菅原由勢がAZからサウサンプトンにステップアップする。5年間で198試合。これにリザーブチームの12試合を足せば、AZの公式戦出場は200を優に超す。24歳の日本人は今やルシャレル・ヘールトロイダ(フェイエノールト)とともにオランダリーグを代表する右SBとなった。
AZで彼を支えた恩人は誰か。言葉でのコミュニケーションが取れなかった日々、彼がチームメイトに受け入れられるためにしてきた努力とは何か。オランダでの挑戦を見守ってきた中田徹氏がシーズン大詰めの5月、AZスタディオンで本人に直撃した。
自ら勝ち獲ったAZのオファー
――当時のトップチーム監督だった風間八宏さんが、17歳の菅原選手を開幕からCBで抜擢して、大きな話題になりました。
「小倉隆史さんが監督だったから2016年、僕が15歳か16歳の時に初めてトップチームの練習に参加しました。そこには田中マルクス闘莉王さんとかナラさん(楢崎正剛)とかがいました。多分、名前も覚えてもらえなかったと思うし、自分も別にそれで良かった。とても濃い経験を積ませてもらった翌年、風間さんが監督になりました。プレシーズンのキャンプの最後の試合で、僕がCBに入ったら気に入ってもらえてJリーグデビューを果たせました。周りはいろいろ褒めてくれたけれど、僕はプロとの差を感じてました。それから案の定、1年間トップチームで出場機会がなくなった。
2018年のシーズンが終わってから、僕は出場機会を求めてレンタルを考えていました。一方で、風間さんはハッキリしている人だから、僕が良ければ使う、良くなければ使わないまでのこと。要は僕がうまくなれば使ってもらえる。そういう期待も持っていました。『U-20W杯まではグランパスで出場機会を得られるよう取り組もう』とまず決心し、『大会までに何も状況が変わらなかったら期限付き移籍をしよう』と周りと話していました。だからU-20W杯は就活のような場でした。
こういう風に葛藤し必死にもがきながらAZのオファーを勝ち獲ったんです。自分のキャリアは自分の足でしか変えることができませんからね」
――AZでは名指導者との邂逅も大きかったのでは?
「オランダに来てからアルネ(・スロット/現リバプール監督)とパスカル(・ヤンセン/AZ前監督)くらいですけどね」
――でもその2人がすごい。
「彼らに教えてもらってここまで来てるわけですから、すごく感謝してます」
――スロット監督はSBの動かし方がうまいですよね。
「そうです。どうボールを前進させていくのか――選手の使い方だったり、どこに選手を立たせるのかとか、そうしたアイディアはやっぱりすごいですよね。選手へ求めるものもアルネは厳しい。だから監督との出会いによって選手としての幅が広がるのは間違いなくあります。良い監督に出会うのも大事です」
――今年の1月、アジアカップ中にヤンセン前監督が突然解雇された。驚いた?
「まったく知らなかったですからね」
――AZに入った時からパスカル・ヤンセンがコーチだった。AZでの菅原由勢の物語はパスカル・ヤンセンとともにあった。
「まさにそうじゃないですか。僕は英語もオランダ語もできずにオランダに来たから、パスカルは常に僕のことを気にかけてくれた。彼は個人ミーティングをしてくれたり、戦術のこともいろいろ話してくれたりした。だから、2人でいる時間、2人で話す時間がかなり長かったので、パスカルがAZを去って寂しさはありました。すべてが思い出です。彼がいなければチームにフィットできなかった可能性もある。彼がいたから今の自分がある。それは間違いないです」
――1年前、ヤンセン監督に「ユキのことを最初から見ていたあなたに、彼の成長について語ってほしい」と訊いたら、「最初の半年(2019年7月〜12月)、そこで戦術的なことをマスターできたことが大きかった」と言っていました。……
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中田 徹
メキシコW杯のブラジル対フランスを超える試合を見たい、ボンボネーラの興奮を超える現場へ行きたい……。その気持ちが観戦、取材のモチベーション。どんな試合でも楽しそうにサッカーを見るオランダ人の姿に啓発され、中小クラブの取材にも力を注いでいる。