ボクシングとサッカーの「二刀流」は成功するのか!? 現役ヘビー級王者オレクサンドル・ウシクがサッカーへの挑戦を決めた理由
7月19日、ボクシングの現役ヘビー級王者オレクサンドル・ウシクが母国ウクライナのプロサッカークラブと契約を結んだことが明らかとなり話題となった。過去には全盛期に一度バスケットボールから引退して野球選手に転身した「バスケの神様」マイケル・ジョーダンや、陸上選手引退後にプロサッカー選手を目指したウサイン・ボルトのようなアスリートもいたが、いずれも大成したとは言いがたい結果に終わっている。なぜウシクはボクシングからサッカーへ、しかもボクシングの現役活動を続けながらという異例づくしの挑戦を決断したのか。その理由や反響を、東欧のサッカー事情に明るい篠崎直也氏が伝える。
ウクライナのジトーミルを本拠地とするFCポリーシャ(今季から1部プレミアリーグに昇格)が、ボクシングの現WBAスーパー・IBF・WBO世界ヘビー級統一王者オレクサンドル・ウシクと1年間の選手契約を結んだ。ボクシング界の現役のスーパースターが「二刀流」でサッカーにも挑戦する。
まずはウシクのボクサーとしての経歴を簡単に紹介しておこう。15歳からボクシングを始め、アマチュアとして2008年ヨーロッパ選手権(ライトヘビー級)、2011年世界選手権(ヘビー級)、2012年ロンドン五輪(ヘビー級)で金メダルを獲得。2013年にプロ転向するとデビューから5戦目でWBOクルーザー級王者となり、2018年に4団体王座統一を達成。ヘビー級に階級を上げた後も無敗街道を突き進んで2021年に3団体統一王座を勝ち獲り、36歳の現在は主要4団体統一を視野に入れている。プロでの通算成績は20戦20勝(13KO)。
ボクシング界で権威がある『The Ring』誌やスポーツ専門局「ESPN」が発表しているPFP(パウンド・フォー・パウンド:異なる階級の選手を比較する手法)ランキングでは、アメリカのテレンス・クロフォード、日本の井上尚弥に次いで3位(2023年7月発表時点)。ウクライナはボクシング強国であり、現在キーウ市長のビタリー・クリチコ、その弟のボロディミル・クリチコ、ワシリー・ロマチェンコといった世界王者経験者たちと並んでウシクも母国の英雄となっている。
サッカーを諦めた過去と変わらぬ愛情
そんなウシクだが、子供の頃はボクシングではなくウクライナの民族舞踊や柔道、サッカーを習っていた。ロシアによる併合、ウクライナでの紛争により現在注目を集めるクリミア半島の町シンフェロポリで生まれ、ウクライナ国内リーグの初代王者(1992年)となったFCタフリヤ・シンフェロポリのジュニアユースチームに入団。左ウイングでプレーしていた。
ある試合中に対戦相手を殴ってノックアウトし、監督から「謝罪すればチームに戻ることができる」と言われたが、「相手が謝罪に来れば自分も謝ろうと思っていたけれど、その機会は訪れなかった」とウシクは振り返る。
また、サッカーから離れたのには経済的な理由もあった。
「さらに上の年代でサッカーを続けるためには練習や移動、用具のために金が必要だった。両親は普通の労働者だったので、そんな金はなかった。ボクシングはそれが全部無料だったんだ。そんなわけでボクシングを始めることになった」
だが、ボクサーとしてスターへの階段を駆け上がっていく間もウシクのサッカーへの愛情が消えることはなかった。ディナモ・キーウの熱心なサポーターであり、息子がシャフタール・ドネツィクのファンになったことを真剣に心配するほどだ。……
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Profile
篠崎 直也
1976年、新潟県生まれ。大阪大学大学院でロシア芸術論を専攻し、現在は大阪大学、同志社大学で教鞭を執る。4年過ごした第2の故郷サンクトペテルブルクでゼニトの優勝を目にし辺境のサッカーの虜に。以後ロシア、ウクライナを中心に執筆・翻訳を手がけている。