湘南で挫折、金沢で成長を味わった後藤雅明。「あの時期があったから今がある」努力家が山形の正守護神に定着するまで
2023シーズンのJ2第39節ツエーゲン金沢戦で、残留に向けてもう後がない古巣の猛攻を凌ぎ切ったのは、2019年と2021年に在籍した現モンテディオ山形GKの後藤雅明だった。
極めつけは0-1で迎えた85分のビッグセーブだ。ハーフウェイライン付近でチームメイトのバックパスが相手選手に掻っ攫われる1対1のピンチに陥ったものの、入団2年目の正守護神は冷静に対応。自陣ペナルティエリアに差し掛かるところで大きくなったタッチを見逃さず、ここぞと一気に間合いを詰めてシュートの選択肢を削ると外に誘導したドリブルに体を投げ出しながら虎の子の1点を守り抜き、チームがJ1参入プレーオフ出場権争いに踏みとどまる上で不可欠な勝利の立役者となった。
今でこそ昇格を目指す山形で不動の地位を築き上げている後藤だが、2017シーズンに湘南ベルマーレで始まったキャリアは決して順風満帆なものではなく、かつて金沢で感じた成長と責任が自身を上昇気流に乗せる転機だった。29歳の努力家が積み重ねてきた試行錯誤の軌跡を本人の言葉とともに、早稲田大学時代から彼を知る舩木渉記者とたどっていこう。
サッカーにおいて最も難しいポジションはどこか? と聞かれたら、みなさんは何と答えるだろうか。
筆者は迷うことなく「GK」と答える。もちろん常にゴールを決めることを要求されるFWも、攻守両面にわたって多様なスキルを備えていなければならないMFも、求められる戦術的な重要性や柔軟性が飛躍的に高まっているDFにも、それぞれの難しさがある。
だが、GKの難しさは異質だ。限られたエリア内ならば手を使えるという特殊なルールが適用され、なおかつGKとしてピッチ上でプレーできるのは各チーム1人ずつ。ゴールシーンにはほぼ必ず関与するので、自分のミスが原因でなくとも、失点して試合に負ければ常に敗戦の責任を問われる。
競争という意味でも特殊さが際立つ。極端なことを言えば、フィールドプレーヤーは10個あるポジションのどこかにハマれば試合に出られる。二十数人で10枠を奪い合うわけだ。一方、GKは1人しか試合に出られない。プロの世界ではフィールドプレーヤーとの“二刀流”など通用するわけもなく、複数の選手でたった1つのポジションを奪い合うことになる。しかも、一度レギュラーの選手が固まってしまえば、基本的にはその選手が入れ替わることはないため、年単位で序列が動かなくなることも珍しくない。
経験が物を言うポジションでもあり、若くして正守護神の座に就ける選手はごくわずかだ。GKとしてプロになってもJリーグの舞台に立つまでに数年かかって、気づけば20代後半、試合に出ることなく契約満了を告げられてしまう選手も少なくない。
現在モンテディオ山形で正GKを務める後藤雅明も、かつては崖っぷちに立たされた選手の1人だった。「山形からオファーが来た時はびっくりした」というが、2022シーズンの加入から一貫してレギュラーとして起用され、監督交代があってもその座は揺らいでいない。
秋元陽太と白井裕人へ挑戦。金沢完全移籍には「確信」があった
1994年5月24日生まれ、埼玉県所沢市出身の後藤は國學院久我山高校から早稲田大学に進んだ。高校時代は2011年の第90回全国高校サッカー選手権に2年生守護神として出場して3回戦まで進むも、世代別代表歴などはなく全国的には無名の選手だった。
早稲田大では2年次まで松澤香輝(現ベガルタ仙台)の壁に阻まれていたものの、3年次にレギュラーの座を射止めると、19年ぶりの関東大学サッカーリーグ1部制覇に貢献し、最少失点GKとしてベストイレブンにも選出された。4年次はチームこそ関東大学2部に降格してしまったが、東京都代表として天皇杯に出場するなど実績を積み重ね、2017シーズンからの湘南ベルマーレ加入内定を勝ち取る。
大学サッカー界屈指のGKとしてJ1から降格したばかりの湘南の一員となった後藤だったが、すぐに高い壁にぶち当たることになった。
「プロの世界と大学のレベルは全然違いました。プレーの質やスピード感には大きな差があって、そこに慣れるのに時間がかかったし、まったくプロで通用するレベルではなかった。技術的なところもそうですし、GKとしての能力、試合でのパフォーマンス、試合勘、ゲームを読む力……いろいろな要素があったと思うんですけど、どれも全然ダメだなというのはめちゃくちゃ感じていました」
当時、湘南の正守護神を担っていたのは秋元陽太だった。FC東京から復帰した経験豊富なベテランを脅かすどころか、実力差をまざまざと見せつけられた。プロ1年目だった後藤の公式戦出場は天皇杯での2試合にとどまり、「がむしゃらに自分自身を高めることしかできなかった。試合に出て成長するどころか、何もできていなかった」と振り返る。
湘南は1年でJ1復帰を果たしたものの、2018シーズンも後藤を取り巻く状況は大きく変わらなかった。変わらず秋元がレギュラーでベンチ入りもままならない。結局、リーグ戦出場ゼロのままシーズンを終えた。大卒2年目でリーグ戦に1試合も出場できていないというのは、その後のキャリアを考えると危機的な状況だ。
転機となったのはプロ3年目のツエーゲン金沢への期限付き移籍だった。湘南でカップ戦に起用されて「練習や練習試合で感じられることと、公式戦で感じられることは全然違い、やっぱり公式戦に出てこそ成長がある」と感じ、2019年を「勝負の年」と位置づけて金沢へ武者修行に出るという大きな決断を下した。
しかし、最終的にJ2では3試合しか出番を得ることはできなかった。秋元が去った湘南でポジション争いに再挑戦する決意を固めた2020シーズンにJ1デビューを飾るも、リーグ戦での出場機会は3試合のみ。ガンバ大阪からやってきた若手の谷晃生を脅かすことができなかった。
では、なぜプロ3年目の2019シーズンが重要だったのか。「今までやってきたことは間違いなかった」という実感が確信に変わる経験が、2021シーズンに待っていたからである。26歳になっていた後藤は、2020シーズン限りで湘南を離れ、2021シーズンに2年前のレンタル先だった金沢への完全移籍を果たす。
「金沢に期限付き移籍した2019年はいい感触があったんですけど、なかなか試合に出場することができませんでした。それでも湘南と金沢ではサッカーの内容も考え方も違い、新しい視点でいろいろなものを吸収できました。移籍したからこそ見えたものがありました。……
Profile
舩木 渉
1994年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学スポーツ科学部卒業。大学1年次から取材・執筆を開始し、現在はフリーランスとして活動する。世界20カ国以上での取材を経験し、単なるスポーツにとどまらないサッカーの力を世間に伝えるべく、Jリーグや日本代表を中心に海外のマイナーリーグまで幅広くカバーする。