SPECIAL

ついに現れたクローゼの後継者、ニクラス・フュルクルク。ブンデス得点王はドイツ代表の“偽9番”問題に終止符を打てるか

2023.07.22

2022-23シーズンのブンデスリーガで得点王に輝いたニクラス・フュルクルクは、2022年11月に初招集されたドイツ代表で9試合7得点中。ミロスラフ・クローゼの後継者とも目されるブレーメンの遅咲きストライカーは、今や偽9番問題の解決策としても期待されている。その波乱万丈のキャリアをケルン体育大学大学院でゲーム分析を学ぶcologne_note氏に振り返ってもらった。

 ハノーファーのリックリンゲンで生まれ育ったニクラス・フュルクルクは、父親が指導する地元クラブで14歳までプレー。その地域で突出した強さを誇り、本人によればハノーファーの下部組織のチームすらも9-0で打ち負かすほどだったという。そんなチームでシーズン平均160ゴールを決めていたというCFは、当時の自分を「他より少しだけ才能と野心があった」と振り返る。若くして得点を量産していた逸材の動向には、ハノーファーや同じドイツ北部のブレーメンだけでなく、バイエルンらブンデスリーガの数クラブも熱い視線を注いでいた。

 そんな中でフュルクルクは獲得に最も熱心だったブレーメンのアカデミーへと13歳で加入。古豪で右肩上がりの成長曲線を描き、18歳で当時3部に所属していたセカンドチームに引き上げられると、ドイツの年代別代表にも選ばれる有望株として注目を集めた。

自信家を伸び悩ませた度重なるケガ

 2011-12シーズン前半には18歳ながらレギュラーの座を射止め、2012年1月にはトップチームのレバークーゼン戦に途中出場してブンデスリーガデビューを飾る。しかし、順風満帆にプロの世界へと飛び込んだフュルクルクは、度重なるケガで伸び悩んでしまう。まず2013年冬に右膝の軟骨を負傷。2012-13シーズン後半戦全休を余儀なくされた。

 翌季に戦列復帰したフュルクルクは2部グロイター・フュルトへ1年間レンタル移籍。定位置を確保してリーグ戦21試合6得点を挙げ、武者修行先の3位フィニッシュに貢献するも3月に足首を負傷したため昇格を争った終盤戦の大半を欠場していた。

 続く2014-15シーズンはブレーメンから2部ニュルンベルクに完全移籍。新天地では慣れない左ウイングで24試合3ゴール7アシストとまずまずの成績を残したが、3月に今度は左膝の軟骨を損傷。残り全10試合はベンチにも入れなかった。

 そんなフュルクルクがようやく点取り屋としての才能の片鱗をトップレベルで覗かせたのは、ニュルンベルク2年目の2015-16シーズンだ。秋頃からスタメンに名を連ねると、189cmの彼は187cmのギド・ブルグシュターラーと大型2トップを組んで最前線からチームを牽引。3位で昇格こそ逃したものの、フュルクルク自身は30試合14ゴールで初めてフルシーズンを走り切った。

ニュルンベルク時代のフュルクルク

 シーズン終了後には23歳の長身FWのもとに1部クラブからオファーが寄せられたが、新天地として選んだのは2部に降格してきたハノーファーだった。地元クラブの一員として初めてのシーズンに挑んだフュルクルクは、途中出場が多かったものの、2017年3月のアンドレ・ブライテンライター監督就任を機に2トップの一角としてレギュラーの座を奪取。以降は9試合3ゴール2アシストでハノーファーの即1部復帰を手助けした。

 翌2017-18シーズンはブンデスリーガ第9節アウクスブルク戦で途中出場から2ゴールを奪うと、そこから14ゴールを挙げてエースとしての地位を確立。得点ランキング3位に食い込み、当時のドイツ代表FWニルス・ペーターセンに次ぐドイツ人2番目の得点数を記録したが、フュルクルクにとって驚きはなかった。

 「傲慢と思われたくないけど、自分がブンデスリーガのレベルで実力を証明し、ゴールを決められるかは、時間の問題だったと思う」と豪語するほどの自信を裏づけていたのは、その努力と向上心だ。ブライテンライターも当時の教え子について「信じられないほど野心的で、常に成長したいと思っており、いつも居残り練習を求めてくるんだ」と証言している。

ハノーファー時代、ブライテンライター監督と抱擁を交わすフュルクルク

 シーズン後にはボルシアMGから1800万ユーロのオファーが届くも、ハノーファーは地元出身のストライカー売却を拒否。しかし他の主力を放出した翌シーズンは下位へと低迷。フュルクルク自身も18年12月に3度目となる膝軟骨のケガで離脱を強いられ、またしてもシーズン後半戦を棒に振ることとなった。

 得点源を失ったハノーファーは降格圏から抜け出せず、わずか2シーズンで1部の舞台から去ることに。フュルクルクは古巣ブレーメンへの復帰を選び、個人残留を果たす。その決め手となったのは、当時の監督フロリアン・コーフェルトだった。ブレーメンの下部組織で彼の指導を受けていたフュルクルクにとって、恩師の元へ戻る決断を下すのは難しくなかった。

 迎えた2019-20シーズン、大迫勇也らと攻撃陣を形成したフュルクルクは、開幕4試合で2ゴールと好スタートを切った。しかし9月の練習で膝の前十字靭帯を負傷。再び長期離脱を強いられた。

 コロナで中断・延長されたシーズン終盤の6月に復帰を果たしたものの、古巣復帰1年目は8試合4ゴールと期待外れに終わった。再起を図った2020-21シーズンもふくらはぎと足首のケガに苦しみ14試合を欠場。コーフェルトも低迷するチームを立て直せずに最終節前に任を解かれ、ブレーメンは41年ぶりの降格が決まった。

コーフェルト監督から指示を受けるフュルクルク

「究極の“カクテル”」発見で8年ぶりドイツ人得点王へ

……

残り:3,006文字/全文:5,321文字 この記事の続きは
footballista MEMBERSHIP
に会員登録すると
お読みいただけます

Profile

cologne_note

ドイツ在住。日本の大学を卒業後に渡独。ケルン体育大学でスポーツ科学を学び、大学院ではゲーム分析を専攻。ケルン市内のクラブでこれまでU-10 からU-14 の年代を指導者として担当。ドイツサッカー連盟指導者B 級ライセンス保有。Twitter アカウント:@cologne_note

関連記事

RANKING

関連記事