ベティスの元会長(1992‐2010)であるマヌエル・ルイス・デ・ロペラが亡くなった。79歳だった。彼はスペインでサッカーがビジネス化する前の時代、怪しげな人物が怪しげな方法で集めた金でクラブを私物化していた時代の典型的な会長だった。今だったらあり得ない面白エピソードで別れを告げたいと思う。
信じられないような逸話が満載
①俺のポケットマネーで救う事件
1992年、財政破綻で消滅寸前だったベティスを8億ペセタ(約7億9000万円)の私財を投入して救うのだが、さすがの自己顕示欲なのはその時の様子をわざわざビデオ(再現フィルム?)に収めていること。
「あ、俺だけど、25分ほどで8億ほど用意してくれ。ベティスを救わなければならないんだ。大勢を喜ばせるわけにはいかず、ベティコを悲しませるわけにはいかないんだよ」。電話を置いた後、周りの側近たちが「さすがです!」と絶賛。
②ホアキンのフェイク移籍事件
エース、ホアキン・サンチェスは2006年にバレンシアに移籍するのだが、それを妨害しようとした愉快なエピソード。テレビ番組での証言をホアキンの言葉で採録する。
「長い交渉の後、会長が言ったんだ。『バレンシアはダメ。アルバセーテへ行け。どっちも白いシャツだから同じだろ』。当時は会長が一方的に行き先を決められる契約になっていた。24時間以内にアルバセーテのオフィスへ行かないと罰金があるというので、慌てて車を飛ばした。4、5時間の道中、村の人たち何人にも『ホアキン、こんなところで何をやっているんだ?』と言われたよ。で、クラブに行ってみたら誰もいないんだから(笑)」
ライバルに移籍されることの悔しさで出た嘘だったのだ。
③銅像にダービー代理観戦させ事件
2007年のダービーは荒れた。ロペラはセビージャ会長ホセ・マリア・デル・ニドの観戦を禁止するのだが、彼は強行出席。で、デル・ニドがVIP席に行くと、不在の本人の代わりにロペラの巨大な銅像が据え付けてあった。
「セビージャが勝つところを見届けるという、私はいつものことをしたまで。『銅像にセビージャのマフラーを巻いたらどうだ』と言われたが、そんなことしたらヘリコプターに救出を要請する羽目になっていたよ(笑)」(デル・ニド)
この試合は無事終わらなかった。セビージャ監督のファンデ・ラモスの頭にペットボトルがぶつけられて再試合となったからだ。フーリガンまがいの会長が敵愾心を煽ることで、暴力事件が頻発した時代だった。
④自宅にコパ・デルレイ飾っている事件
昨年テレビ番組の企画でホアキンがロペラの自宅を訪れた時に発覚。「あれ、コパ・デルレイじゃないですか。何でここにあるんですか」とホアキン。「本物だよ。連盟にはレプリカを返却した」とロペラ。本来はレプリカが与えられるところをすり変えたという。
UEFAチャンピオンズリーグやUEFAカップなどに参戦して黄金時代を築いたが、タイトルは2004-05シーズンのコパ・デルレイのみ。よっぽど誇らしかったのか、ロペラは頼まれてもいないのに、ホアキンの結婚式にも優勝カップを担ぎ出す。記念撮影時に「カップを掲げてくれ」と頼むも、さすがに新婦に「何で?」とあっさり拒否されている。
Photo: Getty Images
Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。