去る7月に“サッカーの母国”で開催された女子EURO。31日の決勝では地元イングランドが延長戦の末、ドイツに競り勝ち男女通じて初の欧州王者に輝いている。決戦の地ウェンブリーに8万7000人を超える観客が駆けつけるほどの盛り上がりを見せた“ライオネシーズ”(イングランド女子代表の愛称)の戦いぶりを振り返るとともに、戴冠を機に幕を開ける同国の女子サッカー新時代を現地在住の山中忍氏が占っていく。
決勝のリモート観戦者数は2400万人!
プレミアリーグ2022-23シーズン開幕を迎えたイングランドでは、例年との大きな違いが1つ。女子サッカーが大きな話題となっているのだ。開幕節初日の8月5日にも、「“women’s football”のネット検索件数6倍増」とのニュースが『BBC』で伝えられた。その5日前に実現した女子EURO2022での母国代表優勝は、それほど影響力のある偉業だった。
イングランド女子代表にとっての主要国際大会初優勝は、「サッカーの母国」にとっても1966年W杯以来の栄冠だ。しかも決勝で下した相手は、“スリー・ライオンズ”こと男子代表の宿敵でもあるドイツ。大会史上最多8回の優勝歴を誇る同国女子代表は、2009年大会の決勝で“ライオネシーズ”が打ちのめされた(6-2)因縁の敵でもあった。それが今回は、イングランドが延長戦後半にドラマチックに勝ち越した(2-1)。決勝ゴールを押し込み、思わず脱いだユニフォームを右手でグルグルと回しながら歴史的な1点を祝ったクロエ・ケリーは、やはり母国開催だった1966年のW杯決勝でハットリックを決めたイングランド代表の偉人にちなみ、「スポーツブラをしたジェフ・ハースト」と呼ばれることになった。
ただし、人気の代表アンセム『スリー・ライオンズ』のサビで「フットボールが帰って来る」と歌われるように、国際大会での栄光が56年ぶりに戻ってきたというだけのインパクトではない。今大会の開幕に合わせて寄稿させていただいたコラムで「近未来への起爆剤としての効果も期待される」と書いた通りの成果がもたらされたのだ。イングランド全土が女子サッカーに惚れ込んだ。
以前にも注目を集めたことはあった。2015年女子W杯では、「なでしこジャパン」との準決勝でオウンゴールに泣き、その2年後の女子欧州選手権と続く2019年女子W杯でもベスト4入りを果たしたのだが、いずれも否定的な意味で“女子サッカー”としての一時的な注目度に過ぎなかった。ファイナリストとなっても決勝翌日の国内紙上での扱いが「頁」ではなく「行」レベルだった1984年女子EURO、決勝でのドイツ戦大敗が国内では唯一の生中継だった2009年大会といった寂しい過去と比べれば注目されただけのことだった。
その点、今夏の女子EUROでは、開幕戦となったグループステージでのオーストリア戦(1-0)から『BBC』で試合が中継された。ウェンブリースタジアムを舞台とした決勝戦ともなると、最大視聴者数は1742万人。オンラインでのネット観戦者を合わせれば2400万人ものリモート観戦者を集めた。物理的に決勝のウェンブリーを埋めた観客の数は、男女共通でEURO史上最高の8万7192人。「サッカーが大好きだから女子サッカーも大好きなんだ」とは、かねてから女子サッカーの味方で、今大会ではテレビ解説も務めたイアン・ライトの名セリフだが、開幕当初に「女子EURO観戦を楽しんでいる」と言った筆者に、「恥ずかしいから他人には言わない方がいいぞ」と返した隣人のような反応は大会が進むにつれて見られなくなっていった。むしろ最後には、「自分はサッカーファンではないけど、娘の世代が選手としての将来を夢見られるのがいいわね」という御近所ママさんの発言もさることながら、「小学生の息子たちも夢中になってテレビの前で応援していたよ」というパパさんの言葉が強く印象に残った。
もちろん、スポーツ専門の衛星放送局ではなく、どの家庭でも観られる地上波のテレビ局で大会が中継されたことによるメリットはある。グループA初戦からのイングランド戦チケット完売は、男子の代表戦よりはるかに安いチケット代にも助けられた。大人は1600円台、子ども(16歳以下)は800円台からの価格設定により、4人家族を例に取れば5000円程度でそろって試合に足を運ぶことができた。
ベンチまで充実の総力戦で欧州王者に
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Profile
山中 忍
1966年生まれ。青山学院大学卒。90年代からの西ロンドンが人生で最も長い定住の地。地元クラブのチェルシーをはじめ、イングランドのサッカー界を舞台に執筆・翻訳・通訳に勤しむ。著書に『勝ち続ける男 モウリーニョ』、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』『ペップ・シティ』『バルサ・コンプレックス』など。英国「スポーツ記者協会」及び「フットボールライター協会」会員。