2013年にFC東京へ移籍してきてから11シーズンもの間、東慶悟はとにかく試合に出続けてきた。ボランチやフォワード、時にはセンターバックを任されることも。指揮官が誰であっても、周囲の選手が誰に変わっても、この男へと注がれる信頼はそう簡単に揺るがないのだ。そんな東が青赤のユニフォームとともに辿ってきた変化と適応の日々を、FC東京の観察者・後藤勝が紡ぎ上げる。
FC東京で東ほど信頼できる選手はそうはいない
もしもJリーグの選手を技術や戦術といった、いかにもサッカー的な正しさだけで論評しようとするなら、それこそ世界一になったかのような語り手によって上から目線で「あれが出来ていない、これが出来ていない、こやつを退場させろ」と、蔑み貶める言葉が溢れ返ることになる。しかしそれがいったいどうしたというのか。そのチーム、その試合を預かる監督の身になって考えてみるといい。
たとえば、FC東京。メッシもグアルディオラも存在しない現実のピッチ上で、東ほど信頼出来る選手はそうはいない。東を批判する視点の多くは、東以上の選手をいま観戦している試合に直ちに連れて来れるという机上の空論が前提になっている。そんな仮想のスーパースターの入り込む可能性がないピッチ上で、東以外の選択肢を採りうるというなら、いますぐ監督になって彼に交代を命じればいい。
東以上のアンカーも、東以上の10番も、東以上のキャプテンも、この世のどこかにはいるだろう。その究極的な、実際にはほとんど機能しない物差しと比較して「100点ではない」と断罪する行為に大して意味はない。それよりも、歴代の監督が東をいかに扱ってきたかを思い返したほうが遙かに有意義だ。
0-8の“惨劇”で浮き彫りになった信頼の高さ
プロキャリアの初めはいかにも10番という扱いであり、大分トリニータと大宮アルディージャではシャドーやトップ下のポジションで得点を重ねた。2011シーズンは8得点。東京に移籍してからは純粋なトップ下ではなく、その前後に居場所が揺れ動き、ボランチやフォワードと化し、特にボランチよりも後列に位置する機会が多かった。
いきおい、2011年よりも年間のゴール数は少なくなる。言い換えると、代々の東京の指揮官はゴール数以外の基準で東を評価してきたことになる。その数字云々で彼を論評するのも不毛なのではないか。大分時代の先輩である森重真人、大宮時代の盟友である青木拓矢と同じクラブにいることはとても感慨深いが、現在の東が与えられている役割はそれぞれの時代と同じではない。
監督、チーム、戦い方、プレースタイル、役割、ポジション……それらのすべてが変わっても、いつでもこの男がピッチに立っているのはなぜなのか。
東に対する信頼の高さを証明するエピソードの最たるものは、2021年11月6日のJ1第35節、日産スタジアムでの横浜F・マリノス戦、あの0-8で敗れた“惨劇”に於ける最終ラインでの起用だろう。
フットボールの内容で完全に上回られた東京は前半だけで4失点。前半39分に森重真人が二枚のイエローカードで退場処分となり、その後ディエゴ・オリヴェイラに替え、FC東京U-18からトップに昇格して一年目の新人である大森理生に交代。森重の代わりに最終ラインに組み込み、F・マリノスよりひとり少ない状態で数分間を耐えた。
長谷川健太監督(当時)は後半のスタートからフォーメーションと配置を替え、最終ラインを2センターバック(4バック)から3センターバックに変更、東をその中央に置いた。大森は左端だった。
ワイドを使ったF・マリノスの攻撃に、新しいメンバーを加えた4バックでは耐えきれないという判断もあったが、高卒ルーキーの大森を少しでも落ち着ける状態でプレーさせようと、キャプテンを傍らに置いて支えようとする配慮のほうにより重きを置いた采配だった。
練習ではまったく取り組んでいないかたち。東もディフェンダーが本職ではない。当然のように後半も4失点を重ねた。前半45分間を終えた時点で大敗が確定しているゲームで、残り半分のつらい時間を過ごすためだけの戦い。そこに求められるのは、敗戦を受け容れ、受け止めるだけのキャパシティであり、もはやそのポジションをこなす能力云々ではなかった。そういうシチュエーションだからこそ、ほかの誰でもないキャプテンが背負わざるをえない。そこに、東に信頼を置く監督の心が照射された。
なぜ、どの監督も判で押したように東を先発で使うのか
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