一流プレーヤーにも下積み時代はある。
先週末、代表ウィークのためプレミアリーグがお休みだったイングランドでは「ノンリーグ・デイ(Non-League Day)」というキャンペーンが開かれた。これは世界最高峰のリーグであるプレミアリーグ(それから2部リーグ)が休みの時に、みんなで下部リーグの試合を見に行こう、というもの。イングランドでは正式なプロリーグは4部まで。5部以下はセミプロやアマチュアの「ノンリーグ」と呼ばれており、この週末はメディアやSNSでノンリーグを盛り上げる取り組みが行われた。
このノンリーグを経てプレミアリーグの舞台まで駆け上がった選手も少なくない。有名なところではレスターの元イングランド代表FWジェイミー・バーディーや、現在ローマに所属する元イングランド代表DFクリス・スモーリングなどがそうだ。彼らは下積みを経て、国を代表する選手にまで成長した。プレミアリーグで首位に立つアーセナルにもそんな選手がいる。今季ブレントフォードから加入すると、GKアーロン・ラムズデールとのポジション争いを制し、今やチームの守護神に定着しているスペイン代表GKダビド・ラヤ(28歳)である。
16歳でイングランドに渡り、18歳で5部リーグへ
スペインのカタルーニャで生まれ育ったラヤがイングランドにやって来たのは16歳の時。当時、ラヤが所属していた、カタルーニャの強豪ユースチームとして知られるコルネジャは、イングランドのブラックバーンと友好関係にあり、定期的に選手をトライアルに送り込んでいた。そこでチャンスを得たラヤは、トライアルで好印象を残して当時プレミアリーグに所属していたブラックバーンに加入。16歳にして家族と離れ、言葉も分からないままイングランドにやって来たのだ。苦労しながらも周りの支えもあって順調に成長を遂げたラヤは、18歳でプロ契約を結ぶと、トップチームでの出場機会が限られるため、2014-15シーズンに4カ月間の武者修行に出た。そのローン移籍先が、当時5部リーグに所属していたサウスポートだった。
「サウスポートで過ごした数カ月間は、学習と成長という面でキャリア最高の時間だったと思う」とラヤはクラブ公式HPで振り返っている。19歳の誕生日を迎えた数日後に5部リーグに貸し出されたラヤは、エリートクラブでは味わえない経験をする。ブラックバーンでは朝食や洗濯などが当たり前のように用意されたが、5部リーグでは自分の身の回りのことは自分でやらないといけない。
「いろいろと勉強になった」とラヤは説明する。「僕はすぐに大人になる必要があった。それこそがノンリーグへ選手をローン移籍させる目的だろう。大人の選手と対戦するしね。周りの選手は給料以外にも勝利給を貰って生活しているので、何より結果が重要なのさ」
ビルドアップの起点となり、チームに自信も与えた
19歳のラヤは、スペインの華麗なサッカーとはかけ離れたイングランド5部の世界で腕を磨き、4か月間で20試合に出場した。当時サウスポートは5部リーグで残留争いを繰り広げており、ラヤが加入してしばらくすると監督が交代に。新たにやってきたギャリー・ブレイビン監督は当時のラヤについて「自信があり陽気だった」と『Sky Sports』で振り返ったことがある。「チームはどん底で監督も交代。誰もが下を向くはずだったが、ラヤは違った。彼は明るくて、チームメイトに自信を与えていた。何より足元の技術に感心させられた」
当時のサウスポートは5部リーグの中ではパス主体のサッカーをするチームで、ラヤは得意とする足元の技術を生かしてビルドアップの起点となった。すると次第にチームの成績も好転し、ラヤがブラックバーンに戻る頃には降格圏から抜け出していたという。
そういった経験を積み、ラヤはブラックバーンに戻って2年後に定位置を確保。その後、移籍したブレントフォードで初めてプレミアリーグの舞台に立ち、今はアーセナルで優勝争いを繰り広げながら、世界最高峰のUEFAチャンピオンズリーグでも好守を見せている。
Photo: Getty Images
Profile
田島 大
埼玉県出身。学生時代を英国で過ごし、ロンドン大学(University College London)理学部を卒業。帰国後はスポーツとメディアの架け橋を担うフットメディア社で日頃から欧州サッカーを扱う仕事に従事し、イングランドに関する記事の翻訳・原稿執筆をしている。ちなみに遅咲きの愛犬家。