FC町田ゼルビアで来季、在籍9年目を迎える中島裕希は、ピッチ内外でクラブの変貌ぶりをつぶさに見届けてきた目撃者であり、開拓者だ。ハングリーな環境をむしろ楽しみ、ひたすらピッチ上の結果を追い求めてきた先に、サッカー選手として幸せな環境が待っていた。改めて、クラブの変貌ぶりについて環境面にフォーカスしながら振り返ってもらった。
古参メンバーの一人、福井光輝の涙
気がつけば、2人は自然と肩を組んでいた。
試合後にJ2優勝の表彰式を控えていたホーム最終節のツエーゲン金沢戦。89分からの交代出場の準備を整えた中島裕希と奥山政幸がタッチライン際に立っていた。
「まさかマサ(奥山政)と同じタイミングでピッチインすることになるとは……。無失点で守って勝って表彰式を迎えられるように、自然と『さぁいこうぜ』と話していた気がします。さすがに気持ちが熱くなりましたね」
中島と奥山政はまだ町田が市民クラブだった時代からチームに籍を置いてきた古参メンバー。そんな2人が“優勝試合”に同じタイミングでピッチに立とうとしている。古くから町田を支えてきたファン、サポーターにとっても、激アツな瞬間だった。
試合は町田が虎の子の1点を守り切り、1-0で勝利。無事に勝利で“シャーレアップ”の瞬間を迎えられるため、2人に次ぐ古参メンバーの一人である福井光輝は、試合終了直後に泣きじゃくっていた。中島がこう振り返る。
「町田に長く在籍しているマサ、(福井)光輝、そして(三鬼)海と昔を知っているメンバーにとっては夢のような瞬間でしたし、ここまでの思いがあふれ返って光輝の涙になったと思います。そんな光輝の姿を見て心に突き刺さるというか、僕は泣かなかったですが(笑)、とても感激しました」
J2優勝の証であるシャーレを奥山政キャプテンが単独で掲げ、今季限りでの現役引退を表明している太田宏介のシャーレアップが終わると、中島、奥山政、福井の3選手がセンターに集結した。シーズン4位の好成績ながらもJ1ライセンスを有していないため、18年のJ1参入プレーオフに参戦できなかった時代を知る古参メンバー3人衆が、一緒にシャーレアップの瞬間を迎えた。中島が言う。
「この日のために僕たちはやってきたし、最高の瞬間でした。もう一生の思い出です。写真を額縁に飾らないと(笑)。こんなに見事に変わっていくクラブをずっと体感できた身としては、とても感慨深かったです」
市民クラブからビッグクラブへの変遷。プレーヤーとして、その変わりゆく姿を中島はずっと近くで目にしてきた。
スパイクやウェアは選手自らの洗濯・管理
中島の町田加入は2016年。町田がJ2復帰を果たした初年度に中島は町田にやってきた。15シーズン限りでモンテディオ山形との契約満了が決まっていた中島は、同年オフのトライアウトに参加。行き場のない中島が奮闘する姿を見守った当時の相馬直樹監督は、このベテランアタッカーの獲得を心に決めていた。
こうして強化部との面談を経て町田の一員となった中島は、新チームに合流する直前、妻を伴い、自ら車を走らせて当時の練習環境の視察に行ったという。
「人工芝のピッチでクラブハウスがないし、小野路グラウンドの管理棟で着替えるとか、そういう前情報は聞いていましたが、『なんだよ、ここ』みたいなことは全然思わなかったですね。奥さんとも『思っていたよりもいいじゃん』と話した記憶が残っています」……
Profile
郡司 聡
編集者・ライター。広告代理店、編集プロダクション、エルゴラッソ編集部を経てフリーに。定点観測チームである浦和レッズとFC町田ゼルビアを中心に取材し、『エルゴラッソ』や『サッカーダイジェスト』などに寄稿。町田を中心としたWebマガジン『ゼルビアTimes』の編集長も務める。著書に『不屈のゼルビア』(スクワッド)。マイフェイバリットチームは1995年から96年途中までのベンゲル・グランパス。