レノファ山口FCが紡いでいく次の「ものがたり」への萌芽と希望
「あの頃のレノファ」とサポーターに呼ばれるシーズンがある。J3優勝とJ2昇格を達成した2015年の1年間だ。だが、多くの人が郷愁を寄せるその時間を知る選手は、とうとうチームに1人もいなくなった。レノファ山口FCが紡いできた「ものがたり」は、間違いなく過渡期に入っている。では、彼らはどういう未来を描いていけばいいのだろうか。このクラブへ常に寄り添ってきた楢﨑瑞が、過去を思い出しながら、現在を切り取り、「これからのレノファ」へ想いを馳せる。
“名塚コーチ”から“名塚監督”への変化
2023年が始まって一カ月。いつもより長かったオフシーズン、いつものように歓喜と悲哀の入り混じったストーブリーグを終え、各チーム開幕に向けての調整が始まっている。
J2で8年目のシーズンを迎えるレノファ山口FCは、名塚善寛監督が続投。シーズン途中で就任した2021年を含め、3年目を迎える名塚体制で掲げた目標は「トップ6に入る」こと。プレーオフ圏内、その先にあるJ1昇格を見据えている。
これまでJ2で戦った7シーズンも「J1昇格」という大きな目標は掲げていたが、具体的な目標・数値は強く発信してこなかったように思う。むろん、新たなレギュレーション(プレーオフのみ。J1チームとの入れ替え戦がないこと)の影響もあるが、なにより名塚監督の心境の変化、そして決意表明だと筆者は捉えている。
「1年、とにかくしんどかった。誰にも相談できないことも、非情にならなきゃいけない場面も多い。わかっていたけど、しかしこんなに孤独なのかって思ったよ」
シーズン終了直後、やや自嘲気味な笑いとともに話した名塚監督。レノファ山口では2018年からコーチとしてキャリアを積んできたが、誰に対しても柔らかい物腰で会話し、選手に対してはよき理解者、兄貴分という立ち位置だった。
トレーニング段階からのメンバー選考、試合中の交代カード含め、時には非情な選択も必要になる。監督として当然ではある。ただ、これまで「兄貴分」として接していた選手との距離感を考えれば、同じチームで、大きなメンバー変更なく立ち位置だけ変わるのだから、その苦労は計り知れない。
2021年はシーズン途中からチームを立て直す難しさ、昨季はシーズンを通して戦う苦しさを経験した。代行で指揮を執ったコンサドーレ札幌時代を除けば、正式な監督としてシーズンを過ごすのはレノファ山口が最初となる。オフのチーム編成から、キャンプを経て開幕を迎えた昨季は名塚監督にとって「コーチから監督になる」シーズンだったといえるだろう。
13勝11分18敗、16位。
2021年と比べ、順位はひとつ落としたものの、勝ち点7を上積みしてのJ2残留。リーグ17位タイの37得点(1試合平均0.88)だった総得点は、51点(1試合平均1.21)と大きな改善が見られた。失点は微増(+3)も、得失点差-3はJ2昇格後、2番目に良い数字となっている。では、そのシーズンにどんなサッカーをしていたのか?と振り返ると強烈な印象は残っていない、というより、ピンと来ていないのが本音だ。
2022年シーズンは「冷静と情熱のあいだ」だった
「レノファらしいサッカー」とは何か。ピンと来ていないという言葉の根源はそこである。少しでもレノファ山口に触れたことのある人や、多くのサポーターが想像する「レノファらしさ」とは、「矢印を前に向けた」や「攻撃的なサッカー」といった言葉だろう。「攻撃的な」の定義は戦術面でも心情面でも様々ではあるが、レノファのサッカーを語る上で、これはひとつのテーマになっている。
2022年シーズンに関して言えば、「攻撃的でなかったか」といえば、決してそんなことはないが、これまでのレノファ山口をずっと見てきた者からすると、「攻撃的であったか」と言われれば、そこまでの印象はない。
「冷静と情熱のあいだ」
一度も昇格争いに絡むことがなかったJ2での7年目を改めて振り返ると、そんな言葉がぴったりであるように思う。それは同時に、渡邉晋と霜田正浩のあいだ、にも変換される。霜田体制で形成されたリスク許容の「情熱的」な部分と、リスクを軽減する形を採った渡邉体制の「冷静さ」の部分の両方が垣間見えた。比較的極端な形を採った両者の「あいだ」をとったからこその印象である。
そう、2022年のレノファ山口は、冷静さと情熱の「中庸」を求めたシーズンではなかったか。
レノファに根付く「攻撃的なサッカー」というDNA
レノファ山口の「攻撃的なサッカー」という根底はどのように構築されていったのか。
少し歴史を振り返っておこう。2014年、当時、中国リーグからレノファ山口はアマチュア最高峰・JFLへ参入するにあたり、監督として上野展裕(現・福山シティFC監督)を招聘した。上野政権下でのレノファ山口は、いくつものパッケージされた動きを組み合わせる、パターンサッカーとも言える動きを展開した。
攻撃時に、特定の場所・状況に対して、それぞれがあらかじめ設定された動きをすることで、ボール、人の動き、状況判断――すべてのスピードが格段に上がる。その連携パターンにはオフ・ザ・ボールでのポジショニングを含め、かなり細かい設定がなされていた。選手の質が担保しづらいアマチュア時代でも、そのパターンを各選手に徹底的に叩き込むことで、個に勝る相手を組織で凌駕しようとしたのである。超攻撃的なサッカーで、JFLからJ2まで毎年カテゴリーを上げていった、レノファ山口にとって「奇跡」ともいえるストーリーを描いた時期である。
山口の「Jリーグ元年」となった2015年シーズンはリーグ36試合で96得点。1試合平均2.6点という驚異的な攻撃力でJ3を制した。得点王に輝いた岸田和人(現・FCバレイン下関)の32得点を筆頭に、福満隆貴(現・ジェフユナイテッド千葉)が19得点で得点ランキング2位、島屋八徳が16得点で同3位と、得点ランキング上位を独占。ボランチを担う庄司悦大(現・FC岐阜)を起点とし、流麗なパスワークとゴール前に一気に人数をかける迫力は、当時のJ3においても異質そのもの。2点取られても3点取り返すスタイルは痛快で、これまでサッカーに触れたことがない人々にも「わかりやすく」響いた。
細かいパスをつなぎ、攻撃的に試合を支配する。今なおクラブの根幹をなす「攻撃的なサッカー」というDNAは、この時代にその礎を築き、最も成功を収めたといえるだろう。
その「攻撃的」な路線を継承しつつ、さらに昇華しようとしたのが2018年シーズンから指揮を執った霜田正浩(現・松本山雅FC監督)だ。あえて極端なほどのプレスを徹底させ「守備も攻撃的に、攻撃のための守備」といった、より先鋭的なゲームモデルの浸透を図る。また、パターンよりもプレー原則の習熟に重きを置き、選手の自主性に任せる部分も大きくなった。
こうして、設計された部分と阿吽の呼吸が融合したことで、オナイウ阿道、小野瀬康介、高木大輔ら前線を張るタレントの才能が開花。前年の20位からチーム最高位の8位まで躍進させた。
チームに訪れた「守備組織の構築」という転換点
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Profile
楢﨑 瑞
1986年広島県生まれ。地元放送局でラジオディレクター、報道記者を経て山口朝日放送に移籍、アナウンサーとなる。2015年からレノファ山口応援番組「みんなのレノファ」でMC兼ディレクター。編集方針は「いかに選手をカッコ良く見せるか」。取材方針は「まちおこしとしてのレノファ」という観点から。2020年からDAZNで実況をスタート。毎回胃液が逆流している。footballista寄稿にビビり気味。Twitter:@ruinarasaki