複数の女性に対する性的暴行の容疑で裁判中の身だった元マンチェスター・シティのDFバンジャマン・メンディは、去る7月14日、すべての罪状で無罪の判決を受け、晴れて自由の身になった。そしてそのわずか5日後、フランス・リーグ1のロリアンと2年契約を締結したことが発表された。
メンディはパリ郊外のロンジュモー出身。7月17日で29歳になったばかりの左SBだ。2011年に17歳で当時リーグ2(2部)のルアーブルとプロ契約を結ぶと、2年後にはマルセイユに移籍。そして2016年夏にはモナコと契約し、キリアン・ムバッペ、ベルナルド・シルバらとともに16-17シーズンのリーグ1優勝を勝ち取った。
当時“世界最高のSBの一人”と言われた彼はその夏、フランスでのタイトルを置き土産にプレミアリーグにステップアップ。マンチェスター・シティは23歳のメンディとの5年契約に、破格の移籍金5200万ポンドを投じている。
フランス代表でも2018年のW杯ロシア大会のメンバーに選出。ケガの影響もあってコンディションが整わず、出番はグループステージ最終戦(対デンマーク)の40分のみだったが、24歳でW杯優勝を経験した。少年時代は慎ましい暮らしだったというメンディは、その才能を武器に、一気にスターへの階段を駆け上がったのだった。
容疑9件、2年を経て「無罪」に
そんな彼の人生は一変する。
2021年8月26日、メンディは2020年10月から2021年8月にかけて、複数の女性に対し性的暴行を行ったとしてイングランド北西部チェシャー州の警察に起訴された。それから約4カ月間、彼はリバプールの刑務所に勾留される。この時「VP」と名づけられたセクション行きを命じられて、“VIP用”と勘違いした、というジョークのような話も露出した。
2022年1月、「自宅に住む」、「パスポートを預ける」といった条件つきで保釈が認められて刑務所を出ることができたが、その後も嫌疑は増えて、計7件のレイプ、1件のレイプ未遂、1件の性的暴行の疑いで起訴されることになった。
裁判が始まったのはその年の8月。9月に1件のレイプ容疑が無罪となり、年が明けた今年1月に6件のレイプと1件の性的暴行の容疑が無罪に。そして7月、残る容疑についても陪審員は「無罪」を主張。ようやくすべての容疑で無罪が確定した。
裁判中は、シティの関係者も証人として呼ばれた。ペップ・グアルディオラ監督は「私生活では、彼らが何をしているかは知らない。私はSNSで選手をフォローしないので、トレーニングや試合といった私の管理外で彼らが何をしているかは知らない。私は彼の父親ではないので」と法廷で語ったと英『BBC』は報じている。
他にも、選手のお世話係のクラブスタッフや、メンディが雇っていた掃除婦なども証言台に立ったようだが、そこで明かされたのは、彼が筋金入りの“パリピ”であったことだ。掃除婦の女性は、そこらじゅうに食い散らかした食べ物の残骸やボトルが転がっているメンディの豪邸をたびたび片づけたと証言している。
メンディ自身、自分がパーティー好きであることや、サッカー選手になって以来、簡単に女性と関係を持つことができるようになったことなどを認めたが、乱暴したことは否定し、すべて「合意の上だった」と一貫して無罪を主張していた。
無罪判決が出た後、フランス代表の同僚ポール・ポグバは『so happy for you bro』とメッセージを送り、メンフィス・デパイも『嫌疑は晴れた。これから僕たちは何をするのか? 誰が彼をサポートするのか? 長い年月を積み重ねてプロのフットボール選手になった……これからどうなるんだ?』といった訴えかけるような内容の長文メッセージを投稿している。
フランスらしい「それはそれ、これはこれ」
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Profile
小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。