各地でアップセットが相次いだ7月12日の天皇杯3回戦。その一つ「鳥栖(J1)3-4 熊本(J2)」で土壇場の逆転劇を実現させたのが、2006年4月5日生まれの高校2年生、186cmの長身で7月2日には日本代表としてU-17アジアカップ優勝を達成した今大注目のストライカーだ。
「やっと決めることができて解放されました」
昨年、一昨年、さらに4年前と、3度続けて次のラウンドへの道を阻まれていたサガン鳥栖に延長戦の末勝利し、天皇杯で11年ぶりのベスト16進出を決めたロアッソ熊本。その扉を開いたのは、チーム最年少かつ現役高校生でもある17歳のFW道脇豊だった。
ピッチに送り出されたのは、2-3と1点リードされた状況の88分。3トップ中央の位置に入った道脇は、鳥栖のDFライン背後への抜け出しを意識して駆け引きを続けると、90分、左から田辺圭佑が送ったクロスに頭で合わせる。
「(髙橋)泰さん(熊本コーチ)や代表(U-17日本代表ゲストコーチ)の大黒(将志)さんから『相手の死角から入ってゴールを奪え』と言われていたので、捕まえられにくいポジションを取って動き出すことができた」と振り返る。
今シーズンから2種登録ではなくプロ契約を結んでトップチームの一員となった道脇にとって、これがプロ初ゴール。記念すべき得点がチームを救う土壇場での劇的な同点弾となったことでスタンドも大いに沸いたが、アディショナルタイムの間に逆転に持ち込める可能性もあったことで、道脇は過剰に喜ぶ姿は見せず、サポーターを煽る仕草をした後、すぐさまハーフウェイライン付近まで戻った。
ゲームは延長戦に入り、追いついた熊本はその勢いを維持して延長前半から押し込むと、95分に次の歓喜が訪れる。右サイドでボールを受けた東山達稀が横パスを送り、ゴールエリアの角付近にいた道脇は相手DFを背負った状態でトラップ。ゴールに背を向けた体勢だったが、「トラップした瞬間からシュートを打つことしか考えていなかった」とシュートモーションに入る。その一方、「相手DFが構えているのが見えた」と、体を当ててスペースを確保しつつ、キックフェイントでタイミングをずらす冷静な判断ができる余裕も持ち合わせていた。
「GKは見えなかったんですけど、DFに当てないように、とにかく枠に強く打つことを意識した」という右足のシュートは、相手DFの背中を抜けてゴールマウスの左隅へ飛び、クロスバーをかすめる形でネットを揺らす。延長から朴一圭に代わってピッチに立っていた鳥栖のGK内山圭が動けなかった様子から察するに、おそらくDFのブラインドになった状態から、速いボールが突然出てくる格好になったのだろう。このゴールで逆転に成功した熊本は、2012年の第92回大会以来となる4回戦への切符をつかむことになった。
「開幕の栃木SC戦から大木(武)さんも自分を使ってくれて、先日のブラウブリッツ秋田戦(7月9日/J2第25節)でも初めて先発で使ってくれたんですけど、なかなか点を決められずに自分の価値を示せていなかったので、やっと決めることができて解放されました」
ミックスゾーンでメディアに対応する表情は、プロ初ゴールを含む2得点でチームを勝利に導いたことへの興奮より、自らに課されたミッションを果たせた安堵に満ちていた。
「(2点目は)本当にギリギリで、狙っていたコースではなかったけど、そういう場面で決めることができたのは、『持ってるな』と思います」
こうした言葉を澱(よど)みなく話せることも含め、17歳とは思えぬ落ち着きと賢さをあらためて感じさせた。
並外れた向上心。中学生からトップチームの練習に参加
道脇が結果にこだわっていたのは、周囲の期待に早く応えたいという思いとは別に、もう一つ理由があった。それは今年行われるU-17W杯に向け、日本代表における自らの立ち位置を示し、周囲や見る人を納得させること。すなわち「プロだから代表に呼ばれている」という見方を覆すためである。……
Profile
井芹 貴志
1971年、熊本県生まれ。大学卒業後、地元タウン誌の編集に携わったのち、2005年よりフリーとなり、同年発足したロアッソ熊本(当時はロッソ熊本)の取材を開始。以降、継続的にチームを取材し、専門誌・紙およびwebメディアに寄稿。2017年、母校でもある熊本県立大津高校サッカー部の歴史や総監督を務める平岡和徳氏の指導哲学をまとめた『凡事徹底〜九州の小さな町の公立高校からJリーガーが生まれ続ける理由』(内外出版社)を出版。