SPECIAL

紆余曲折を経て日本代表まで上り詰めた大橋祐紀。古巣・湘南の番記者と振り返る努力家の実像

2024.10.23

10月シリーズの北米W杯アジア最終予選で、サウジアラビア、オーストラリアという強豪国との連戦(0-2、1-1)を迎えながらも無敗を維持した日本代表。その招集メンバーで一躍脚光を浴びたのは、28歳で初招集を受けた大橋祐紀だ。今夏から欧州初挑戦も果たしている努力家の実像を、古巣である湘南ベルマーレの番記者で代表戦も取材している舞野隼大氏と振り返っていく。

 「未完の大器」――そう称されることもあったのは今年10月、28歳という“遅咲き”の年齢で日本代表に初招集された大橋祐紀だ。

 夢に見た日本サッカーのピラミッドの頂点に到達するまで、大橋は数々の苦難を乗り越えてきた。主戦場とするFWで初めてプレーするようになったのは、高校3年の頃。もともとはボランチなどを任されていた中、八千代高校がチームとして様々なフォーメーションを試している過程で前線への抜擢がハマりコンバートされた。

 卒業後は、推薦で中央大学へ入学。高校時代に一度セレクションで落ちてしまっていたが、なんとかサッカー部への入部が決まった。しかし1年次は再び中盤に回されることもあり、当初は難しい時を過ごした。

 大学2年の途中に、主砲・矢島輝一(現・福島ユナイテッド)がケガで戦線を離れたFWで出番が訪れ、そこで結果を残せたことで次第に主力に定着。頭角を現していくと、関東選抜や全日本大学選抜にも名を連ね、2019年の湘南ベルマーレ入団が決まった。

「シュートの質だけが」足りなかったプロ3年間

 しかしプロ入り後は1年目の4月、記念すべき初ゴールを決めた第9節・サガン鳥栖戦で右膝に全治8カ月の重傷を負ってしまう。2年目も右肩、左鎖骨とケガを重ね、本領を発揮できずにいた。「交通事故のような感じ」(大橋)で不運な離脱が続いたが、そこで誰よりも入念に準備とケアをするクセがついた。その姿勢は試合前後や練習前後にとどまらない。チームメイトだった湘南の大岩一貴はこう証言する。

 「誰よりもケアをして、誰よりもトレーニングをしている姿を見ていました。一緒のパーソナルトレーニングにも行っていて、パーソナルは(チームの練習とは)プラスアルファの活動だから当時はあまり大きな声では言えませんでしたけど、大橋は俺なんかよりもめちゃくちゃ行ってました。(海外移籍と代表に選出された姿を見て)『ああ、やっぱりこういう選手がこうなるんだな』とあらためて思いましたね」

 シーズンを通して、満足に稼働できたのは3年目の2021年から。湘南FW陣の中では最多のリーグ戦31試合・1992分間ピッチに立った。そこで受け手と出し手の関係を築いたMFの茨田陽生は大橋の特徴をこう捉えている。……

残り:2,626文字/全文:4,131文字 この記事の続きは
footballista MEMBERSHIP
に会員登録すると
お読みいただけます

Profile

舞野 隼大

1995年12月15日生まれ。愛知県名古屋市出身。大学卒業後に地元の名古屋でフリーライターとして活動。名古屋グランパスや名古屋オーシャンズを中心に取材活動をする。2021年からは神奈川県へ移り住み、サッカー専門誌『エル・ゴラッソ』で湘南ベルマーレやSC相模原を担当している。(株)ウニベルサーレ所属。

関連記事

RANKING

関連記事