ミキッチに誘われイリチッチのチームメイトに。マリボル初の日本人選手、浦田樹のスロベニア挑戦譚
代表チームが全員欧州組で編成されることもあるほど、数多くの日本人選手が海外へ挑戦の場を移している昨今。中でも異色のキャリアを歩んでいるのが、2023-24シーズンはマリボルに在籍した浦田樹だ。ブラジル、ウクライナ、クロアチアと渡り歩いて4カ国目。ミハエル・ミキッチの誘いを受け、ヨシップ・イリチッチのチームメイトになったスロベニアの名門での1年を、帰国した本人の口から振り返ってもらった(取材日:2024年5月24日)。
「日本を代表する日本人としてやる」意識で名門へ
――スロベニアでのシーズンを終え、昨日に帰国されたそうですが、久しぶりの日本はいかがですか?
「マリボルとは時間の流れが違いますね。あと日本は便利ですし、ご飯も美味しいです。でも、人混みは凄いですね!」
――マリボルはスロベニア第2の都市とはいえ、東京と比べてしまうと……。
「長閑な小さな街ですね。時の流れがゆっくりで、それが凄く良いんです」
――浦田さんがクロアチア1部のバラジディンでプレーしていた2022年9月、『NumberWeb』の企画でインタビューをさせてもらいましたが、そのバラジディンとマリボルは国境を挟んで70kmほどと近いんですよね。
「マリボルのチームメイトと一緒に『バラジディン対イストラ』を観に行ったのですが、バラジディンの多くのサポーターが僕のところに集まってくれて『ウラタ!』と声をかけてもらいました。あちらの人からしたらマリボルはビッグクラブだと思います。自分が当初に認識していたクラブ規模とは違っていた感覚がありますね。例えば、車を運転して国境を行き来する際、車両についているマリボルのエンブレムをスロベニアの警官が目にすると『マリボルの選手だね』と声をかけてくれ、ほぼノーチェックで通過できます(笑)。そのたびに『あっ、凄いな』と実感しますね」
――まずはマリボルからオファーを受けたきっかけを教えてくれますか?
「昨年4月下旬のディナモ・ザグレブ戦でかなりパフォーマンスが良くて、試合直後にマリボルでアシスタントコーチを務めるミカ(ミハエル・ミキッチ)から『左SBを探している。一緒にやらないか?』という電話をもらいました。多分、試合をテレビで観ていたんでしょうね。それから1週間後ぐらいに正式オファーを出してくれたんですけど、他の移籍の可能性もあったのでギリギリまで待ってもらいました。そして最終的にマリボルに行くことを決断した感じです。ミカの存在はかなり大きかったですね」
――6月23日にマリボルと単年契約を交わし、キャンプ中のチームに合流しましたが、クラブに初めて足を踏み入れた時の印象はどうでした?
「合流初日にインタビューを受けましたが、その時のメディア対応だったり、ホテルの質だったり、『これまでとワンランク違うな』というのは感じました。クラブハウスはとても綺麗ですし、本拠地(スタディオン・リュツキ・ブルト)はコンパクトなサッカー専用スタジアムで雰囲気があります。サポーターも熱狂的で、魅力を凄く感じましたね」
――スロベニアリーグでマリボルは断トツの16度のリーグ優勝を果たしていますが、そのマリボルで「初の日本人選手」となった事実は誇りとなりますか?
「間違いなくそうですね。自分が良ければその後も日本人選手を獲ろうとするでしょうし、そういった意味では『日本を代表する日本人としてやる』という意識はありますね。ただ、いつも日本人がいないリーグばかりに行っているんで(笑)」
――確かに(笑)。
「それだけに毎回『日本を代表する日本人としてやる』という意識でやっています」
――クロアチア人監督のダミール・クルズナールは、彼がディナモで監督やコーチを務めていた頃にバラジディンの一員として対戦してますよね。実際に指導を受けてみてどういう印象でした?
「人間性が高く、戦術家としても魅力的な監督でした。[4-2-3-1]でSBがインサイドのポジションを取るという戦術を彼はやっていたので、とても勉強にもなりましたし、僕も自分の特徴を活かしやすかったです。プレーしていて凄く楽しかったですね」
――「偽SB」としてビルドアップに関与していた、ということですね?
「はい、そうです。戦術的判断やボールに絡むプレーが自分の特徴だと考えているので、それは出しやすかったなと思いますね」
――左右の違いはあれど、コーチのミキッチも現役時代はSBでしたよね。個人的に日本語でアドバイスや指示を出したりしていました?
「いや、日本語ではないです(キッパリ)。ミカはそんなに日本語を喋れないんで、僕とはすべて英語で話していましたね。全員の前では特別扱いしないですけど、ピッチ外で2人でいる時は何かとアドバイスをくれたり、相談に乗ってもらったりはしていました。サンフレッチェ広島の選手でミカと共通の知り合いが何人もいましたし。あとは日本とクロアチアのサッカーの違いとか、そういう話はかなりしましたかね。いろんな面で彼には助けてもらいましたよ」
――ミキッチは独立したら優秀な監督になると思うんですけどね。
「そうですね。人間性が素晴らしいですし、それがパッションにも変わるので。モチベーターとしての能力もあるんじゃないかなと思います」
“王様”イリチッチは「今まで一緒にやった選手の中で一番」
――前回に浦田さんにインタビューした際、「目指すのは欧州カップに出るクラブ」と言われていましたが、昨季リーグ2位のマリボルはヨーロッパカンファレスリーグ(ECL)予選に出場しました。初めて欧州カップの舞台で戦ってみていかがでしたか?
「アウェイの移動がとにかく大変でしたね。しかも国内リーグとの連戦。ただ、マリボル空港からのチャーター便だったので、それはそれで良い経験でした。自分が行かないような国のクラブとも試合ができたり、そういうのは面白かったですね」
――1回戦ではビルキルカラ(マルタ)、2回戦ではディフェルダンジュ03(ルクセンブルク)を下した後、3回戦ではトルコの強豪フェネルバフチェと対戦しました。
「最初は『楽しみだな』ぐらいの気持ちだったんですけど、イスタンブールの初戦は試合前日からサポーターがスタジアム周辺にあふれていました。試合当日もアップの時からサポーターの歓声があまりに凄すぎて、チームメイトの声が全然聞こえなくて(苦笑)。あんまり試合では緊張しないタイプですけど、さすがに緊張しましたね。前半途中に足首をひねってしまい、なんとか頑張ってプレーしたのですが、ハーフタイムに交代させてもらいました。でも、あの雰囲気はめったに経験できるものじゃないないですし、『トルコのサッカー熱って凄えな』と思いましたよ。南米も凄いですけど、トルコは世界一なんじゃないかな」
――私もトルコで試合を観たことがありますけど、あの雰囲気はヤバいです(苦笑)。
「プレミアリーグと比べても全然遜色ないだろうし、むしろいいのかなと」
――エディン・ジェコやドゥシャン・タデッチ、イルファン・カフベジといった各国代表ともマッチアップしましたよね。実際に戦ってみてどうでしたか?
「もう足首が痛すぎて動けなかったんで、最後にジェコをちょっと削ってイエローカードをもらいました(苦笑)。ぶっちゃけ、めちゃくちゃ差があるかと言うとそうではなく、『やれるところはやれるな』というのはあるんですが、やっぱり経験値が違っていて。内容的に少し通じる部分があっても、ゴール前の質が結果に繋がったりで」
――1点差のビハインドで終われそうだったのに、アディショナルタイムにPKを取られましたよね(●1-3)。
「そうですね。でも、ホームの2戦目の方が全然やれてる感じはありました。僕も足首を頑張って治しまして(スタメンで66分まで出場)。とても楽しかったです」
――ただ、サポーター同士が試合中にトラブルを起こしたそうですね。
「そうそうそう!後半25分ぐらいですかね、急に試合が止まりまして」
――マリボルのサポーターがフェネルバフチェのサポーターのバナーを奪ったことが喧嘩のきっかけだったと聞いています。
「サポーター同士が物を投げ合っているんですよ。それで30分ぐらい試合が中断しました。フェネルバフチェのサポーターは全員退去させられて。『マジで面白いな』と思いました(笑)」
――マリボルのサポーターは街中で会ってもフレンドリーなんですか? 「フレンドリーです。批判や差別といったものは全然ないですし。ほんとにみんな良い人ですね」 ――クロアチア人と比較するとスロベニア人はおとなしい印象が個人的にはあるのですが。 「おとなしいですね。そして優しい。ちょっと日本人寄りというか。気を使うし、上下関係もしっかりあります」 ――ECL予選敗退後のマリボルは苦境に立たされました。国内リーグでは2分に続いて3連敗。チームの歯車が狂った原因は何だったのでしょうか?…… 1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。Profile
長束 恭行