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「『岡山で昇格の瞬間を見たい』という思いが通じた」 ファジアーノ岡山が全員の力でクラブ史上初のJ1への切符を勝ち獲った日

2024.12.16

シティライトスタジアムは熱狂に包まれた。12月7日。J1昇格プレーオフ決勝。ファジアーノ岡山はベガルタ仙台を2-0で破り、悲願のJ1初昇格をホームで手繰り寄せる。弾ける笑顔。こぼれる涙。さまざまな感情が交差する実にエモーショナルな空間には、小学生のころからこの場所へ通い、チームを見つめ続けてきた若きサッカーライターの姿があった。

岡山開催のプレーオフ決勝は「運命のめぐり合わせ」

 正直、シティライトスタジアムでJ1昇格プレーオフ決勝を戦えるとは思っていなかった。

 ファジアーノ岡山はリーグ戦の最終節で鹿児島ユナイテッドFCに引き分けた。その結果、4位から5位に後退。年間順位の3位~6位で争うプレーオフは、上位チームのスタジアムで開催するというレギュレーションであるため、初めてのJ1昇格は準決勝と決勝のアウェイ2連戦を制して掴むものになるのではないかと思っていた。さらに、ホームで試合のできる上位チームは、引き分けでも決勝戦に進出することができるアドバンテージを有している。2年前に3位でプレーオフに進出したファジアーノが、当時6位のモンテディオ山形に苦杯をなめさせられた経験があったとは言え、下剋上が起きる確率のほうが高いとは予想できなかった。

 しかし、準決勝の結果、決勝に駒を進めたのは、チャレンジャー精神を原動力に200%のパフォーマンスを発揮した5位のファジアーノと6位のベガルタ仙台。決勝戦を岡山の地で開催できることになった。

 本レギュレーションで唯一の状況だ。岡山に関わる全ての人が驚いたことだろう。大卒3年目の本山遥も「(リーグ戦を)4位で終えて、プレーオフ準決勝をホームでやりたいと思っていたんですけど、それができなくて。アウェイ2連戦になってしまうのかなって思っていた」ようだ。だが、自らの手で手繰り寄せた「運命のめぐり合わせ」(本山)とも言えるシチュエーションに、気持ちが高ぶったことは間違いない。主将の竹内涼は「熱く応援してくれるサポーターのために、僕らは必ず勝って、一緒にJ1に上がりたい」と語気を強めていた。

 戦いの舞台をJ2に移してから16年目。ずっと目指してきたJ1まで、あと90分という記憶にも記録にも残る試合を岡山で迎えられる。長年、祈り続けてきた願いをたくさんの仲間と一緒に叶えられるかもしれない。準決勝を終えてから決勝までの1週間は、運命の一戦が迫ってくるごとに段々と緊張感が高まっていき、落ち着かなかった。

 前日には、いても立ってもいられず、スタジアムに足を運んだ。その場では、会場設営の準備が進められていた。試合開催を支える人への感謝の気持ちを再確認しつつ、辺りを見回すと、葉っぱを赤く色づけた樹木が目に入る。それがファジアーノのチームカラーと重なるように見え、季節も味方してホームの空気感をつくってくれているように感じた。そして、その場で瞼を閉じてみると、スタジアムを埋め尽くした1万5千人の人が熱狂し歓喜する姿が浮かび上がってくる。チャントの大合唱やワンプレーごとに起きる歓声が脳内再生され、胸が高鳴った状態で決戦の日に備えた。

岡山に縁のある全員の力を結集し、全員で勝つ!

 2024年12月7日、シティライトスタジアムは過去最高の盛り上がりを見せた。チケットは販売開始から約7時間後に完売。プレーオフの合言葉として掲げてきた「全員で勝つ!」のノボリが至るところに並び、入場ゲート、グッズショップ、ファジフーズは長蛇の列をつくった。メディアの数も史上最多だっただろう。普段のリーグ戦では両手で数えられるほどの人数だが、今回は岡山、仙台に限らず、テレビ局や新聞社を含めた在京メディアも駆けつけており、その数は140人以上。記者会見室が破裂しそうなほど人が密集し、臨時の記者席も増設される。足しげく通ったなじみ深い場所なのに、この一戦への注目度の高さを再確認し、武者震いが止まらなかった。

 選手を乗せたバスがスタジアムに到着すると、スタジアムのボルテージが一段、高まった。いつもは両チームのバスが北側の同じエリアに停まるのだが、この日は、ファジアーノは北側、仙台は南側にそれぞれ分かれて会場に乗り入れる。“決戦”の雰囲気を増幅させる、特別仕様だ。ファジアーノサポーターは広場からなだれ込むようにして集結し、メインスタンドの通路からも乗り出すような形でバスを四方から囲み、思いを込めたチャントを監督、スタッフ、選手に、彼らが胸に付けるエンブレムにぶつけた。

……

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Profile

難波 拓未

2000年4月14日生まれ。岡山県岡山市出身。8歳の時に当時JFLのファジアーノ岡山に憧れて応援するようになり、高校3年生からサッカーメディアの仕事を志すなか、大学在学中の2022年にファジアーノ岡山の取材と撮影を開始。2024年からは同クラブのマッチデープログラムを担当し、サッカーのこだわりを1mm単位で掘り下げるメディア「イチミリ」の運営と編集を務める。(株)ウニベルサーレ所属。

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