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PKストップの極意は平常心。「ヒーローではない」苦労人GK、アンドリー・ルニンが証明するウクライナの伝統

2024.04.30

リーガとCLの2冠奪還に向けて、まい進している2023-24シーズンのレアル・マドリー。開幕前に長期離脱を強いられたティボー・クルトワの代役として正守護神の座を勝ち取り、加入6年目にしてついに日の目を見ているのがアンドリー・ルニンだ。CL準々決勝マンチェスター・シティ戦でも、第1戦では開始早々に不意を突かれてフリーキックによるまさかの先制弾を許したものの、第2戦ではそのキッカーであるベルナルド・シルバのPKを完璧に読んでリベンジを達成。このPK戦を含め白い巨人の最後の砦として好守を連発するまで、苦労人GKが歩んできた紆余曲折のキャリアを東欧の専門家である篠崎直也氏とたどっていこう。

 ウクライナ代表GKアンドリー・ルニンがこれまで歩んできたキャリアを評価するのは難しい。世界最高のメガクラブの1つであるレアル・マドリーに所属するという「栄誉」と、スター揃いのチーム内における高過ぎる「壁」。19歳でスペインの名門に加入した後の5年間は出番に恵まれず「忍耐」の日々を過ごした。そして今季、ルニンは巡ってきたチャンスを自らの実力で手繰り寄せ、ようやく評価を得るための「信頼」を手に入れようとしている。

田舎出身の「とんでもない子」がウクライナの「光」になるまで

 ルニンが生まれたのはウクライナ北東部の田舎町クラスノフラード。この町については2年後輩となるミハイロ・ムドリクの記事「ミハイロ・ムドリク。22歳のアタッカーが、ウクライナ人史上最高額の選手へと上り詰めるまで」で詳しく紹介しているが、ここから2人の世界的なサッカー選手が育つなんて想像すらできないほどの小さな町だ。ルニンは6歳の時にサッカーを始め、最初はFWだったが「たくさん走りたくなかった」という理由で10歳の頃からキーパーとしてゴール前に立つことが多くなる。憧れの選手はイケル・カシージャスとジャンルイジ・ブッフォンだった。

 そして、当時国内1部の強豪であり、育成システムに定評があったメタリスト・ハルキウに11歳で入団。ルニンの才能に最初に注目したのはのちにドニプロU-19やユース年代のウクライナ代表で彼を指導することになるビャチェスラフ・ケルノゼンコだった。

 「あの年齢でゲームをよく理解し、自信を持ってプレーしていた。とんでもない子がいる、と急いでクラブに連絡したよ」

 現在欧州各国に羽ばたいている他のウクライナ出身選手たちが10代の頃に様々な挫折を経験しているのに対して、ウクライナ時代のルニンは順風満帆に成長を遂げたエリートだったと言えるだろう。2014年のマイダン革命やウクライナ東部での紛争により国内が混乱すると、すべてのサッカークラブが予算の削減を余儀なくされたが、それもルニンにとっては幸運な運命の巡り合わせとなった。この時の政変によりセルヒー・クルチェンコ会長がロシアに逃亡してメタリストのクラブ消滅の危機が明らかになり、ルニンは同じ地域のもう1つの強豪ドニプロからのオファーを受け移籍。16歳であったが飛び級でそのU-19チームに加入した。

 そのドニプロもまたイーホル・コロモイスキ会長からの資金提供が減り、主力選手が大量流出していた「泥舟」であった。ルニンの月給は200ドルだったが、寮で暮らしていたため若者にとっては大きな問題ではなかったという。そして、財政難に喘ぐクラブは2016-17シーズンをユースチームの選手たちを昇格させて臨むことを決断。17歳だったルニンはトップチームデビューを果たし、そのまま正GKとしてリーグ戦22試合に出場した。ウクライナカップ準々決勝ではデスナ・チェルニヒウ戦でPK2本をストップする活躍でベスト4進出を牽引。11月のシャフタールとの上位対決でもPKを止めると、その存在が当時シャフタールを指揮していたパウロ・フォンセカ監督の目に留まりオファーに発展したが、代理人だった父アレクセイは「出場機会を優先する。今は給料が増えることは重要ではない」と断った。この活躍によりウクライナ代表にも初招集を受け、すでにこの時からレアル・マドリーからの関心が伝えられていた。

ドニプロ時代に191cmの体躯を生かしたブロッキングを披露するルニン

 2016年のドニプロには今季ジローナでブレイク中のアルテム・ドフビクも在籍し、さらにユースチームにムドリクがいた。年棒未払いによる勝ち点剥奪処分が響いてこの年に2部に転落し、クラブは3年後に消滅の憂き目にあうが、若い彼らにとっては結果的にそれが欧州への扉を開くことになる。……

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UEFAチャンピオンズリーグアンドリー・ルニンレアル・マドリー

Profile

篠崎 直也

1976年、新潟県生まれ。大阪大学大学院でロシア芸術論を専攻し、現在は大阪大学、同志社大学で教鞭を執る。4年過ごした第2の故郷サンクトペテルブルクでゼニトの優勝を目にし辺境のサッカーの虜に。以後ロシア、ウクライナを中心に執筆・翻訳を手がけている。

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