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ミランに、オランダ代表に君臨したオランダトリオ。栄光の記憶と、取材で触れた意外な一面

2022.10.14

この記事は『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』の提供でお届けします。

2021-22に11シーズンぶりにスクデットを獲得し復権を果たしたミランと、来たるW杯で悲願の初戴冠を目指すオランダ代表の両チームで主要タイトルを獲得した3人のレジェンド――ルート・フリット、マルコ・ファン・バステン、フランク・ライカールト――当時のミランとオランイェ(オランダ代表の愛称)を取材した経験のある西部謙司氏が彼らの凄みを振り返るとともに、取材秘話を明かす。

進撃の巨人たち

 1990年のトヨタカップの時だ。メーカーの広告撮影をホテル内でやるので同席していいよと言われ、ミランの一行が宿泊する都内のホテルに赴いた。ちゃんとしたインタビューではなく、その時に話を聞けるようなら聞いてもいい、みたいな状況だったと記憶している。

 集まっていたのはマルコ・ファン・バステン、パオロ・マルディーニ、マルコ・シモーネ、あと1人がフランク・ライカールトだったのだが、時間になってもライカールトが現れない。

 「どうせ寝ているんだろ」

 ライカールトの部屋に電話をかけたのはファン・バステンだった。短気というほどではないが、テキパキした感じ。デキそうな人、ファン・バステン。だが、電話の応答はなかった。とりあえずライカールト抜きで撮影をすることに。

 もっぱら話ができたのはシモーネだった。ミランに来て2年目、のちにはエース格となりパリ・サンジェルマンやモナコでも活躍するのだが、この時はまだスターとは言えず、オリンピア戦のメンバーにも入らなかった。ちょっとイラっちなファン・バステンやミラン生え抜きで御曹司感のマルディーニより話しやすそうなシモーネではあったが、それよりも撮影からほぼ除外されていてヒマそうだったせいである。なぜかと言うと、身長が合わないのだ。

 ファン・バステンは188㎝、マルディーニも186㎝。遅れてきたライカールトも190㎝ある。シモーネは170㎝なので、誰と並んでもバランスが悪過ぎて一緒に写れなかった。ちなみにこのメーカーと契約がないのでこの場にいなかったルート・フリットは193㎝だ。

 歴代のスーパースターには小柄な選手が多い。アルフレッド・ディ・ステファノ、ペレ、フェレンツ・プスカシュ、ディエゴ・マラドーナ、ヨハン・クライフ……180㎝を超える身長の選手はおらず、ディ・ステファノ、プスカシュ、マラドーナは170㎝ぎりぎり。小柄な選手の方が機敏でサッカー向きとも言われていた。リオネル・メッシもこの仲間である。

 ただ、ある時期からサッカー選手の身長が目に見えて高くなった。ファン・バステン、ライカールト、フリットのオランダトリオはその象徴だ。

 口ひげにドレッドロックという個性的な外見のフリットは、1987-88シーズンにミランに加入すると久々のセリエA優勝に導く大活躍を見せた。技術、インテリジェンスの高さも光っていたが、何といっても驚かされたのが身体能力だ。スピード、パワー、ジャンプ力は桁違い。今ならアーリング・ホーランドがそうだが、見るからに怪物という感じだった。

ミラン公式YouTubeチャンネルにアップされたフリットの動画

 フリットと同じタイミングでミランに来たファン・バステンは負傷で出遅れていたが、終盤に活躍。1988年の欧州選手権では得点を量産して、オランダ代表の初優勝に貢献した。決勝のソ連戦のボレーシュートの美しさは語り草となっている。フリットは87年、ファン・バステンは88年のバロンドールを受賞した。

ミラン公式YouTubeチャンネルにアップされたファン・バステンの動画

 ライカールトは1年遅れの1988-89シーズンにミラン入り。バロンドールは受賞していないが、攻守万能の異才である。オランダ代表ではCBを務め、ミランではボランチもトップ下も難なくこなした。88年のバロンドールはファン・バステン、フリット、ライカールトが1~3位を独占。向かうところ敵なしの勢いだった。

ミラン公式YouTubeチャンネルにアップされたライカールトの動画

合理性と自己主張

 ミランでCL連覇など栄光を築いたオランダトリオだが、オランダ代表での栄冠は1988年の欧州選手権優勝が最初で最後となっている。

今でも語り草となっている、1988年大会でのファン・バステンのボレーシュート

 1990年イタリアW杯では優勝候補だったが、ラウンド16で西ドイツとの激闘の末に退けられた。ライカールトはルディ・フェラーと口論の末に顔面にツバを吐きかけて退場処分。ファン・バステンとフリットも厳しいマークに本領を発揮し切れずに終わっている。

イタリアW杯で笑みを浮かべるフェラー(手前)とそれをにらみつけるライカールト

 2年後のEURO1992はディフェンディングチャンピオンとしてベスト4までは勝ち上がったが、デンマークにPK戦で敗れた。ただ、この時の[3-4-3]システムによるパスワークは大会随一で、優勝すべき実力は持っていた。

 このスウェーデンでのEUROの時にオランダ代表の練習を見に行った。距離と角度を変えたパス&ゴーの後はミニゲームで終了という軽いメニューだったが、チーム練習後にフリットがトレーナーと入念に基礎練習をしていたのが印象的だった。投げてもらったボールをコントロールして返す。このシンプルな練習を延々と続けていた。アウトサイドでコントロールしてインサイドで切り返す、またはその逆。トラップ版エラシコなのだが、試合中にもけっこうこれを使っていたものだ。その風貌から奔放な自由人で、自主トレなんか興味ないタイプかと想像していたのだが、意外と努力の人なのだなとその時に思った。

EURO1992のGSドイツ戦でのファン・バステン、ライカールト、フリット

 フリットは負傷を繰り返していて、ピーク時の迫力はなくなりつつある時期だった。ミランでもオランダ代表でも右のワイドにポジションを移していた。鬼神のごとくフィールドを駆け回る姿は見られず、固定されたサイドから正確なクロスボールを供給するクロッサーになっていた。

 記者会見でリヌス・ミケルス監督が「ワールドクラス」として名を挙げていたのはファン・バステンとライカールトで、キャプテンのフリットに触れていないのを少し不思議に思っていたのだが、確かに4年前と同じフリットではなくなっていたのかもしれない。

 ただ、ダイナミックな動きと正確な技術は相変わらずで、フリット、ファン・バステン、ブライアン・ロイの3トップは2トップ全盛の時代において新鮮で、トップ下には新鋭デニス・ベルカンプもいた。ロナルド・クーマンを中心とした自陣でのビルドアップではパスの距離感が遠く、強烈なグラウンダーのパスを回していく。スケールが大きいので相手は捕まえきれず、「門」になった相手の間を通して着実に前進していく。この時期の[3-4-3]と言えばヨハン・クライフ監督率いるバルセロナだが、もともとミケルスはアヤックスと代表でクライフの師匠とも言うべき存在なのだ。

 正確なパスワークで攻め込むオランダだったがなかなかゴールを割れず、ミスを突かれて2-1とリードを許す。すると、ミケルス監督は後半からライカールトをトップに上げてハイクロスを放り込む作戦変更を行った。これが奏功して、86分のライカールトのゴールで延長になったのだが、その思い切りの良さには驚かされた。

 思えば、1974年W杯の決勝でもミケルスは同じことをやっている。その時は2-1のまま西ドイツに逃げ切られたのだが、采配に後悔はなかったのだろう。パスワークで攻めて崩し切れなかった、ならば45分間同じことをやる理由はない。トータルフットボールを生み出したオランダ人は合理的なことで知られている。

1988年欧州選手権を制した際にカップを掲げるミケルス。サッカー史に残る名将の1人だ

 PK戦に突入すると、フリットはベンチにどっかりと腰を下ろしたままだった。最後に蹴ったファン・バステンが失敗して敗退している。

 1994年米国で開催されたW杯は、オランダトリオにとって最後のチャンスだった。だが、プレーしたのはライカールトだけ。エースのファン・バステンは足首の負傷から回復せず。フリットは大会前にチームを離脱している。オランダ代表の中枢を占めるアヤックスの選手たちと意見が分かれたようだ。チームとしてはアヤックス方式の攻撃型でプレーしようとしていたが、フリットは酷暑の米国では無謀だと主張した。結局、どちらも譲らなかったのだろう。オランダ人は合理的なだけでなく自己主張も強い。議論は物別れとなり、フリットはチームを去ってしまった。

 現役引退後、オランダトリオの3人はすべて監督になっている。ファン・バステンとライカールトはオランダ代表監督にもなった。最も成功したのはバルセロナでCL優勝を成し遂げたライカールトだ。ただ、3人とも監督としての印象はあまり強くない。

 バルセロナでインタビューしたライカールト監督は、現役時代の神々しい巨牛のような印象は同じで、半分寝ているのかと思うほどの感情の起伏のなさも変わらなかった。「スタッフとの協力が大事だ」と話していた。爆発すると大変なことになるが、普段は極めて静かで大人しい。3人の中では最も何を考えているのかわからないライカールトが監督として、常にではないが成果を残した。意外なようで必然でもある気はした。

ミラン公式YouTubeチャンネルにアップされた、3人にフォーカスした動画。その伝説は鮮明に記憶されている

◯ ◯ ◯

いずれも穴がない万能選手の側面を持ったうえで、優れた技術を誇りエレガントなプレーで魅せたマルコ・ファン・バステン、卓越した走力とパワーで違いを作ったルート・フリット、ゲームメイカーとして試合をコントロールしたフランク・ライカールト。1980年代後半~1990年代前半のミランとオランダ代表を牽引したトリオが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」(サカつくRTW)に登場!

さらに、2度CLを制した2000年代の黄金期に抜群の対人守備能力で最終ラインに君臨したアレッサンドロ・ネスタのほか、2010-11と2021-22のスクデット獲得に貢献し生ける伝説となったズラタン・イブラヒモビッチを筆頭にラデ・クルニッチ、ティエムエ・バカヨコ、サンドロ・トナーリ、マイク・メニャンら現役のスーパースター選手たちが勢ぞろいした豪華スカウト“4.5Half Anniversary LEGEND SCOUT”が開催中だ。

しかも、オランダトリオやネスタらに関しては期間中ログインするだけで★4選手が手に入る。加えて今回は、来たるビッグイベントの開幕を記念したキャンペーンも開催中。これまでサカつくをプレイしていなかった方がゲームを始めるのに、またとないチャンスとなっている。

すでにゲームをプレイ中の方はもちろん、「サカつく」未経験の方もこの機会にぜひゲームにトライして、語り継がれるレジェンドたちの魅力を感じてほしい。

<商品情報>

商品名 :プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド
ジャンル:スポーツ育成シミュレーションゲーム
配信機種:iOS / Android
価 格 :基本無料(一部アイテム課金あり)
メーカー:セガ

さらに詳しい情報を知りたい方は公式HPへアクセス!
http://sakatsuku-rtw.sega.com/

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Photos: AFLO, Getty Images

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Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。

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