2度のダブル、そしてインビンシブルズへ。ベンゲルに見出され、アーセナルを彩ったタレントたち
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これまで数々のチームがサッカーの歴史にその名を刻んできているが、どんなに強いチームでもリーグ戦での無敗優勝は容易なことではない。そんな偉業を遂げたチームの1つが、2003-04のアーセナルだ。名将アーセン・ベンゲル就任を機に変貌を遂げ、伝説となるに至ったアーセナルの歩みを振り返る。
インビンシブルズ前夜
アーセン・ベンゲル監督に率いられて2年目、アーセナルは1997-98にリーグとFAカップの“ダブル”を達成する。クラブ史上では1070-71以来の快挙だった。
2000-01シーズンにもダブルを成し遂げ、2003-04には無敗優勝でインビンシブルズ(無敵)と称賛される黄金期を迎えることになる。最初のダブルからの9シーズンは、アーセナルが最も輝いていた時代だった。
食事制限、トレーニングの変更など、さまざまな改革を行って成功を収めたベンゲル監督だが、特筆すべきは選手獲得の手腕だろう。
1996-97にパトリック・ビエラ、レミ・ガルデ、ニコラ・アネルカを獲得。ダブル達成の1997-98はマルク・オーフェルマルス、エマニュエル・プティ、ジレ・グリマンディが加入した。プティとグリマンディはベンゲルがかつて指揮を執っていたモナコからの引き抜きだ。
1995年のボスマン判決からヨーロッパで選手の大移動が始まるのだが、この時期はまだ本格化していない。プレミアリーグは保守的だった。もともとイングランドの監督はマネージャーと呼ばれているように選手獲得が大きな仕事で、それがシーズンの成績を左右すると考えられていた。ただ、持っているコネクションは英国内に留まっていて、ベンゲルのようにフランス、ベルギー、ドイツ、アフリカ諸国までコネクションのある監督などいなかった。高い移籍金を払って有名選手を買うのではなく、まだイングランドでは知られていない才能と優先的に交渉できる有利さがあった。
ベンゲル監督は、アーセナルを魅力的な攻撃型のチームに変えた。そして、そのやり方でプレミアリーグに優勝できることも証明した。ただ、プレースタイルはそれほど特殊なものではない。
当初はジョージ・グラハム監督時代に“フェイマス4”と呼ばれたDFラインをそのまま踏襲している。FWのイアン・ライトやデニス・ベルカンプはすでにチームにいた。変えたのはMFの4枚だけなのだ。ビエラ、プティ、オーフェルマルス、レイ・パーラーの中盤は当時のプレミアクラブとしては技巧的かもしれないが、どちらと言えばハードワークの選手たちであり、[4-4-2]のプレースタイルも他のチームとそれほど違っていたわけではない。ベンゲルは戦術家というより優れたマネージャーなのだ。
セリエAでまったく活躍できなかったベルカンプを復活させ、さらに大きく飛躍させたように、燻っている才能を引き出すのもうまかった。モナコ時代にはジョージ・ウェアを開花させ、名古屋グランパスエイトではドラガン・ストイコビッチを復調させている。
ダブルの後の1998-99をマンチェスター・ユナイテッドと1ポイント差の2位で終えると、レアル・マドリーへ移籍したアネルカと入れ替わりにティエリ・アンリが移籍してきた。1999-00、2000-01はいずれも2位、そして2001-02に2度目のダブルを達成する。
この時にはDFラインもすっかり入れ替わっていた。GKデイビッド・シーマンは健在だったが、トニー・アダムスとリー・ディクソンが引退。ソル・キャンベルが守備の中心になっている。SBもローレン、アシュリー・コールの新世代へ。MFにはロベール・ピレス、シルバン・ウィルトール、フレドリック・ユングベリが加わっていた。
着々と先手を打って補強を続け、いつのまにか主力が入れ替わっている。このあたりの洗練された世代交代もベンゲルらしい。
絶妙のバランス
ベンゲル監督のアーセナルが戦術的に画期的だったわけではない。システムも大半のイングランドのクラブと同じ[4-4-2]だった。ただ、構成する選手はフランス人を中心に外国籍選手が占めていて、他とはひと味違う[4-4-2]ではあった。
もともと強力だった4バックを維持し、徐々に人選を入れ替えたのは前記の通りだが、攻守の要となるMF中央にプティとビエラを得たことが大きい。2人ともフランス人だが、攻守を同等にこなすハードワークはむしろイングランド風である。
プティは左SB、CBもできる守備型のマルチプレーヤー。堅実な組み立て、左利きでエレガントな動き、知性、労を惜しまない運動量で欠かせない存在になっている。破格の行動範囲を誇るビエラと巧くバランスを取っていた。
SHは左にプレーメイカー型のピレス、右はウイングタイプのユングベリかウィルトールという組み合わせ。FWも左側にスピード抜群で裏を狙えるアンリ、右に引き気味にポジションを取る10番タイプのベルカンプ。MFとFWについては微妙に非対称、タイプの異なる選手を組み合わせている。このあたりはシステムというより、選手の個性を生かすための塩梅である。
[4-4]の堅固な守備ブロックで相手の攻撃を迎撃した後、左に開いているアンリへロングパスを送って電光石火のカウンターを繰り出すというのが第一手。アンリに裏を突かれるのを怖がって相手がラインを下げると、相手のMFとDFのライン間にいるベルカンプは繋ぐ。アンリのスピードと突破力、ベルカンプのキープ力と展開力が相乗効果を上げていた。
アンリが外と中央を行き来する左サイドは、ピレスがそれに合わせてサポートする絶妙のコンビネーションを見せる。一方、右のユングベリ、ウィルトールは香車のように上下動。ベルカンプのタメを合図にスペースへ飛び出していった。
ユングベリはスピードとともにアジリティが抜群で、急停止や方向転換が速い。現在の選手で言うとティモ・べルナーが似ている。スペースへ走ってパスを受け、一気に切り込んでいくには打ってつけのタイプだった。
攻撃の核になっていたベルカンプとアンリは、どちらもセリエAでは鳴かず飛ばず。それがアーセナルでは人が違ったように大活躍している。フランスリーグで将来を嘱望されながら不完全燃焼だったピレスもしかり。アーセナルで水を得た魚となった。
どの選手も才能の大きさは知られていたけれども、アーセナルへ来るまでは真価を発揮し切れていなかった。ベンゲル監督の[4-4-2]に特段変わったところはない。ただ、ほんの少しの差なのだが、それぞれの選手がフィットする環境になっていた。偶然にパズルがピタリと収まったようにも見えるが、これがいわゆる指先のフィーリングというものなのだろう。この時代のアーセナルがキラキラして見えたのは、1人ひとりの個性が生き生きと発揮されていたからに他ならない。
アンリ、ベルカンプはこのチームで最大の個だが、周囲を阻害するほどのエゴはない。それぞれが個を主張しながらも絶妙にバランスが取れている、押しつけがましさのない、趣味のいい、粋なチームカラーが独特だった。
今なお語り草となっている伝説的なゴールの数々を残したデニス・ベルカンプ、在籍期間は短かったものの中盤の仕事人として光る働きを見せたエマニュエル・プティ、爆発的な走力で攻撃に縦への推進力をもたらしたフレドリック・ユングベリ。ベンゲル監督時代のアーセナル前期に躍動した名手3人が、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」(サカつくRTW)に登場!
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<商品情報>
商品名 :プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド
ジャンル:スポーツ育成シミュレーションゲーム
配信機種:iOS / Android
価 格 :基本無料(一部アイテム課金あり)
メーカー:セガ
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Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。