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柏レイソル新加入の元U-21オランダ代表、ジェイ・ロイ・フロートの物語。嫌われ者から英雄へ

2023.02.08

今年2月、ジェイ・ロイ・フロートの柏レイソル加入が決まった。若くしてブレイクした元U-21オランダ代表FWは24歳にして紆余曲折のキャリアを歩み、極東の地へとたどり着いた。18歳でのNECでの台頭からデンマークリーグでの再生まで、彼が経験してきた物語をオランダ在住の中田徹氏が紹介する。

 ジェイ・ロイ・フロートの左腕は「17歳から彫り始めた」というタトゥーで埋まっている。
 
 Football isn’t just a sport. It’s my life.
(フットボールは単なるスポーツではない。私の人生だ)

 Melissa
(メリッサ。19歳で悲劇の死を遂げたいとこの名)

 17
「僕にとって17はラッキーナンバーなんだ」

 フロートがNECと初めてプロ契約を結び、オランダ年代別代表に選ばれたのが17歳の時。NECのデビュー当時は31をつけたフロートは、2年目の16-17シーズンに背番号を17に変え、オランダリーグで5ゴール、入れ替えプレーオフで1ゴール、計6ゴールを決めた。

 その後、リーズ、VVV、オスナブリュック、ビボーで11を、フィテッセで7をつけプレーしたフロートは、柏レイソルで久々に17番のユニホームをまとうことになった。

NECでブレイク。18歳でリーグ5ゴール

 24歳の若さにして、フロートは紆余曲折のあるサッカー人生を歩んできた。

 ブレイクしたのはNEC2年目、18歳の頃。第14節のトゥエンテ戦でスルーパスから抜け出し、カットインモーションからプロ初ゴールを決めると、巧みなトラップで右ハーフスペースを攻略し弾丸シュートをファーポストに沈め3-2の勝利の立役者に。この2ゴールの大活躍でリーグの週間最優秀選手に選出され、人気サッカー番組にもビデオ出演して注目を集めることになった。

 17節のエクセルシオール戦では恵まれたフィジカルを活かしてバイタルエリアでボールをキープしてから、左足で強烈なミドルを叩き込む。18節のウィーレムⅡ戦ではヘディングでゴール。21節のゴー・アヘッド・イーグルス戦では敵を背負ってターンし、マークを抜き切る前に素早くシュートモーションに移りリーグ5得点目を挙げる。それからしばらくノーゴールが続いたが、昇降格プレーオフのエメン戦でフロートは3カ月半ぶりにゴールを決めた。

 降格したNECにおいて、チーム最多の5ゴールを記録したフロートは「チームで唯一の光明だった」(『ヘルダーランダー』紙)と健闘を讃えられた。オランダ2部リーグが開幕した直後にフロートはリーズ(当時チャンピオンシップ)へ移籍した。

NEC時代のフロート

リーズでの苦悩

 「木曜日に最初のコンタクトがあって、土曜日にはリーズの試合(8月26日、対ノッティンガム・フォレスト戦)に出ていた。本当に猛スピードですべてが進んでいった」

 しかし、結果が出なかった。

 18年3月、第38節の対シェフィールド・ウェンズデイ戦で、フロートのチャンピオンシップ初ゴールがようやく決まった。チームの不振も相まって「フロートはサポーターのスケープゴートにされた」と現地記者が記している。フロート本人は当時をこう振り返る。

リーズ時代のフロート

 「初めてエランド・ロード(リーズのホームスタジアム)でプレーした時、『これはすごい!』と感動した。歴史のあるビッグクラブで、世界中にファンのいる素晴らしいクラブだった。練習も充実していた。英語はNECで使っていたから問題なかった。しかし、メンタルがやられた。プライベートでは孤独で耐えられなかった。練習、帰宅、食事、プレーステーション、睡眠の繰り返しだった。この時、僕には家族が必要だと感じた。プレーの調子が出ず、ボールが怖くなった。また試合中、僕がウォーミングアップを始めただけで野次が飛んできた。SNSでの誹謗中傷もひどいものだった」(『フットボール・インターナショナル』誌)……

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ジェイ・ロイ・フロート柏レイソル

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中田 徹

メキシコW杯のブラジル対フランスを超える試合を見たい、ボンボネーラの興奮を超える現場へ行きたい……。その気持ちが観戦、取材のモチベーション。どんな試合でも楽しそうにサッカーを見るオランダ人の姿に啓発され、中小クラブの取材にも力を注いでいる。

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