日本サッカー界には“ゴールデンエイジ”と呼ばれる世代がある。小野伸二、高原直泰、遠藤保仁、稲本潤一といったビッグネームを筆頭に、世界と戦い続けてきた1979年生まれの学年だ。そんな彼らと同じ年に生まれ、その誰よりも早くJリーグの監督に辿り着いた男がいる。時崎悠。43歳。昨シーズンまで福島ユナイテッドFCを率い、今年からは栃木SCで辣腕を振るう指揮官は、先駆者としての矜持を携えながら、テクニカルエリアに立ち続けている。今回は地元のクラブでもある栃木SCを継続的に取材してきた鈴木康浩が、そのキャリアと指導者哲学に迫る。
1979年生まれの世代で初のJクラブ監督に
小野伸二、高原直泰、遠藤保仁、稲本潤一、中田浩二、小笠原満男、橋本英郎――。
共通項がある。1979年生まれ。今年43歳を迎える面々は、かつて“ゴールデンエイジ”として注目を集めた、日本サッカー界における豊作の世代だった。
名前のある彼らだが、この中にJの監督経験がある者はいない。まだ現役の選手もいるので、今後J1などで指揮する可能性は大いにあるが。
同じ1979年生まれで先陣を切ってJの舞台で指揮する人物がいる。時崎悠――。昨季、J3の福島ユナイテッドFCでJの舞台で初めてトップチームの指揮を執ると、クラブ史上最高順位の5位に躍進させた。その手腕を買われ、今季から栃木SCの監督に就任。就任1年目は、走力や闘うことをベースにするチームの改革を巧みに進めながら、3試合を残してJ2残留に導いた。チーム作りは順調に進んでおり、来季、再び栃木で指揮することが決まっている。
「J2の錚々たる監督さんたちの顔ぶれの中で、お前誰だよ、という感じだと思うんです」
今年の監督就任会見の際、自嘲気味にニヤッと笑った。無名だという自覚はある。選手時代に目立った実績を残せなかった自分が”輝かしい1979年生まれ”の中にいる感覚もない。
ただ、指導者キャリアを積み重ねる中で、しっかりと握り締めるものがある。
「小野、高原、稲本、遠藤。彼らが引退すれば、いつかJ1で監督をすることになると思います。彼らはそういうレールに乗っている。だからこそ、僕のような何も実績がない指導者が、これからの若い指導者たちのために道筋を作っていかなければいけないという思いがあります。その先駆者でありたい」
選手としての蹉跌が導いた指導者への興味
かつて、同世代のスターである小野や高原に刺激を受けた一人だ。
中学3年生のとき、地元の福島県選抜の一員として静岡県選抜と対峙したが、相手の中盤のエースである小野にけちょんけちょんに翻弄された。高原も次元の異なるプレーでピッチを舞っていた。同世代トップのレベルをまざまざと見せつけられた。
このまま福島にいたらダメだ。彼らに置いていかれてしまう――。
焦りとともに、隣県の強豪校の作新学院高校に入った。3年時には主将を務め、身体能力に秀でたディフェンダーとしてチームを牽引。1998年、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)入りを果たした。夢は、間近に迫ったシドニー五輪や日韓ワールドカップ出場だ。小野が同年、18歳でフランスワールドカップにメンバー入りするのを見ながら、自分も負けられないと刺激を受けた。
だが、ルーキーイヤーの6月、靭帯断裂の大ケガを負ってしまう。長いリハビリ期間を経て復帰した翌日、もう一方の脚をケガしてしまい、再び長期離脱。それから目標を失い、自堕落な時間を過ごしてしまった。五輪代表だ、A代表だ、と口にする自分がだんだんと恥ずかしくなっていた。……
Profile
鈴木 康浩
1978年、栃木県生まれ。ライター・編集者。サッカー書籍の構成・編集は30作以上。松田浩氏との共著に『サッカー守備戦術の教科書 超ゾーンディフェンス論』がある。普段は『EL GOLAZO』やWEBマガジン『栃木フットボールマガジン』で栃木SCの日々の記録に明け暮れる。YouTubeのJ論ライブ『J2バスターズ』にも出演中。