては突然ではなかったという。とはいえ筆者には、「30代後半からは、常に引退を意識していた」という一文が意外に感じた。確かにレノファへの加入当初、「引退も覚悟していたが」という言葉を用いていたような気はする。だが、昨季の振る舞いを観察するに、自らそれを決断するようなそぶりは一切見せなかったからだ。プロだから当然といえば当然である。しかし、常にどんな時もプロサッカー選手である自分にベクトルを向け続ける姿は、「引退」とは対極にあるように見えていた。
【山瀬 功治選手 現役引退のお知らせ】
このたび、山瀬功治選手が2024シーズンをもって現役を引退することになりましたので、お知らせいたします。 https://t.co/lsrBcwwZK2#renofa pic.twitter.com/MuX6TiE8Yl
— レノファ山口FC (@renofayamaguchi) February 27, 2025
名塚監督との会話、肉体変化の葛藤…「面白かった」節目の40歳
2022年1月7日。新シーズン始動日の前日に、山瀬加入のリリースが発表された。レノファ山口FCというプロサッカークラブが、地道に、誠実に積み重ねてきた先人たちの尽力のおかげで、経験値のある選手が身を寄せるほどのチームに成長しているのだと実感した瞬間だった。
2021シーズンの最終戦、レノファはアウェイで愛媛FCと対戦した。当時、愛媛でプレーしていた山瀬はスタメンで出場しており、色味の違うオレンジのユニフォームを身に纏っていた。
「愛媛FCはもうJ3降格が決まっていて、僕も試合には出ていましたけど来年は厳しい(チームに残ることはできない)かなと思っていたんです。試合が終わった後にナツさん(名塚善寛監督/当時)のところへ挨拶に行った時、『クビになったら山口に呼んでください』って半分冗談で言ったんですよ。その後、予想通り契約満了になって、チームが決まらないまま年を越して、新年恒例となっている神社へご祈祷へ行った帰りに奥さんとクラフトビールの立ち飲み屋にいると、スマホが鳴って。代理人からの『レノファが興味を持ってくれている』という第一報に『まさか!』と。ご祈祷効果がさっそく出たじゃんって夫婦で盛り上がりました。入団後、ナツさんや当時の石原GMから『もう1人くらいベテランで中盤の選手が欲しいよねと思っていたところ、愛媛との最終戦後の会話を思い出して、山瀬はどうだろう?という話になった』と聞いて。あの時、ナツさんに声をかけておいてよかったなって思いましたね」
名塚監督とは2000年、2001年にコンサドーレ札幌でともにプレーした間柄。とはいえ、その後は試合会場でたまたま会えば挨拶をするくらいで、連絡先も知らなかったという。
「僕なんて晩年の移籍はサッカー界の縁、繋がりが機能したものばかりですよ。幅広く交友関係を持っているわけではないけど、たまたま知り合った人が繋いでくれたり、たまたまそういうところに強い人と知り合えただけ。ただ、実際に取ってくれるかどうかを決めるのはチーム。『山瀬だったら欲しい』と思ってもらえたのは、一応それなりに頑張ってサッカーに取り組んできて、『山瀬功治という選手はこういうことができますよ』とか、人間性の部分も評価してもらえたのかなと思うと、真面目にやってきてよかったと思いますね」

山瀬ほどの人材が、現役生活晩年は年を跨ぐまで移籍先が見つからないという現実は、サッカー界の時代の流れを感じさせる。確かに若手に投資して成長を促す方が建設的といえばそうだし、実際にここ数年はその動きが顕著な中、引退を決意するベテラン選手は増えている。そんな中、山瀬は京都サンガF.C.4年目の2016年からここまで、単年で契約を勝ち取ってきた。
2022年のレノファへの移籍は、ちょうど初の自著『ゴールへの道は自分自身で切り拓くものだ』(ワニブックス)を上梓したタイミングだった。帯には大きく「Jリーグ22年連続ゴール達成!」と書かれている。山瀬はこの記録を、J2第2節ブラウブリッツ秋田戦ですぐさま更新した。
「40歳で移籍してきて、いろんな見え方もある中で結果も出さないといけない。多少のプレッシャーはあったけど、早いタイミングで点が取れてラッキーでしたね。ここ数年はボランチでプレーすることが多かったんですけど、レノファでは1列前のインサイドハーフをやるということになったので、前のポジションをやっていた頃の感覚にどうやって戻そうかなということを考えたシーズンインでした。面白かったですね、久々に前で攻撃をするのは」


連続した強度の高い動きができなくなってきたと実感したのは、2013年頃だという。……



Profile
トクダトモヨ
山口県出身のフリーパーソナリティ。2017年よりDAZNでJリーグ公式映像のピッチリポーターを務める。「準備力」がストロングポイント。エフエム山口『GO!GO!RENOFA』インタビュアー、クラブ公式YouTubeチャンネルで配信しているマッチプレビュー番組『RENOFANISTA』ナビゲーターを担当するなどサッカー漬けの毎日を過ごしている。