ブラジル代表、10年ぶりにスポーツ心理学者がスタッフ入りを果たす
ドリバウ・ジュニオールが監督に就任した新生ブラジル代表で、注目を集めている存在がいる。3月のFIFA国際マッチデーからスタッフの一員となった、心理学者のマリーザ・サンチアゴだ。というのも、2014年のFIFAワールドカップを最後に、ブラジル代表ではこの分野の専門家がチームに同行していなかったのだ。スポーツ心理学の修士号を持つマリーザは、大学教授を務めると同時にクラブでも仕事をし、現在はECバイーアに属している。今後はそれらとの兼任で、代表が集合するたびに帯同することになる。
自国開催のW杯では精神面が議論に
選手のメンタル面のケアについては、近年の歴代代表監督たちもそれぞれの方法で取り組んできた。ルイス・フェリペ・スコラーリ(2001〜2002年、2012〜2014年)は、優勝した2002年W杯の期間中、ブラジルにいたスポーツ心理学者と常に連絡を取り、その時、その状況ごとに、選手たちに対して話すべきこと、行うべきことについてのアドバイスをもらっていた。
2014年W杯の際は、同じ心理学者がスタッフとしてチームの中に入っていた。ただ、この大会から、ブラジルではさらにメンタル面に関する議論が盛んに行われるようになった。
自国開催のW杯で、スタンドを埋め尽くす観客とともに国歌を斉唱し、涙する選手たちがいた時には、キックオフ直前の感情のたかぶり方に賛否が分かれた。また、ラウンド16のチリ戦では、GKジュリオ・セーザルがPK戦の前に涙したことが不安視された(実際は相手に5本中2本しか成功を許さず、勝利を収めた)。
そして、ネイマールが負傷離脱した次の試合、準決勝でドイツにまさかの1-7の敗戦。その敗れ方には、技術や戦術以上に、精神的な問題が大きく影響したと言われている。
心理学者を採用しなかった指揮官も
それ以降の監督が、心理学者の存在に否定的だったわけではない。ただ、ドゥンガは1度目(2006〜2010年)と同じく、2度目(2014〜2016年)の監督就任の際も採用しなかった。ドゥンガはこう話していた。
「心理学者が然るべきコンディションで仕事をするには、代表では時間が少な過ぎる。一緒にいられるのはわずか数日間なのに、選手は会ってすぐに心を開くことができるだろうか」
彼自身、1990年W杯の敗退で強く批判され、1994年で優勝した代表選手としての経歴を持つだけに「ブラジル代表に招集されるほどの選手は、プレッシャーにも準備ができている」とも言っていた。
チッチ(2016〜2022年)は人心掌握に長けているのが大きな特徴でもある監督だ。「W杯では感情的な要素が非常に大きい」と語ってもいた。
ただ、選手たちにはそれぞれ個人的に信頼できる専門家を抱えていることもあり、やはり「代表では、選手が心理学者との繋がりや信頼関係を築くには時間が足りない」と言っていた。
その代わり、主要スタッフとともに、事前に何度も心理学者と勉強会を開き、実際に対話や印象的なフレーズ、写真、ビデオ、家族との面会など、様々な方法で選手たちのメンタル面をケアしていた。
フェルナンド・ジニス(2023年)は彼自身、大学で心理学の学位を取得した異色の経歴を持つ。監督人生において心理学者の仕事に触れ、多くを学んだとも語っていた。10年前、起用法をめぐって激昂した若い選手を、問答無用で心理学者の元に連れて行ったという逸話があるほどだ。現在指揮を執るフルミネンセにも専属の心理学者がいるが、代表監督を務めた半年間には、その存在をブラジルサッカー連盟に要請することはなかったと聞く。
選手たちも専門家の導入を歓迎
フル代表スタッフの新体制発表会見で、マリーザは語った。
「スポーツ心理学には主に 2 つのラインがあります。1つはプレーと結果、パフォーマンスに関するもので、チームの結束力、リーダーシップ、不安やプレッシャーへの対処、思考のコントロール、そして選手たちが抱えているかもしれない様々な問題に取り組み、彼らが最高の技術的および戦術的パフォーマンスを発揮できるように手助けするものです」
「もう 1つはメンタルヘルスに関するもので、選手たちを受け入れ、私たちが仕事に取り組む上で非常に重要なことです。これは世界的な問題であり、私たちは可能な限り最善の方法で手助けするためにここにいます」
選手たちからも歓迎の言葉を聞いた。FWリシャーリソン(トッテナム)は先日、『ESPNブラジル』へのインタビューで、イングランドで家族と同居するほど信頼していた代理人に、金銭面で裏切られていたことを知り、サッカーをやめたくなるほど落ち込んだことを泣きながら明かして話題となった。代表遠征中の会見でも、昨年9月以降、心理学者の治療を受けていると語った。
「ピッチの内外で受けるプレッシャーを知っているのは僕らだけだから、代表チームでも、心理学者が身近にいてくれるのは大事なことだ。一部には、心理学者の手助けを求めることへの偏見があるかもしれない。僕自身、偏見があった。でも、今はブラジル代表選手としての発言力を生かして、本当に助けを求めるようにと、人々に言いたい。僕の場合はそれが命を救ってくれたんだから」
以前から言葉によるセラピーの組織を立ち上げるほど、心理学を重要視している右SBダニーロ(ユベントス)もこう語る。
「ブラジル代表に心理学の専門家がいることに賛成だ。サッカーにはフィジカル面、技術面などがあるから、それが勝つための主要なポイントではないと思うけど、メンタル面は基盤を作り、ブラジルが勝つ可能性を高めるために、とても大事なことだ」
「無理強いすることでもない。必要な時に助けを求めることができる、という理解が必要なんだ。まずは動機があって助けを求め、結果が出れば、その後は選手たちのポテンシャルを発揮させるためのアイデアとして、みんなが理解するようになる」
W杯カタール大会前、サンパウロスポーツ心理学協会会長が「心理学者の存在は勝利を保証するものではないが、心理学者の不在が敗北を決定的にする可能性がある」と、語っていた。
求め続けているW杯6度目の優勝に向けた多くの取り組みの1つとは言え、「やれることをやってみる」というブラジルサッカー連盟の思いが表れる人事となった。
Photos: Rafael Ribeiro/CBF
Profile
藤原 清美
2001年、リオデジャネイロに拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特にサッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のTV・執筆等で成果を発表している。W杯6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTube『Planeta Kiyomi』も運営中。