SPECIAL

「最も印象に残っているのは、ファンサービスですね」の重み。青山敏弘の現役引退に想う、2017年の記憶

2024.10.28

2024年10月20日、青山敏弘の現役引退がクラブから発表された。サンフレッチェ広島一筋21年の38歳がユニフォームを脱ぐ。入団時から彼を取材し続けてきた中野和也記者は、広島に3度の優勝をもたらしたワンクラブマンの引退に何を想うのか――? 彼の脳裏に強烈に焼き付いているのは2017年の記憶だった。

2017年、水面下で起きていた知られざる「引退危機」

 話は2017年、今から7年前にさかのぼりたい。

 この年、広島は久しぶりに「降格」の危機におびえた。

 2012年~15年まで4年で3度の優勝を果たし、広島は地方クラブの星となった。だがその栄華からわずか2年後、チームは崩壊状態に陥ってしまう。

 黄金期の中心だった森﨑和幸は体調不良に陥り、練習に参加することすら難しい状況に陥った。兄・和幸とともにチームを支え続けた森﨑浩司は前年に引退し、大エース・佐藤寿人は名古屋に新天地を求めた。2012、2013年と連覇を成し遂げた主役の1人だった髙萩洋次郎や、2015年の優勝に大きく貢献したドウグラスと浅野拓磨も海外に移籍してしまった。他にも西川周作や森脇良太、石原直樹らタイトル獲得に尽力してくれた選手たちの多くが、広島を去っていった。

 筆者はかつて『サンフレッチェ情熱史』(小社刊)という本を出させていただいたことがある。その時の帯についたキャッチコピーは「優勝は予算では決まらない」だった。この本の編集者のアイディアだったこの言葉は、今も筆者の心に突き刺さっている。そしてJリーグはまさに、「予算が全てではない」と言い切れる世界で(おそらくは)唯一のリーグであろう。

 だが本質としては、全てではないにしても、予算がサッカーでの勝利に大きな要素であることは、疑いない事実だ。広島で優勝を経験した多くの選手たちが去っていった現実がある以上、ある程度は「優勝は予算で決まる」部分も確かにあると言わざるを得ない。「高額な年俸等の条件提示で選手が動いた」という意味ではなく、「満額の移籍金を提示して有力な選手を獲得する」というスキームが、浦和など他のクラブにはでき上がっていたということだ。

 だが、青山敏弘はそういう常識とは一線を画す男だ。

 10月21日に行われた引退記者会見で彼は、こう言っている。

 「(移籍したいという思いになったことは)まずなかったですね。若い頃からずっと、毎年なかったです。移籍するっていう気持ちすら、全く感じなかった」

 印象的だったのは、次の言葉だった。

 「優勝するたびに、強くなるたびに、チームメイトが(移籍して)いなくなっていく。そのたびに僕は、広島への思いが強くなる。ここで優勝したい。もっと強くなりたい。ファン・サポーターと一緒に喜び合いたい。それがプロサッカー選手として、自分の使命だと思っていました。試合に出なくなったとしても、このチームから離れるという気持ちは、全くなかったです」

 優勝するたびに選手がいなくなる。当時の広島と同じ現象が起きたのは、ここ最近の川崎Fだ。ただ彼らは海外に主力を奪われるという事情によるもの。広島は国内移籍が多かった。つまり、広島で実績を積んだ選手たちが、ライバルチームの主力となる。この螺旋は、本当に苦しい。

 2017年、優勝を支えた多くの主力がいなくなった広島は、開幕から失速した。

 初戦、この年の補強の目玉だった工藤壮人がゴールを決めるも追いつかれ、引き分けに終わったが、この時はそれほどの危機感はなかった。だがこの試合でチーム屈指のチャンスメイカーである柏好文が負傷して離脱すると、広島はそのリカバーが利かない。11試合で1勝3分7敗。第11節に対戦したC大阪の選手が5-2で勝利した後、「広島、(悪い意味で)やばいな」と口々に言い放った言葉が、筆者の胸に突き刺さった。

 工藤やフェリペ・シウバといった新加入選手だけでなく、前年から広島に来ていたアンデルソン・ロペスにしても、能力は高かった。だが、黄金期の選手たちがあまりにも多くいなくなってしまったことで、チームの継続的な強化ができなくなってしまった。

  7月1日、浦和に3-4と逆転負けを喫して4連敗。17位と自動降格圏に沈んだまま、森保一監督は退任する。

 青山は責任を感じていた。

 「僕らはずっと、暗闇を歩いているみたいなんです」

 当時の彼の苦しみである。

 17試合15得点で、完封を喫したのが8試合。得点を取れないことが苦戦の原因だったのは、火を見るよりも明らかだった。

 どうして点が取れなかったか。

 前年はピーター・ウタカというスーパーマンがいて、彼の力で得点を重ねた。19得点8アシストという爆発は、チーム全体の推進力を増幅させ、1試合平均1.7点はリーグ2位。だが、そんな彼を他クラブがほうっておくはずもなく、翌年にはFC東京に移籍した。そして残念ながら、ウタカのかわりは広島にはいなかった。

 だが青山はそもそも、ウタカ不在が苦戦の要因とは感じていなかった。……

残り:4,118文字/全文:6,515文字 この記事の続きは
footballista MEMBERSHIP
に会員登録すると
お読みいただけます

Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。

関連記事

RANKING

関連記事