観客席に近いタッチライン際で、1対1で守備者を抜き去るウイングは、サッカーの花形ポジションの1つと言えるだろう。スタンリー・マシューズやガリンシャは、伝説のプレーヤーとして今なお語り継がれている。[4-4-2]が普及した90年代は一時期絶滅が危惧されたが、現在は縦突破のドリブラーやクロッサー、逆足のゲームメイカー、そしてクリスティアーノ・ロナウドのようなフィニッシャーまで多様なタイプが活躍するようになった。西部謙司がウイングの興亡史を綴る。
※『フットボリスタ第96号』より掲載。
サイド攻撃は普遍的な効果が見込める。守備者にとって、マークすべき相手とボールを同時に視野に収めるのが難しいからだ。人体の構造が変わらない限り、サイドからのラストパスは効果的であり続ける。
「縦突破」のプロトタイプ、マシューズとガリンシャ
最初のバロンドール受賞者、スタンリー・マシューズはウイングのスーパースターだ。受賞は1956年、その時のマシューズは41歳。その年の活躍というより功労者の偉業を称えるという意味合いの表彰だったようだ。その後、50歳までプレーした不老の右ウイングは、有名な割に獲ったタイトルは2部リーグ優勝が2回と「マシューズ・ファイナル」と呼ばれる1953年のFAカップだけ。しかし、その名人芸「マシューズ・トリック」としてよく知られていた。今見ればトリックというほどではないのだが、小刻みなステップからスッと縦に抜ける間合いは独特。FWの頭上にピタリと合わせるクロスボールの精度も定評があった。
マシューズに代表される縦突破からのクロスボールは典型的なウイングのプレーだった。マシューズの後ではガリンシャが縦突破のチャンピオンだ。ビューンと縦に抜け出すスピードは圧巻、わかっていても止められない瞬発力。ガリンシャはアシスト専門のマシューズと違って得点力もあり、ペレとともにブラジル代表の全盛期を牽引した。シュート性の低いクロスボールが十八番だったのも現代的だ。
カットイン型のウイングもすでにいた。アーセナルの左ウイング、クリフ・バスティンは得点量産のウイング。通算150ゴールはティエリ・アンリに更新されるまでクラブレコードだった。WM時代の大スターである。左利きの割合は古今東西ほぼ10人に1人と言われているから、右利きの左ウイングもたくさんいた。つまり、逆足のウイングも最初からいてバスティンもその1人だったわけだ。
マシューズとイングランド代表の右ウイングの座を争ったトム・フィニーは左でもプレーしたが、左足上達のためにトレーニングでは左足だけスパイクを履いていたという。つまり、この時代のウイングは縦突破とクロスボールが主な役割であり、左にはカットインからシュートを狙うタイプも普通にいたが、理想像としては縦突破とクロスボールだったということだろう。
ざっくり括れば1970年代まではマシューズ(ガリンシャ)型がウイングの主流である。ただし、逆足ウイングはすでに存在していて、特異な形ではあるが現代に繋がるウイングも台頭していた。
「左」のザガロ、そしてピータース、ワーキングウインガーの系譜
1958 年W杯に初優勝したブラジル代表の右ウイングはガリンシャ。その無双ぶりは比類ない。一方、逆の左にいたマリオ・ザガロはまったく違うタイプだった。……
Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。