「日本が国際サッカー界に影響力を持つチャンスが訪れた」――元FIFAコンサルタント・杉原海太が語る、Jリーグ2024シーズンの“ビジネス”プレビュー
2024シーズンのJリーグが開幕した。コロナ禍による混乱も一段落し、2026年のシーズン移行を見据えた今シーズンは転換期に入ったと捉えることができる。本記事ではそうした背景をふまえつつ、ビジネス面における今シーズンの注目点を専門家の目線で紹介する。
話を伺ったのは杉原海太氏。2005年にThe FIFA Master 第5期生として修了した後、2006年から8年間勤務したアジアサッカー連盟(AFC)では、Head of Developmentとして各国リーグ・クラブ支援プログラムの立ち上げに尽力。2014年からはFIFA コンサルタントとして、協会・リーグ・クラブのガバナンス、戦略立案・業務改革を推進。現在はデータコンサルタント集団『Twenty First Group』のアジア担当コンサルトを務める氏から見たJリーグのポテンシャルとは。
欧州はバランスシート。日本はPL
――2024シーズンのJリーグが開幕しました。今回は『ビジネス面におけるシーズンプレビュー』がテーマです。
「現状の整理からお話すると『コロナ前に戻った』という認識でいます。つまり、チケット、スポンサー、マーチャンダイジング(グッズ収入等)といったスポーツビジネスにおける中心的な収入が回復してきた。リーグ全体で考えても、契約内容を変えながらもDAZNさんや明治安田生命さんとのパートナーシップで財務基盤が安定しているのは大きい。ここは村井(満)前チェアマンを中心とした前体制の大きな功績と言えるのではないでしょうか」
――「伸びしろ」という観点ではいかがでしょうか? 直近のJリーグクラブ経営情報開示資料を見ると、J1クラブにおける年間売上高の上位は80~60億円程度。ここから入場料収入やスポンサー収入が急に倍増するような可能性は低い中で、杉原さんの専門分野でもある『国際化』をキーワードに見解を伺わせてください。
「今のままでは、伸びしろに限界があるという見解は同じです。だからこそ、リーグやクラブは東南アジアを中心とした『アジア戦略』に力を入れている。具体的にはプレシーズンマッチの開催や放送権の販売、(クラブの)親会社によるアクティベーションなどです。ただ、それらがクラブに何十億円といった規模の売上をもたらす可能性は低いかもしれません」
――『国際化』をキーワードに考えた場合、高いポテンシャルがあると考える人も多い『移籍金』についても触れない訳にはいきません。シーズン移行の議論とセットでよく語られるテーマでもあります。
「私はここ20年の国際サッカー界で最も変化した領域の1つが移籍金ビジネスだと思っています。グローバル化の流れで経済的に肥大化した欧州ビッククラブの事がよく話題になりますが、そのことと移籍市場に流れ込んできた彼らのお金を戦略的に収入源とした(ベンフィカやアヤックスといった)欧州中堅クラブの移籍金ビジネスは、コインの裏表の様なものだと感じています。話を日本に戻すと、日本は育成面で成功している世界でも有数の国の1つだと認識していますし、ポテンシャルの高い選手たちもたくさんいる。一方で移籍に伴うマネタイズにおいては改善の余地があるのではないか……そういう認識です」
――国際移籍のマネタイズに関しては『Jリーグでの活躍が欧州では評価されにくい』現状は論点の1つです。つまり、Jリーグから欧州クラブに移籍するタイミングでは高い移籍金を得るのは難しい。
「少なくともこれまでは、(高い移籍金を得るのは)難しかったでしょう。ベルギーリーグなど(の欧州中堅リーグ)をファーストステップにして、そこで活躍することで初めて欧州5大リーグに高い移籍金を伴う移籍ができる。ただ現在、日本人選手に対する過小評価は少しずつ欧州でも変わりつつあるように感じます。三笘(薫)選手や冨安(健洋)選手があれだけ活躍している影響もあると思いますし、直近の事例だと鈴木彩艶選手の移籍金は高い評価がされていたようですよね」
――杉原さんが所属する『Twenty First Group』(以下、TFG)の事業内容を簡単に説明すると、映画『マネー・ボール』のサッカー版のような、データを活用したコンサルティングが行われているという理解でいます。選手獲得において、そうしたデータ活用がより促進されれば、日本人選手の価値向上においては追い風になるのでしょうか?
「欧州のすべてのクラブがデータを活用した効率的な強化、経営を行う訳ではありません。逆に言えば、効率的な経営ができていないクラブが存在するから、(会長主導でデータ活用をしている)ブライトンの様なクラブが躍進できる余地があるとも言えるかもしれません。話を日本人選手に戻すと、データを重視してチームに一番フィットする選手を所属リーグや国籍に関係なく、妥当な金額で買うクラブが結果を出せば、連動して日本人選手の移籍金は上がるとは考えています。日本人選手は正当な評価がされていないというのが我々の見解です。実際にそれを体現しているクラブの代表例がブライトンですし、立場は違いますが我々もデータを通じてそうした選手の発見の手助けができればと考えています」
――TFGのクライアントにはトッテナム、アヤックスなど欧州の有名なクラブも含まれています。選手の獲得、売却においてJクラブとの考え方の違いを紹介してもらえませんか?
「欧州(のクラブ)はチームの編成をバランスシート(貸借対照表)で見ています。10億円で獲得した選手を50億円で売るキャピタルゲインを計画している。そのためには若手選手を計画的に起用しつつ、ベテラン選手も起用して目の前の勝利も目指す……といったバランスが意識されている。一方でJリーグは編成をPL(損益計算書)で見ている。つまり、選手は(資産ではなく)人件費なんです。よく日本では『●億円の人件費をかければ、勝ち点が●取れる』と話されているということにも表れていますよね」
――日本では株のような形で選手の売買を行い、利益を出すことに対してサポーターがアレルギーを持っている側面もあると感じます。
「あるでしょうね。その感覚は私も持っていて、現状の移籍市場は人身売買に近いところがありますし、MCO(マルチ・クラブ・オーナーシップ)は良くも悪くもその現状を最大限活かした経営手法と言えるかもしれません。ただ、グローバル市場化した国際サッカーの現実としてそういったトレンドが存在する以上、それを上手く活用しないとをJクラブが国際的な競争力を得ることは難しいかもしれません。選手が欧州でのプレーを希望することは今後も続いていくと思うので、出口戦略として売却益を得ることは意識せざるをえないテーマです」
――多くのサポーターが求めるものは勝利であって、売上高ではないという難しさもあります。無論、ここは関連している部分ではありますが、Jリーグではビジネス面より競技面が重視される傾向にあります。
「そうですね。サポーターが喜ぶなら(キャピタルゲインを期待しにくいが、キャリアのピーク時にある)27歳~28歳くらいの選手を起用して、勝利を重要視する判断があるのは理解できるものです。あと、Jクラブの社長は3~4年単位で親会社に戻るようなケースもあるので、そうなると在籍期間の実績としてより評価されやすい勝利数やタイトルを、クラブの売上や移籍金収入よりも重視するのは仕方ない面もあります。だからこそ、長期で編成を考えることができるGMの存在が重要なのですが、このテーマは奥深いので、詳しくはまた今度にしましょう(笑)」
ローカルとグローバルは二律背反ではない
――ビジネス面で開幕直前に大きな話題になったのが、レッドブルのJリーグ参入報道です。
「真偽の程はわかりませんが、仮に本当だとしたならば私は大きな可能性を感じます。例えば国内だと、競技は違いますがプロ野球のベイスターズ(DeNA)が良い例ですよね。親会社のリソースやノウハウを活用して球団改革に成功している。プレミアリーグでも近年はアメリカ資本が参入している影響もあり、(アメリカ発である)マネー・ボール的な発想で経営の意思決定を行うクラブが今後ますます増えてくると予想しています。企業のパワーをサッカーに活用することには高いポテンシャルがあると思いますし、元々企業スポーツ文化が根付いている日本スポーツ界の特徴を強みとして活かせるのではないかと考えています」
――個人的には取材を通じて、Jクラブでも事業部門と強化部門の垣根が低くなってきていると感じたことが昨年は何度かありました。
「それは良いことですね。私の理解が正しければ、これまで強化部の仕事は事業部だけではなく経営陣から見てもブラックボックスの様に見えるケースが少なくなかったかもしれません。マネー・ボール的な手法は、経営陣がデータを用いてブラックボックスを一定レベルまで可視化し、グリップしようとする取り組みとも解釈できます。(マンチェスター・)シティの(フェラン・)ソリアーノさんのような強化面と事業面の両方を、各領域の専門家を責任者として配置しながら、しっかりグリップできるCEOがJクラブでも増えてくれば、もっと変わるでしょう」
――クラブではないですが、日本サッカー界では元Jリーガーの野々村芳和さん(Jリーグチェアマン)や、宮本恒靖さん(次期日本サッカー協会会長)が重要なポストに就かれています。
「ここ数年はコロナ禍の影響もあって守りの経営だったと思うので、新しい体制ではより国際感覚をもって攻めて欲しいです。私がFIFAコンサルタントとして国際移籍ルールの改定の仕事に携わっていた時、折衝相手として会議の場に出席するクラブ・リーグ・選手のそれぞれを代表する組織の事務方の多くはヨーロッパの方でした。“国際”移籍ルールといいながら、その環境下では自ずとヨーロッパの観点でルールメイキングされていく事は否めないと思います。
現在、日本サッカー界の外交機能は協会側に偏っていると思いますが、欧州ではクラブ側のビジネスマインドが強く、国際感覚もあるからUFFAのような国際組織に対しても意見を伝えている。『Jクラブと欧州クラブは違うよ』と思うかもしれませんが、例えば(名古屋グランパスの親会社である)トヨタは世界の自動車産業に対して強い外交力を持っている訳で、少し極端な例だったかもしれませんが(笑)、そういうダイナミズムをJクラブが持ってもいいはずです」
――関連したところでいうと、昨年末に下されたECJ(欧州司法裁判所)の判決(※)も杉原さんが話されているクラブのダイナミズムを加速させるものだと理解しています。
「あの判決は国際大会の開催をはじめとして、FIFAやUEFA主導でなんでも決められる時代の終わりを意味しています。FIFPRO(国際プロサッカー選手会)の山崎卓也さんがフットボリスタの記事で言及されていた通り、日本が国際サッカー界に影響力を持つチャンスが訪れたと言えます。
例えば、Jクラブにとって国際舞台はACLがあって、その先にクラブW杯があるのが当たり前でしたが、他の大陸と組んで別の大会を開催する可能性を検討することもできる。Jクラブは長年、地域密着がフォーカスされてきましたが、ローカルとグローバルは二律背反ではない。両方を意識すべきです」
※「今後はFIFAやUEFAなどは、リーグ・クラブや選手を中心としたプロサッカーの重要なステークホルダーの声を聞かずに、一方的に国際マッチカレンダーなどを決められなくなる(=そうしたステークホルダーは、新しい国際大会のあり方をより自由に提案できることになる)」判決(2024年1月10日公開「ESL再燃にとどまらないECJ判決の余波(前編)。国際大会が迎えた上意下達の終焉と自由化の新時代」(山崎卓也)より引用)。
――また来シーズンも開幕頃に本日の話をふまえたJリーグのシーズンプレビューをお願いできれば幸いです。本日はありがとうございました。
「サッカー界は新しい産業だから日々の変化が大きい。今回の中心的なトピックだった移籍金も、ここまでのビジネスになると誰が予想できたでしょうか。こうして幅広い視野でJリーグを見ると、新しい可能性が見えてくるんじゃないかと。またお話できたら嬉しいです。ありがとうございました」
Kaita SUGIHARA
杉原 海太
2005年にThe FIFA Master 第5期生として修了した後、2006年から8年間勤務したアジアサッカー連盟では、Head of Developmentとして各国リーグ・クラブ支援プログラムの立ち上げに尽力。2014年から2019年にはFIFA Consultantとして、協会・リーグ・クラブのガバナンス、戦略立案・業務改革、及びITコンサルティングの分野において、世界の各地域で活動した。現在はイギリスのスポーツであるTwenty First Group(TFG)のアジア担当コンサルタントとして活躍中。
Photos:Getty Images
Profile
玉利 剛一
1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。その後、筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。2019年よりフットボリスタ編集部所属。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆を行っている。サポーター目線をコンセプトとしたブログ「ロスタイムは7分です。」も運営。ツイッターID:@7additinaltime