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「辛いことの方が多かったが、最高だった」。磐田一筋19年のワンクラブマン、八田直樹が極めた、守護神ではない生き方

2024.01.29

【短期集中連載】2023引退選手の記憶#5:八田直樹

磐田一筋、19年。八田直樹が歩んだ道のりは決して華やかではなかった。むしろ、悔しい思いをすることの方が多かった。そのキャリアの多くの時間は守護神という立場ではなかった。それでも八田は「最高だった」という。その結論に至る19年間の軌跡、ターニングポイントを振り返る。

周囲が“プロの鑑”だと尊敬する存在

 プロ生活19年間、ユース時代を含めれば22年間という時間をジュビロ磐田で過ごしてきた八田直樹。05年にユースからトップチームに昇格し、現役引退を発表した23年まで、近年では希少なワンクラブマンを貫いた。

 「長いようで短い19年間、嬉しいこと楽しいことよりも、辛いことの方が多かったサッカー人生でしたが、最高でした」

 昨季のホーム最終戦、J2第41節・水戸ホーリーホック戦後に行われた引退セレモニーの中で、最も印象に残った言葉だ。

 この19年間、ジュビロ磐田の正守護神としてゴールマウスを守り続けられてきた訳ではない。むしろ、ベンチやベンチ外という、いちサッカー選手として悔しさを噛み締め続けてきた時間の方が長かった。

 だが、「唯一、興味があること」と言うほど大好きなサッカーと誰よりも向き合い続ける姿を間近で見てきたチームメイトたちは、皆が口を揃えて”プロの鑑”だと尊敬してきた。そんな男が19年間、ジュビロ磐田というクラブに残してきた”偉大な財産”をここに記す。

悔しくても、最高の準備をし続けた

 「やる」。これは八田が19年間大切にしてきたポリシーだ。

 「やらないと何も始まらないし、やらないと自分の課題も長所もわからない。どんな状況であってもやり続ければ、何かが生まれると思うので、本当に何かに挑戦し続けたり、やり続けないといけないと今でも思います」

 試合に出られない状況が続いても、やり続けていれば、いつかチャンスが巡ってくる。そしてそのチャンスが来た時にやり続けていなければ、チャンスを掴むこともできない。そのために常にやり続けて最高の準備をし続ける。この腐らないメンタリティーが八田直樹という男の真髄だ。

 サッカー選手は賞味期限が短い。いくら自分を高めてきても、監督から信頼を得られなければ試合には出られず、不運な怪我によって、その道が閉ざされてしまうことがある厳しい世界だ。

 八田自身も、この19年間のキャリアを通して改めてプロの厳しい現実を痛感してきた。

 「甘い世界ではないと改めて思っている。そんなに毎日が楽しい訳でもない。でも常に自分の好きなことを仕事にして、その楽しさや喜びというのはあった。ただプロサッカー選手である以上は、やっぱりピッチに立つことが価値だと思いますし、試合に出ていないシーズンの方が長かったので、やっぱり悔しさの方が大きいかなと思っている」

Photo: JUBILO IWATA

偉大な先輩GKとの練習についていけないキツさ

 プロの洗礼を浴びたところからのスタートだった。……

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ジュビロ磐田八田直樹

Profile

森 亮太

1990年生まれ、静岡県出身。主に静岡県で活動するフリーライター。18年からジュビロ磐田とアスルクラロ沼津の番記者としてサッカー専門新聞”エルゴラッソ”やサッカーダイジェストなど、各媒体へ記事を寄稿している。

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