【伊東輝悦インタビュー前編】48歳の錆びない鉄人、プロ31年目の「今を走る」
不定期連載「Jリーグと30年を走り続けて」
1993年5月15日に開幕したJリーグは2023年に30周年を迎えた。W杯が「夢の舞台」から「出場して当たり前の大会」に変わったように、この間に日本サッカーは目覚ましい進歩を遂げた。果たして、Jリーグが30年で与えてくれたものとは何だったんだろうか? この連載では様々な立場の当事者の声を聞き、あらためて30年の蓄積について考えてみたい。
第1回に登場するのは、Jリーグ発足から30周年となる2023シーズンまで唯一、現役選手として活躍し続けているアスルクラロ沼津の伊東輝悦。前編ではプロ31年目、48歳となった現在でもプレーを続ける原動力を探ってみた。
「1年契約」で積み重ねた31年
――48歳でプロ31年目のシーズンを迎えられるとは……年齢への敬意はもちろんですが、開幕の時にJリーグに在籍して今も現役なんて信じられません。
「本当にね。Jリーグが開幕した当時は、出場機会のない若手のために作られたサテライトリーグ(09年に終了)でずっとプレーしていて、清水の試合を観ながら、何とかあそこ(ピッチ)に立てないか、どうやったら行けるんだって、毎日考えていた。時々トップチームへの練習参加があって行き来はするんだけれど、中盤にはノボリさん(澤登正朗)ら、スターが揃っていたでしょう? どんなにがむしゃらにプレーしていても、あの人たちのプレーを超えるのはなかなか厳しいなぁ、同じチームなのに凄く高い壁だなぁって、とにかく上ばかり見ていたね」
――31年続けられた理由を自分なりに分析すると?
「うーん、毎年毎年、必死だったからね。1年契約だったんで……」
――31年間ずっと1年契約? 複数年契約は一度もなしに、ホントに?
「ホントに。14年にJ3の長野(パルセイロ)に行った際は、J3が始まるシーズンで2年契約を提示してもらったんだけれど、あとはすべて1年きり。1シーズンが終わると、また来年もどこかでサッカーできるんだろうか? どこからもオファー来なかったら……と大きな不安もあるし、反対に決まった時の大きな喜びというか、興奮もある。1年、もう1年、さらに1年、と積み重ねて来たのが、ここまでやってこられた理由なのかもしれない。シーズン前に契約を結べると、あぁ今年もまたサッカーができるんだって、シンプルに1年に対してもの凄く感謝できるし、それだったらベストを尽くさなくちゃ、と、ただただ、純粋にうれしくってね。必死だったから続いたんじゃないだろうか」
【お知らせ】
伊東輝悦選手、契約更新のお知らせhttps://t.co/iRSDWxVSPY#アスルクラロ沼津 pic.twitter.com/U8sDf5pOeT
— アスルクラロ沼津【公式】 (@azulclaro1990) December 28, 2022
――もちろんそういう気持ちはあるとは思いますが、1年契約で……。そういえばメーカーの方に、「毎年正月、テルから、今年もサポートをよろしくお願いいたします」と、とても丁寧なお手紙をもらい恐縮すると聞きました。シューズをとても大切にするので、年間の使用数も少ないそうですね。
「シューズの担当者ですね。フランスワールドカップの後からだから、もう何年履いているんだ? J1でプレーしていた当時ならいざ知らず、今はJ3で、宣伝と言っても、露出もなかなか難しいところでメーカーにとってはJ1とは違うでしょう。そんな中、毎年、シューズの提供を数足でもしてもらえるのは本当にありがたい、の一言に尽きる。サイズ26・5もずっと変わらないし、まぁ選手によってはひんぱんに履き替えるタイプもいるけれど、ぜい沢なんか必要ない。十分だよ」
<決して枯れない、サッカーの「根っこ」>
沼津の港から急なカーブを上がる山の中腹に、アスルクラロ沼津の平屋建てのクラブハウスがある。2月下旬に訪ねた日、広報担当者は、2つの間仕切りで分けた部屋を取材用に準備してくれた。「スペースがなくて……もし迷惑をおかけしたらすみません」と申し訳なさそうに言う。しかし体のケアを受ける隣の空間からは、若手選手たちの声がまるで軽快なBGMのようにこちら側に流れ、それを聞く伊東の表情は、迷惑どころかむしろ楽しそうに見えた。……
Profile
増島 みどり
1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年独立しスポーツライターに。98年フランスW杯日本代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。「GK論」(講談社)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作多数。フランス大会から20年の18年、「6月の軌跡」の39人へのインタビューを再度行い「日本代表を生きる」(文芸春秋)を書いた。1988年ソウル大会から夏冬の五輪、W杯など数十カ国で取材を経験する。法政大スポーツ健康学部客員講師、スポーツコンプライアンス教育振興機構副代表も務める。Jリーグ30年の2023年6月、「キャプテン」を出版した。