1991年10月に1部リーグが誕生し、2019年9月からプロリーグが発足したアルゼンチン女子サッカー。参戦する全18チーム中、ボカ・ジュニオルス(以下ボカ)は1990年に女子サッカー部を設立して以来、アマチュア時代を含めてリーグ最多となる29度の優勝回数を誇る。2003年から2008年にかけては11シーズン連覇(2期制)という伝説を作り、プロリーグ初代チャンピオンにも輝き、現在は35試合無敗(今シーズン第3節終了時点)を維持する国内最強チームだ。
“Las Gladiadoras”(ラス・グラディアドーラス=女剣闘士)という勇ましいニックネームで知られるそのボカに、今年3月、1人の日本人選手がやって来た。トップ下の攻撃的MFとしてプレーする佐々木ユリア(21歳)だ。
「このバチバチ感が他の国にはないところですね」
3月16日、リーグ第2節で強豪UAIウルキーサ相手に8-0と圧勝した後、ボカに入団したばかりの佐々木は瞳を輝かせながらそう言った。
アルゼンチンサッカー特有の当たりの強さは、デビュー戦となった前節のリーベルプレート戦(2-0)で初めて体験。ボールを求めて容赦なく襲いかかってくる激しいプレーに、怯むどころかはち切れんばかりの笑顔で「これを求めて来たという感じ。すごく楽しい」と感想を語っていたのが印象的だった。
あれから4カ月。7月20日に行われた第17節のインデペンディエンテ戦(2-0)で勝利を収めたボカは、開幕から無敗を貫き5シーズン連続となるリーグ制覇を達成した。後半途中から入り、タイムアップ寸前までダメ押しの追加点を狙って攻撃を仕掛ける意欲的な姿勢を見せた佐々木は、優勝決定後、チームメイトたちにいざなわれながら祝福の渦の中に吸い込まれていった。
浦和、慶應大、オーストラリア、そして「アルゼンチンしかない、と」
兄の影響により4歳でサッカーに興味を抱いたという佐々木が本格的にプレーを始めたのは6歳の時。当時在籍していたボカ・ジャパン(ボカの日本支部)で、多大な刺激を与えられたという。
「当時のコーチ陣の熱量や指導から、今の自分のプレースタイルが形成されたと言っても過言ではないほど大きな影響を受けたんです。あの頃、いつか本場(アルゼンチン)に行ってみたいと思ったことはありました」
だが、将来実際ボカに入団することになろうとは、この頃はまだ想像もしていなかった。そして渋谷東部JFCを経て、2016年からは三菱重工浦和レッズレディースの下部組織でプレー。2022年に慶應義塾体育会ソッカー部に入ると、2023年には大学を休学してオーストラリアのエッセンドン・ロイヤルズとプロ契約を交わし、1年間プレーしたが、ここで彼女のキャリアに転機をもたらすきっかけに遭遇する。
「現地で開催された女子サッカーW杯を生観戦して、ブラジルやコロンビアといった南米のサポーターから“段違いの熱さ”を肌で感じ取ったんです。ブラジルサポーターに周りを囲まれた状態で観戦した試合もあったのですが、とにかく彼らの熱量がすごくて、すっかり心を奪われて。自分もこの熱さの中でプレーしたいと思うようになりました」
エッセンドンでの1シーズンを終え、そのままサッカーを続けるか大学に戻るかの二択のうち前者を選んだものの、「もう1年オーストラリアでやりたい、とはならなかった」という佐々木。そこには挑戦し続ける者だけに秘められる好奇心、探究心、向上心があった。
「まずオーストラリアの特徴をリストアップしてみたのですが、それを見ながら今度は真反対の国に行きたいと思うようになりました。それに当てはまるのが南米だったわけですが、過去にボカ・ジャパンでプレーしていた縁もあって、ぜひアルゼンチンでやりたい、アルゼンチンしかない、と」
ここでボカとの架け橋となったのが、元浦和レッズ所属で現在はノースジーロング・ウォリアーズ(オーストラリア3部)でプレーしながら代理人を務めるエスクデロ競飛王と、彼の従兄で同じく代理人のダミアン・エスクデロ(現役時代はボカでプレー、父オスバルドは1979年ワールドユース優勝メンバー)だった。彼らを介してボカでのトライアウトのチャンスを得た佐々木は、今年1月にアルゼンチンに到着。3月9日にクラブの公式SNSで入団が正式に発表されるや、ボケンセ(ボカのファン)の間でたちまち話題となった。
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Profile
Chizuru de Garcia
1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。